スイッチ


私が根管治療の再治療をすべきと

診断を下す症例には、

確たる根拠が

自分の中で在ります。

同じように、

諸般の観点から再度の治療はすべきでない。

その根拠も自分の中で確立できています。

これを丁寧に説明しても、

専門家でなければ、

判らないと思います。

どうなるか?

まぁ、とにかくヤってみて、

ご様子観ましょう。

このような言葉を使っていた時代が、

私にも在りました。

再度の治療を望む患者さんに、

いくら説明申し上げても、

患者にとっては、

することが最重要要素であるからです。

治療するということは、

その歯の状況が、

更に詳細に判る訳です。

先ずは、

治療の範疇を越えるまで、

前医の介入が大きく、

傷痕は手当ての限界を越えるいることを

否応なしに、

眼で、

触覚にて、

証明されてしまうのです。

治療行為よりも、

ソッと、

歯の寿命まで、

見守るべき症例も稀には在ります。

昨日の新患の患者さんの歯のなかは、

無秩序な方向性のない処置の最中に在りました。

それでも、

一筋の光明が微かに観えたのです。

ここで、

観ることから、

診ることへと、

私の脳髄のスイッチは変換したのです。