その時々の眼


祖母は明治の生まれでした。

杉野!杉野!杉野は何処?

井戸から水を汲み上げ、

米をとぎながらの、

日露戦争の軍神と唱われた広瀬中佐を称える軍歌は

幼い私を余程にも感動させたのでしょう。

今でも鮮明に鼓膜に残っています。

そんな話しを子どもたちにすると、

怪訝な表情にて、

いつの人間?

って返されるのが常となりました。

それが、

昭和から平成へと時代は大きく変わり、

私の価値観は、

極々稀なる少数派と、

変人扱いされる一方です。

来年には、

新しい年号が発表されるそうな。

ますます古い人間になってゆくのを実感します。

それでも、

流行り廃りのある治療にだけは

手を付けなくて良かったと、

安堵する機会が多いのも事実です。

マイクロスコープを使った

大拡大視野の診療が私の普通になりました。

改めて、

丁寧仕事に徹した昔ながらの手作業の方が、

効率は悪いけれども、

綺麗な結果が得られていることを確認するにつけ、

古くても確かな治療の方が、

断然、

患者さんのためになると確信するのです。

他からは、

最先端の歯科治療を実践していると

思われているようですが、

それは大きな勘違いであり、

本来は、

アメリカンナソロジーの時代の歯科治療を

忠実に守っているのが、

私の診療所の特徴なのですが。

見えるものと、

診えるものは、

全然違うのだと、

また、

診えることと、

できることも、

全く違うのだと、

声を大に言いたい心境です。

50半ばの私ですが、

10年先は10年先の、

20年先は20年先の、

眼が、

養えるように、

日々研鑽と、

戒めて、

歯を楽しみながら過ごしています。