決意も新たに


教授会にて承認されたと云う連絡を受けて、

数名の教授から電話にて、

祝福を受けました。

私は日本歯科大学にて、

歯科医学のいろはを学びました。

云わば、

此処が私の歯科医学の源流です。

この度、

名誉ある我が国最古で最大の歯科大学である

日本歯科大学 新潟生命歯学部 附属新潟病院 総合診療科の

臨床教授を拝命されました。

誠に名誉なことであります。

私の診療所と新潟病院の掛け持ちの生活になりますが、

もうこの生活にも慣れてしまいました。

学部の方も併任で歯科保存学を担当します。

私の好きな信濃川、そして萬代橋、

通りの柳に、

冬の雪景色は、

当分の間、

私の心を支えてくれるでしょう。

私は母校の門を叩いて、

青春期の毎日毎日を

歯一色で過ごす学生諸君が

可愛くてなりません。

伝統の日本歯科大学、

その伝統のなかに、

チャレンジの味付けで独自の教育を実践する

フロンティア精神溢れる新潟校が好きです。

精一杯、頑張りたいと、

皆さんにお約束します。

そして歯科医療不信感の高まる昨今ですが、

新しい良い歯医者さんの育成に

余生のエネルギーを費やす所存です。

といっても、

三枝デンタルオフィスが私の本拠地であることに変わりません。

私以外の歯科医師に留守を守って頂く気持ちはありません。

私の留守の日は、

スタッフの宮田君が電話番と

医院のメンテナンスや、

私の苦手なパソコンでの教材作りで、

診療所を守ってくれるので、

ご不安が在れば、

ベテランの宮田君が正しいアドバイスをしてくれるでしょうし、

直に私に連絡をとる体制は整っていますので、

ご安心ください。

診療が終わってから、

車で北陸道を駆け走り、

朝日を仰ぎながら新潟へ入り、

大学で仕事。

数日間滞在して、

再び、

仕事が終わってから新潟の高層ビルを後にして、

朝日を仰ぎながら、

鳴門大橋を渡り、

で、

高松で診療。

高松市と新潟市は850キロも離れていますからね。

夜に移動するしか、

時間の節約ができないのです。

神さまのお導きだと思っています。

私は生涯、歯の職人であり、

歯の番人であり続けることが、

私の生きる意味だと覚悟を決めましたので。

高松市、新潟市のピストン運行で、

残り人生を駆け走ります。