人生の味


週末の土曜日。

久々に休暇を頂きました。

午後2時に早じまいし、

はやる気持ちにて、

関西へと。

今回の休暇は、

思い立ったように頂きました。

お盆休みも診療しているのを知った

藤井学部長から、

ちょっとは・お休みなさいよ!

と、

メールを頂きました。

が、

この処、

患者さんが・多くて、

超小規模歯科診療所の私の診療所。

休む処では・なかったのです。

でも、

緊張の糸が、

張りつめ・過ぎたようです。

私は幼い頃、

明石市・東二見で過ごした期間があります。

二見農協の隣に、

今は別の医師の婦人科医院が建っております処に、

叔父が婦人科医院を営んでおりました。

東二見駅付近の市場まで、

歩く道すがらの田園の匂いが、

未だに鼻腔に残っています。

市場の肉屋の店先で、

揚げたてのコロッケを1つきり・

買い求め、

帰り道に、

食べながら。

至上の楽しみだったのです。

あの頃とは、

様変わりするほどに、

家々が立ち並んでいました。

ソレでも、

私の育った街は・残っていました。

大阪までの切符を買い求めた際に、

凡そ1300円ほどであった事に、

エライ高いなと。

そんなに・遠かったのかしらん。

車窓からの光景は、

半世紀と云う十分な時間を認識させられのです。

大阪駅前は・相変わらずの喧騒さ。

駅前広場から、

商店街へと脚を伸ばして、

いつもの鮨屋へと。

普段であれば、

寂しがり屋の私を知った付近の弟子たちが、

顔を立てて下さり、

集って下さるのですが、

今回は隠密行動。

独り旅も・良いモンだと。

で、

夕食後は、

真っ直ぐ床に就く自分を、

改めて、

床から天井を眺めながら、

大いに認識させられのです。

以前の私ならば、

北の新地か、

ミナミの盛り場へと。

絶対的な体力と気力と云うよりは、

単なる・阿呆。

先々の事など、

頭の中には・皆無でしたから。

で、

日曜日は昼前まで・爆睡。

そこでまた、

四国に戻りたくないと。

気儘な想いを、

押し留めるのは、

やはり・仕事故。

仕事は好きだが、

文化が違う処で暮らすのは・シンドいの・ですかね。

高松市と云う処を、

私は・よく知らないンです。

仕事場と自宅の往復だけですモノ。

対人関係は、

患者さんくらいですから、

地元の方との・お付き合いは、

ほぼ皆無ナンです。

こんな私でも、

心の癒しが欲しい時があります。

タフガイの見本みたいに、

勘違いされている私ですが、

振り返る時も・在るんですよ。

【涙とともにパンを食べた人間でなければ、

人生の味はわからない】

ゲーテの言葉です。

鏡に映った姿が・美しくあるためには、

涙で洗われた瞳を持つ事でしょう。

様々な想いを経験し、

それでも、

前へと進んでゆくことで、

人生の味って・モンが発散されるのでは。