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私の診療所が外注歯科技工である理由

 私の診療所に於いては、
歯科技工物は全て外注である。 

 其のために
毎日、宅配業者が出入りする。

 外注先は、
県外と海外、即ちスイスである。

 開業してから、
ずっと院内に歯科技工士を雇用していたが、
結局の処、
カリスマ技工士に
仕事を任せた方が
結果オーライであった。

 有名に成るには
其れなりの理由がある訳である。

 カメラ画像と、メールでの
やり取りの方が、
直に患者さんの口の中を見せて
説明した近くの技工士よりも
良い仕事をする事に
当初は、
憤りを感じたものである。

 が、出来ない技術屋に
腹をたてても致し方無いので、
今は穏やかな気持ちで
仕事をするために
確かに不便ではあるが
外注となった。

 良い歯科技工士は
矢張、頭も良い。

 何故此のような良い高校を
卒業しながら?と
不思議になるくらい
学歴も申し分無いのだが、
気の毒な事に
馬鹿な歯科医の下で仕事をされている。

 勉強、其れも
歯科の商業誌や耳学問では無く
きっちりと論文を
熟読されている。

 此のような良い歯科技工士と
一緒に仕事が出来る機会は
誠に幸運である。

歯科に於けるCAD/CAMの現状

 何事もトラディショナルを旨とすべしが
信条の私である。
 
 歯科治療に於いても
従来型の鋳造修復を
普遍的と確信している。

 しかしながら時代は
私の意とは別の方向へと
走りだし、
確実にCADの道を辿るであろう。

 いっぱしの歯科医や
歯科技工士に成るには
苦労を味わう
辛苦の修行時代を
経なければならぬ。

 3Kと云われる歯科の業界に
入ってくる若者は
確実に減少するだろう。

 又、近頃の金属の価格の
上昇には、ほとほとまいってしまう。

 かような訳で、
時代はCADを求めているのだ。

 某メーカーのCADの開発の
手助けの最中の
私の診療所である。

 私見だが、
香川県の歯科技工士の
トップレベルを凌ぐ位までは
こぎ着けた。

 が、日本のトッププロの仕事は
未々、道遠しである。

 歯科技工に於ける
CAD/CAM臨床は国策である。

 今はカタログだけ眺めて、
数年後の完成まで
待つが良かろう。

歯科保存学

 私の専門は歯科保存学である。

 私の行う歯科治療は、
全てが歯科保存学が根幹となっている。

 今は全盛のインプラント治療である。
骨結合タイプのインプラント治療は
ブローネマルク.システムインプラントが
代表であり、
現在に於いては
ストローマン.インプラント、
アストラテック.インプラントが
北米、欧州のシェアを占める。

 私の講演活動を鑑み、
私のインプラント治療に対して
正面切って
理屈を述べる歯科医は
四国には居ないと自負する者である。

 ノーベル.バイオケア社が
ノーベル.ファルマ社と名乗っていた時代から
私はインプラント治療の講演活動を行ってきた。

 当時はブローネマルク博士の理念に
裏打ちされた良き時代でもあった。

 スウェーデンの
イエテボリ大学とブローネマルク.クリニックに於ける
インプラント治療の中心が、
アストラ.テック.インプラントに重きを置いたに伴い、
私の臨床と講演活動は、
アストラテック.インプラントへと
代わっていった。

 インプラント治療は、外科治療ではない。
確かに、インプラントを埋入するには
外科処置は必要ではあるが。

 最も大切な事は
基本理念である。

 私のインプラント治療の成績は
歯科保存学に裏打ちされたものである。

 何が尊い、大切な勘所であるのか
歯科医も、
治療を受ける患者さんも
再考する時であろう。

インプラント治療再考

 私は既に初老である。
 
 インプラントの臨床を始めて、
既に四半世紀が過ぎ去った。

 オッセオインテグレーション.インプラントの
夜明けの時代であった。

 当時はノーベルファルマ社と云う社名であった
現在のノーベルバイオケア社は、
いよいよ我が国に於いても
本格的にインプラント治療を普及すべく
のり出した時代であった。

 机上だけの講習会では
なかなか、インプラントの勘所が
歯科医師の先生方には
伝わりにくいと云う事であったと認識している。

 実際の患者さんの協力を得た形の
実践トレーニング.コースが開始された。

 本邦に於いて初めての此の企画は
ステップ.バイ.ステップ.コースと
名付けられた。

 担当は、
東京が寺西邦彦先生、
大阪が伊藤雄策先生である。

 翌年から、私も担当となり、
主に地方都市から
オッセオインテグレーション.インプラントの普及活動を
開始した。

 私共は供に、
ブローネマルク博士の精神を守る医療の学徒である。

 人という生体組織を貴としむ者である。

 昨今のインプラント治療の現状を憂いている。

 私はインプラント治療に於いては
純チタン製のインプラントしか用いない。

 最近流行りの
チタン合金のインプラントは使用しない。

 確かに合金は、機的物性に於いて優れた数値を有している。
が、細胞毒性がある事を忘れてはならぬ。

 生体の中に埋め込んでしまう異物である。

 若い歯科医は、
もう一度、
ブローネマルク博士とアルブレックソン博士の
研究論文を熟読されるがよかろう。

旧くても確かな治療

 台風が過ぎ去り、
秋の気配が漂い始めた東雲に
マリリンの散歩を
早めに終わらせて
診療所へと急いだ。

 昨日は荒れ狂う天候のなか、
歯科衛生士の宮田君が
橋を渡って関西迄
歯科矯正に出掛けて行ったが、
交通機関の乱れで
さぞかし
くたびれたであろうと、
朝一番の手術の準備を
代わってしておこうと
思い立ったのである。

 時代はデジタル化に
突き進んでいるが、
私は未だアナログ派である。

 CTは仕方ないが、
その他のレントゲン写真の現像は
あくまでも、
現像液と定着液を使い、
其れも、
自動現像機ではなく
自らの手現像を
貫いている。

 皆一様に驚くが、
コダックのフィルムには
此の方法が一番合っている。

 加工の出来る、
見えすぎるデジタルレントゲン写真は
却って、
誤診の原因となる時がある。

 今は亡き歯内治療の大家であった
浅見保子先生の御研究の結果通りの
現像方法が
歯の仕事には
最適であると確信している。

 歯内治療の言葉序でに
私の歯内治療も
古典的な手法である。

 ラバーダム防湿に拘り、
機械的清掃拡大はハンドインストゥルメントにて、
化学的清掃拡大も伝統的手段である。
根管充填も、
当然の事ながら
滅菌練板を使って、
ガッタパーチャポイントを
カャナルスでもってである。

 此の何十年、
様々な新手法が紹介されてきたが
伝統的手段を
凌駕出来る核心的方法でないことが
次々と
目新しい方法が
生まれてくる原因である。

 臨床家は
浮気せず、
確たる技術を身に付ける
謙虚さと、
毎日の積み重ねが
肝要である。

 朝一番に交換した
現像液の温度が
そろそろ安定したであろう。

 さてと、サーモスタットの目盛を
調整するとしよう。

畑矯正歯科医院

 今日は歯科衛生士の宮田君が
兵庫県川西市の畑矯正歯科医院へと
歯並びの治療を受けに
出掛けているので、
患者さんの入れ具合を
控え目にしている。

 台風でもあるし、
好都合であったが、
宮田君の道中を
案じている。

 私は矯正歯科は
専門外であるので
畑医師に依頼している。

 もう15年の付き合いである。
畑医師の矯正治療は
正確な位置へと
歯を移動させる。

 素人目には
判らぬだろうが、
畑医師の矯正治療は
群を抜いて
秀でている。
 
 又、畑医師は
決して患者さんに媚びない
信念の歯科医師である。

 サービス業的な要素が大きくなり、
本来の医療の本道から
反れつつある昨今の歯科業界である。

 畑医師は矯正歯科の王道を
歩く強いひとである。

 此のような希少となった歯科医師の
仕事は誠に清々しい心持ちとなる。

 遠くても確かな治療を受けて頂く為に
私は専門外の治療には
決して手を出さないし、
間に合わせの医師には
自分の患者さんを託さない。

 大勢の矯正歯科の治療を拝見したが、
未だ畑医師を凌駕する
治療に接した機会はない。

 そもそも矯正歯科と
一般歯科との両立は不可能である。

 其れは、各々の治療の視点が
異なるからである。

 標榜に、アレヤコレヤト標記している診療所と、
肩書きを読めぬほど列挙している医師は
間違いなくヤブ医者である。

 専門職に就く人間も
治療を受ける患者さんも
ソロソロ見る目を体得する時である。

美しくない歯科のホームページ

 私が歯科と云う仕事に
就いている為か、
はたまた、
私の生まれ育った環境のせいか
定かではない。

 私は見映えの悪いものは嫌いである。

 歯科の仕事に纏わる物事一切は
勿論の事ながら、
私の綺麗好きは
全てに渡る。

 但し、
綺麗処と金額の高いとは
別物である。

 先の東北震災に遭遇し
私の人生観は一変した。
この世に在る物、
全てはかなきものと悟って
処分して売却してしまったが、
当時の私の愛車は
1967年製の
アルファロメオの
ジュリア1600ccスプリントGTであった。

 ホイールから全てが
当時のオリジナルの逸品であった。

 グランツーリスモを顕すGTと云う
言葉も此の車が最初のものである。

 今のデザインからは
考えられない位に
地味な出で立ちであるが
美しいスタイルである。

 私は値の張る
マセラティやポルシェ等は
好まないし、
歯医者風情の
はな垂れ小僧の私には
分不相応でる。

 今は値のつかない
古車ではあるが、
私には格別なる
宝物であった。

 歯科のホームページを眺めて観れば
品格無く、
知性無く、
教養無く、
センスに欠けたもの
甚だ多しである。

 歯科もっとゆとりを持たねば
滅びてしまう。

歯医者が全て、悪では無い

 高松市は又もや豪雨である。
昼休みに外食して
診療所へ帰ると、
歯科衛生士の宮田君が、
雑誌を読みつつ
昼食を採っていた。

 或人からの頂きものの雑誌であった。

【もう騙されない 歯医者の裏側】
と、題された、
週刊ダイヤモンドであった。

 興味深かく拝見させて頂いた。

 で、感想はと云えば、
当たらずとも外れとも云えず、
であった。

 が、別段、
私は金儲けがしたくて
歯科医になった訳ではない。

 嫌みではないが、
私は裕福な商家の
生まれ、育ちである。

 家業を継いだ方が
豊かな暮らしが出来た。

 ズーと
歯の魅力にとりつかれ
今に至って生きている。

 歯科医が増えようが
私の仕事が無くなる訳ではない。

 そもそも他人の職業を
収入ありきで
云々するなど
浅ましい行いである。

 先の東北震災の年は
私の診療所は悲惨な目に遭った。

 関東地方の患者さんが
消えてしまったのだ。

 当然、売り上げは激減するは
手持ちぶさたで
退屈至極であった。

 余りの馬鹿さと価値観の違いで
辞めて貰ったが、
震災以降に勤務した従業員は
金を稼ぐのが貴い行いと
信じて今までを
生きて来たのであろう!

 其の時分の私は
此のような
医療の心をも判らぬ素人から
馬鹿にされる位に
暇であった。

 今思えば
人生の充電期間であったと思っている。

 但し、いくら収入が激減したとは云へ、
私は治療の手を抜いた事はない。

 時間があるなら在ったで
自身の治療を再評価し、
じっくりと
症例と向かい合う事が出来た。

 私は他人の為に
歯の仕事に就いたのではない。
私は私の遣りたい仕事をしているだけでる。

 私の母校の日本歯科大学は
良い教育を実践している。
教官達も
世間の他人は
信じて貰えない位の
薄給で
将来の歯科医の教育に能っている。

 日本歯科大学は
国家試験の予備校ではない。

 マスコミも
興味本位で書くも良かろう。
が、
ペンは何よりも大きな力を持つ。

 国家国民の為の
歯科100年の実績を
破壊する行いは
マスコミの
心の持ちようにも
懸かっている。

 但し、悪い歯医者が
増えたのも事実である。

接着歯学 VS 従来型歯科治療

 虫歯になった際に、
罹患した歯質のみを除去し
歯質接着剤を利用して
最小限の侵襲でもって
歯の修復を行えるのが
接着歯学の最大の利点である。

 此の考え方は
新しいものでは無く、
1955年にブーノコア博士の研究を
端としたものである。

 この際に博士は
歯のエナメル質に対して
85%のリン酸水溶液を用いて
エッチング処理を行い
有機複合材料を歯との
接着をはかったのである。

 現在、リン酸水溶液の濃度は
おおよそ35%程度の濃さに落ち着いている。

 歯に対する接着と云うテーマは
歯科保存学の守備範囲である。

 私の専門は歯科保存学である。
であるから、
私の研究論文には
接着関係のものも多い。

 が、私はレイモンド.キム先生から
臨床歯学の基礎を学んだ
レイモンド.キム.ファミリーの一人でもある。

 キム先生から、
決して新しいものを否定する事はないが、
新しいものに頼らずとも
確かな治療成績が獲られる
確実な手法を身に付けろと
学んだ者である。

 一見、
接着歯学と従来型歯科治療の間に
矛盾があると
思われるかもしれぬ。

 が、其れは
いたって未熟な考え方である。

 接着歯学も
歯科保存学の範疇にある事を
鑑みれば、
より歯組織に優しい手当てで
治療に応用出来るからである。

 私はリン酸水溶液等は
エナメル質に対してしか
使う事はない。
歯のコラーゲン繊維を
こっぴどく迄に傷める
暴挙は、
歯科保存学を学んだ学徒には
到底、出来ないのである。

 歯科医師は
科学者であるべきである。

 様々な水溶液による
歯の処理は、
歯の治療の全ての過程に於いて
必須な下仕事である。

 此の辺りの配慮と
大きな視点にたった診療とは
意味が違う事に
気付くべきである。

 過った手当ては
かけがえのない歯に対して、
小さな親切、大きなお世話に
なるであろう。

池波正太郎展

 最近は歳をとった為か
上京するのが億劫になった。

 其れでも、
仕事で否応なく
出向いて行く時は、
夕刻、
並木通りの独り歩きと
贔屓の料理屋で
冷や酒一合位に控え目にしての
料理と店の主人の仕事姿を
眺める方に
重きをおくようになった。

 週刊紙等は
殆ど目を通す事の無い私であるが、
今朝がた、久し振りに
近くの喫茶へと
モーニングの朝食を採りに行った際に、
開いた雑誌の見出しに
思わず手を止めた私である。

 【池波正太郎展 9月9日迄 銀座 松屋】

ー 仕舞った! 知らなかった! ー

 私は池波正太郎氏の著作の殆どを
所有している。
自慢ついでに
私は氏の著作の大半は
其の台詞も諳じている。

 が、其れでも
気の向くままに
書庫に整然と列べた氏の著作を
手にして、
何度となく読み込まれた
其の著作を
床に寝そべり
再び、其の世界へと
旅をする。

 思うに、
歳を重ねる度に
医者や歯医者との
交際の輪が拡がったのだが、
私のなかで
尊敬に値する歯科医は
麻布の内藤正弘先生、
東大阪の本多正明先生、
新大阪の伊藤雄策先生位である。

 皆、歳をとってしまったが
間違いなく
本当の歯医者である。

 医師については
此処では多くを語れないが
保険制度の中で
育って来られた専門職と
欧米の医師を
比較するのは酷であろう。

 国の統制の中で食える
職業程に
恵まれたものはない。

 其の様な居心地の良い環境下では
人間は
全力投球は出来ないものである。

 池波正太郎氏の言葉に
【仕事は独りでするもの】
至極、最もな話であるが、
恐らく、
我が国に於いて
健康保険制度が壊れたならば
独りで食べていける仕事をしている
医師、歯科医師は
殆どを居ないのが
現状であろう。

 昨日、新たに取り引きに訪れた
歯科材料会社の営業マンが
緊張した面持ちで
自費診療のみで
田舎で食ってきた私を
周囲の同業が
羨んでいる等なり、
診療所の趣に
頻りと感心していたが、
実際は
其ほど甘いものではない。

 私はスタッフは勿論の事、
歯科機材、歯科材料から
メーカーの体質、人間、
果ては
来られる患者さんについても
吟味して
今にある。

 変人、変わり者、
挙げ句の果ては
歯のキチガイ呼ばわりされる事
ままあれど
私は歯の世界で
伸び伸びと
楽しんでいる。

 やはり、今週の何処かで
日帰りで
銀座の松屋へと
出掛ける決心がついた。