月別アーカイブ: 2013年9月

昔の匂い

 夜の宗衛門町は
相変わらずの人混みで
賑わっていたが、
露店の椅子に腰掛けて
行き交う人の会話に
耳をすましていたら
大陸からの人間の
言葉が多いのに
驚かされた。

 通りを三寺の方角へと入り
エイトワンビルはす向かいの
十字路辺りへ
差し掛かると、
昔であれば
通りにたむろする
初老の黒服達から
挨拶をされたものだが
皆、遠い手の届かぬ世界へと
旅立ってしまった。

 今では、
髪を染めて
肩までに伸ばした
服装もだらしない
若者が
ホストと云う
私の様な者には
理解し難い
生業を名乗って
ビラ配りに
精をだしている。

 確実に
昔のミナミの夜は
消えてしまっていた。

 と、後ろから
名を呼ばれ
振り向いて観れば
引退したと云う
バーテンダーが立っていた。

 なんでも奥方と
小さな小料理屋を
細々と営んでいると云う。

 懐かしさの余り
其の店へと。

 僅か両指に満たぬ数程の
椅子しか持たぬ
小さな小料理屋であった。

 純和風の店で在ったが
目の前のカウンターに
静かに
出されたジントニックに、
此処だけ
昔の匂いがした。

情報は自分の眼と耳で

 早稲田大学の学生である娘から
パパの日本語は英語みたいねと、
今は亡きウルフ.ニルソン博士と
英語で話をしていたら
グサリと
傷つく一言で
胸を傷めた事があった。

 中学時代から
夏休みはイギリスで
高校の時分も
休みが来れば
イギリスでの
娘にとっては
父親が成人してから
アメリカで覚えた英語等
耳障りな雑音でしかなかったのは
当たり前かもしれない。

 この様な生意気な娘であるが
大学3年の時に
西海岸で
一年半程過ごした事で
父親の訛りに対して
少しばかり
理解を示す様になったかもしれない。

 歯科医学の
アメリカ追従姿勢は
相変わらずである。

 善きに悪しきにつけ
英語が出来ねば
歯科医学の正しい情報収集は
不可能である。

 或訳された外科の書物を前にして
驚愕した事があった。

 随分と都合の良いように
変えて訳してあった為である。

 この様な事は
意外と多いのが
現状である。

 今、アメリカの歯科業界では!等と
あたかもトレンドの様な
持て囃されている治療方法が
何の事はない
極一部の
跳ね返り群の推奨するものである等と
云った事など知らずに
躍起になって
失敗へ
まっしぐらの歯科医師に
憐れみを感じてしまう。

 情報と云うのは
人を介さずに
直接に
自分の眼と耳で
触れなければ
正しいものではない。

 特にインプラント治療については
特に此の傾向が顕著である。

 先日、患者である
某医師の奥方が
倅が私の母校に入学するのは
父親の陰を鑑み、
窮屈至極であるから
他所の歯科大学で
教育を受けさせる巾との
アドバイスが在った。

 一理ある。
が、私は日本歯科大学の教育は
其の名の通り
日本一であると
確信しているので
此れは
其の助言に従う訳にはいかぬ。

 其れならば、
倅が学費の安い国立大学に合格したら
如何と尋ねられても、
私は其ほど金には
困って居らぬ。

 倅の教育は
国に等頼らず
自分でするわィと
本心から
かように思っている。

 歯科業界で30年以上生きている
私の答えである。

しみじみと

 患者さんから
信心深いと云われる事
しばしばの私である。

 診療所の入り口には
出雲大社の御札、
診療所の四隅に
伊勢、猿田彦神社の珠を吊り下げて
それらに自然と
患者さんの目が
往くからかもしれぬ。

 院長室の私の机の脇には
観音様を御祭してある。

 自分では信心深いとは
特別、思ってはいないのであるが。

 私は幼い頃より
身近な処に
神様と仏様が
居られた。

 幼い頃より
神様と仏様が
何時も護って下さっていると
信じていた。

 その様な訳で
私は起床すると
必ず
お経を唱えてきた。

 信仰が習慣となっていた。

 私には所謂、新興宗教は
判らない。
自分の身体の中に
流れる血の基を辿って
ご先祖が信じた神様と仏様を
御祭するが
長男の役目と
信じての事である。

 変こつ者と云われる私であるが、
天に仰いで
やましい行いだけは
しないでこの歳迄
辿り着いたのは
やはり神様と仏様の
お陰であろう。

 私は人の身体を診る仕事をする者である。

 医師、歯科医師に必要な条件には
様々在るが、
私は他人に流されない
確たる哲学を
一番に挙げたいと思っている。

 その為に
私にとって信仰が
其の裏付けとなっていた様に
この歳になって
しみじみと
感じるのである。

慌ただしい此のところ

 今朝は驚く程に
冷え込んだ朝であった。

 何時もであれば、
寝起きのままの格好で
マリリンを散歩に
連れていく。

 クローゼットから
上着を取りだし
首をすくめて
表戸を開けた。

 東の空が
格子状にオレンジがかって
まるで万華鏡の様な
空模様であった。

ー 今年の秋は、思いの外、
    短いかもしれない ー

 あまりの時間の過ぎるの速さに
戸惑ってしまう。

 今週末は
少しはゆっくり休もうと
考えていたが、
急な仕事で
大阪へと
出向く羽目となった。

 暇なのも
ヤルセナイが、
此のところの
忙しさに
少しはごろ寝に
転た寝しながらの
時代劇鑑賞といきたいものである。

綺麗処は覚悟の証し

 私の診療所へ
お越しになった事がなくとも
ホームページにて
私の診療所を観たならば
単に綺麗な処とは
思わないで頂きたい。

 効率的な医院を第一とするならば
私の診療所のスペースがあれば
治療椅子は優に20台は
置けるであろう。

 私の診療所は
治療椅子は一台と
手術室のみである。

 此れが私の仕事に対する
取り組み方である。

 ホームページでの上位にある
歯科医院のごたくは
どうでも良い。

 眺め序でに
医院の中をよーく
御覧になって頂きたい。

 私には
あれほど沢山の患者さんは
マトモに拝見出来ない。

 私は
患者さんは
少しで良いと思っている。

 私にとって大切なのは
良い仕事を
良い環境で
全う出来る事だけである。

癒し系

 私の様な
どちらかと云うと
精密仕事に就いている人間は
自分を常に鼓舞せねばならない。

 気を張り詰めて
息を殺して
器具を持つ。

 瞬間に
自身の五感を
研ぎ澄まし
器具を持つ。

 その様な暮らしを
長い間
続けていると
身体の疲労感が
なかなか取れなくなってくる。

 時折、その様な私の心を
和ませてくれる
何気ない
柔かな人柄をもった人に
救われる。

 四国中央市には
龍の棲む山と云われる
仙龍寺と云う
由緒正しき寺が在る。

 寺の女将は
正にその様な言葉に
当てはまった人柄をお持ちの人である。

 昨日、この女将より電話が在った。

ー先生、近頃は涼しくなった為か、
  早朝より、巡礼の方が大勢、
   お越しになりますが、
     住職は朝一番から
       何を申すかと言いますと
            この様な事を
             言うのでございますのよー
  
ー 朝一番に
    大変美人の方がお越しになった。
     朝から良いモノを観れば
      気分がいいわぃー

 女将にはコメントできなかったが、
思わず、心を和ませた私である。

三枝デンタルオフィスからのお願い その2

 前からも何度も
同じことを
申し上げているのだが、
私は1日に大勢の
患者さんを拝見していない。

 又、毎月
新潟での仕事があるので
ズーと、
高松の診療所に
張り付いている訳ではない。

 時間が限られている。

で、そのなかを遣り繰りして
診療している。

 ご希望の日にちに
予約が採れないと言って
不機嫌になる方や、
予約を採っておいて
何度も変更する方。

 この様な方は
何故か皆が
私が治療を開始する前の
本当の意味での
私の患者さんで無い方ばかりである。

 私の患者さんは
皆がキチンと
なさっておられる方ばかりである。

 私は結果平等主義である。

キチンとされておられる方に
私はキチンと対応の
紳士のたしなみで接している。

 単に綺麗な診療所で
治療を受けたいだけの方は
来ないで頂きたい。

 私の診療所は
私の満足する私のやりかたで
対応する為に
全てを計算して
プロデュースされている。

 窮屈だと感じられるのであれば
歯医者は
ゴミの山盛りの様に在る。

 私はワザワザ来て頂かんでも良い。

三枝デンタルオフィスからのお願い

 2年程前までは
私の診療所では
御紹介の方のみの
診療だけと
させて頂いていた。

 方向転換した訳は
私の負けん気の強さが
私の中で
俄然と
沸き立ったからである。

 又、昨今のインプラント治療の実態に
秘かに胸を傷めて、
開発者の想いを
受け継いだ
確かな手法を
世に周知させる為である。

 が、大いなる誤算も在った。

私は患者さんのアポイントメントは
同一時間には
お一人のみと
決めている。

 歯科の仕事は
手作業である。

 椅子を何台か並べての
掛け持ち治療では
衛生上も良くないし、
第一、治療に集中出来ない。

 私の診療所は
クドイ様だが
本当に困った時に
思い出して頂きたい。

 気軽に小腹を満たすに程よい
回転スシ屋ではない。

 私は変こつ者の職人である。

恐くて結構!

 但し、仕事はキチンとさせて頂いている
自負はある。

 御自分にルーズなのは
責めはしないが
私に対しては
時間厳守は
守って頂きたい。

 仕事でも全てに於いて
時間にルーズは
成功者には
程遠い。

 かような訳で
ルーズな方は
私のみならず
忙しい中を
遠くよりわざわざと
私の処へと通って下さる
患者さんにとっては
迷惑以外の
何物でもない。

 その様な方は
私の患者さんではないので
私には責任が無く
ただただ怒り以外の
感情はないのである。

 自身で他人に迷惑を掛けて
恥を知らぬ人の
治療をする気には
更々なれないし、
その様な人から観れば
私に診て貰う気持ちも
無いであろう。

 其れならば、
最初から
予約など採らんで頂きたい。

 きつい口調で申し訳無いが
非常識なる人の在るに
些か腹立たしい。

萬代橋

 院長室の机の脇の壁には
萬代橋のカレンダーを
視線の高さに吊っている。

 年の暮れともなると
柾谷小路の万屋にて
楽しみにして購入している。

 月毎に
大信濃を跨ぐ此の越後のシンボルの
表情様々なるを
今年は
中村脩氏が撮影したる
傑作である。

 診療に疲れた時に
大信濃の川面の陰影に
誠に清々しい心持ちと
私を切り替えてくれるのである。

 私が新潟での住まいを
窓から
此の萬代橋が眺められるを
第一の条件としたのは
云うまでもない。

 私は生在る限り
此の街と
日本一の大河と萬代橋に
心を拠り所として
暮らすであろう。

ダイレクト.ボンディング その3

 昨日の続きの話に戻る。

 ダイレクト.ボンディングと云う治療は
昔で云う処の
コンポジット.レジン修復である。

 此の修復法に供される材料は
此の数年で
飛躍的進歩を遂げた。

 此の結果、
色の再現方法を
確実に習得出来たならば
最少の歯の削除で
天然歯の模倣が
可能となった。

 普及しない訳は
歯科医師サイドの都合に
依るところが大きい。

 則ち、
完璧なるカラーマッチの自信がない、
加えて、
口の中での作業での
歯の形を再現する技量が無いと
言った処である。

 しかしながら、
これ等を克服出来たならば
患者利益の大きい
ダイレクト.ボンディングである。

 忘れてならないのは、
此の名の顕す通り
修復物が直接に歯と
セメントを介在せずに
接着する為に
歯と修復物の間に
隙間が無いのが
此の最大の利点である。

 人材難の歯科業界である。
余程の匠、歯科技工士の手で
造られる人工歯で無い限り
私は自身で彫刻したる
ダイレクト.ボンディングに
軍配を挙げて仕舞うのである。