月別アーカイブ: 2014年7月

世も末

朝の通勤途中の車の中で、テレビのワイドショーを聞き流していました。

【家事ハラ】だそうです。

家事を好意で手伝おうとする亭主に対しての、主婦の手厳しい言葉の応酬をそのように呼ぶのだそうです。

様々な事例が、紹介されていました。

思わず吹き出してしまった私です。

と云うのは、全ての事例を経験済であったからです。

その様な時に私は、内心でどうしろと云うんじゃい!と叫んでいます。

口にこそ出せば大変な事が起きるのを、身をもって経験しているからです。

なん十倍にも成長して返ってくる応酬が定期の金利であったなら、世の中どれ程に幸せになれるでしょうか?

応酬の間ひたすら私は、新潟までの北陸道のサービスエリアの名前を心の中で順番に復唱します。

但し、我慢に我慢を重ねて爆発する事もしばしば。

若い時分には、これでもモテたくちでした。

あの頃のバチが当たったに違いないと、当時に泣かせた女の子の顔を思い出しながら、
申し訳なかったと、謝罪の日々を送っていましたが、
テレビを観て、
なんじゃ俺だけじゃないんや!みんなもそうかい!

天罰ではないと安心するやら、一体世の中どうなっているのか!

世も末と考えてこんでしまいました。

娘と二人で

仕事を兼ねての久方ぶりのシンガポールでした。

30代の頃は、毎年の様にこの地に休暇でノンビリ過ごすのを常としておりました。

この10年、我ながら、がむしゃらに走ってきたと思います。

常宿であったホテルに着くと、思いがけず、お帰りなさいと声を掛けられました。

何故か心が暖まり、これが本当のホスピタリティだと‥‥。

小学4年の娘を学校を休ませて、伴に引き連れてきた今回の長旅は、
娘にとっては貴重な体験となった様でした。

引っ込み思案である娘でしたが、ホテルのスタッフとも仲良くなって、
日本からのテレビ番組製作の現場にも、急遽、娘も出演するハプニング!

ホテルのスタッフに手をひかれ、撮影現場へと向かう娘を見送りながら
連れてきて良かったと、これまた親バカ振りを発揮した私です。

ー お嬢ちゃんはムービースターの様でした ー

親バカが木のてっぺんにまで登った私です。

帰国の際に、仲良くなったスタッフ達が並んで娘を見送ってくれました。
笑顔でのお見送りとは違って、涙目で見送ってくれた事を娘は忘れないでしょう。

ー パパ、また連れて来てね!シャングリラへ、絶対!! ー

ある夜の出来事

台風の到来で、明日の朝のフライトを気にしつつ空港に隣接したホテルのベッドに倒れこみました。

部屋にマッサージを頼んで、身体を預けていました。

ー お客さん、どうされたんですか?凄い凝りで!ストレスですか?仕事?それとも家庭? ー

ホテルのマッサージにしては意外に上手いと内心で感心しつつ、口数も多いオバチャンは
いっこうに手と口が休まることをしりません。

ー 五十も過ぎれば色々あってね ー

日系アルゼンチン人として、遥か異国に産まれ育ち、生涯孤独と云う老婆の身の上話はいっこうに休まる処をしりません。

ー でもねお客さん、一番めんどうなのが人間関係!軋轢を生まない方法があるのにさ! ー

?????

ー それは感謝の心! ー

古い体制の医局育ちの私としては

【今時の若い奴は‥】と云う台詞が出たら、それは歳をとった証拠であると言われます。
せちがない昨今、住みにくい時代となったと感じる私も、初老を迎えたからでしょうか?

私の様に、古い体制の【医局】で教育を受けた人間にとって、なにかと肩身の狭い昨今です。
医局の体制は、表向きは今も昔も変わりません。

医局の頂点に君臨する教授は、研究、教育、臨床の全ての総監督で、
博士号の授与に関する権限はもとより、治療方法や材料、機材の選択権は云うに及ばず、   
気にくわない部下等は、関連病院等へ簡単に飛ばせる位の力をゆうに持ち合わせています。

教授の下が、今で云う準教授である助教授で、その下が講師、ここまでが所謂幹部教官です。
医局を支えるのが大勢の医局員で、医局長を頭として助手が大半を占めて、その下に補手、副手、聴講生、研究生と続きます。

当然のことながら、力のある教授の医局には大勢の医局員が集まります。
それはそれは、独特の匂いのある集団と言えるでしょう。

上の言うことは絶対である社会で、不条理極まりない窮屈な処と言えるでしょう。

手術にしても、診断にしても、ある種のテクニックを必要とされます。
これには見本の様な理想の形があり、兎に角その理想形態にいかに近くもっていくかが勝負処であり、
皆がその事に凌ぎを削る訳です。

手術が上手な先生とは、兎に角も何も、理想の形を実践できる医師の事に他なりません。

研究にしても、最初はビーカー洗いから始まり、この過程で徹底的に綺麗さ、丁寧さを叩き込まれます。

酷しい医局とは、高級料亭や鮨屋の修業の様な処と考えて結構です。

手術中に上司から足で蹴飛ばされる事などしょっちゅうで、今時のパワハラ等とほざいていたら、
技術を取得する前に、医局からの場外ホームランである事は確実でした。

私の様に、博士の学位を取得するを目的とする大学院の人間は、更なる不条理との戦いに挑まなければなりません。
なんせ相手は、此方が博士になるまで耐えねばならん!との意識をもってを十分に承知しております故に。

但し、良い面も大きかった様に後になっては感謝しています。
他人から几帳面、丁寧、潔癖、完全主義者と云われる程に
雑さからは開放された性格に矯正された事は、人の身体を預かる身としてはとても重要な要素の体得できたと喜んでいます。

こういう処で学んだ者、学ぶ者は、同じ釜の飯意識がとても強くなります。
これが良い方向へ向けば、最強の軍団として力を発揮します。

ですから、同門からの裏切り等はあるはずもなく、皆が安心して他組織と戦う事が出来るのです。

但し、悪い方へ向けば、組織内の隠蔽めいた問題が生じます。

この様な処で学んだ者は、信じる者は徹底的に、かばう者も徹底的にの姿勢が顕著だと言えます。

こういうのをファミリー意識が強いと云うのでしょうか。

ですから昨今の、直ぐに寝返る、直ぐにチクる、疑う、居直る等の人種とは縁の無い環境で育成されるために
世にでてから騙される、人を観る目がない的なドツボに嵌まる人も多いのが現実です。

俗に云う処の、先生と呼ばれる奴にろくな奴は居ないとか、医者は幅の狭い人種である等との逆風に
堪えて忍んで、患者さんを観る毎日を送り続ける定めとなるのです。

しかしながら誠に人とは勝手なもので、医師としての腕は上へ上へと願うのだけれど。
世間並の楽しみや煩悩を捨てての芸一筋でなければ、凡そ腕など良くなる筈もなく、
それでいて了見狭いや、人間に問題があると木っ端微塵に叩くに頚を傾げてしまいます。

私などは、成りたくてなった歯科医の道でありますが、それでも多くのものを犠牲にしたと後ろめたい気持ちです。

他人の意見は真摯に聞き、受け止める方ですが、マトモな意見が少ないのも現実です。
厳しい、しんどい道を歩いてきた者は、楽チン類の匂いなどは直ぐに感知してしまうからです。

理想論は云うに易し、ただ、理想などからほど遠い処でも、【判った奴】とは意外と少ないものです。

まして私などは、佛様や神様からお誉めを頂ける様な人間ではないことだけは認識しているので、
芸の修業に己を置いて、しかも窮屈至極な女子供の喜ぶ人などには決して成れないことは
更に承知の介の舞台の袖と言えましょう。

長々と書き綴ったのは、明日の台風到来の最中、一路関西空港へと向かう列車の道中の徒然に、
最近のはらわたの煮えくり反りようが治まらず、と言って此からは貝のように閉ざして行こうとの決意にて
ノートパソコンを叩いての呟きと思って、読み流して頂きたい。

男というもの

池波正太郎の小説に登場する人物は、それが武士であったり盗賊であったり、それは全て作者池波正太郎自身を
投影したものであろう。

ひとりの人間の中に、これ程の多くの顔があるのかといぶしがる人は、
恐らく平坦な人生を幸運にも歩む事ができた人であろうが、
私などから観れば、薄っぺらな人にしか見えず、興味の対象にもならない。

また元来、男と女は全く異なる生き物であると認識せねばならない。
かくいう私も、つい先日その事を再認識させられる小事件に遭遇した。

女は口から生まれた生き物とはよくぞ上手いこと表現したものであるが、
当の本人は、口から先に出た言葉がどれ程に、あらぬ方向へと勝手に走り出す等とは考えの及ばないのであろう。

男は、窮した時に嘘をつく。
其れを嘘つき呼ばわりされれば、男は皆が去勢せねばならないだろう。

男は外で戦う定めを持つ。
すべての戦いに勝てる男はいない。
従って男は、叩かれた時の痛みや、負け戦の情けなさを否応に体感して成長する。

この過程で自然に男は、相手を傷つけない作法を身に付ける。
こういう事が自然と出来ない男は、先の民主党政権の為政者の如く、文字通り、身体を張った仕事が出来ないのである。

男にとっての作法を身に付けたるは、時に女の好敵手にされる危険性をはらんでいる。

私は、やはりヤヤコシイ事には関わりたくないので、もう女とは更に距離をとろうと再認識したに至るのである。

鬼平ではないが、にがり顔で、煙草を吸う位の事しか出来ないが。
目くじら立てるも男の恥と、我慢の一文字である。

男とは、そう言う生き物である。

青森の神様 その3.

昨日の日曜日は、仕事で朝から大阪まで車を走らせました。

このところ高松から出る頻度が増えているせいか、少々身体に疲労感を感じます。

一通りの仕事を終えて、日が暮れてから高松までのトンボ帰り。

走り慣れて、見慣れた阪神高速からの風景も、今は乱立するビルの灯火のみとなり、
反対車線の、恐らく休日を家族連れかカップルで神戸まで遠出したのであろう車の渋滞の続くライトが
明日の七夕の天の川の如くもいつも通りです。

早く家に帰ろうと思いながら、ふと脇の携帯電話のメール着信を報せる点滅に、
誰からだろうと思いつつもハンドルを握りながら、またものメール着信に
次のサービスエリアに車を停めて携帯電話の画面に目を落としました。

意外にも、青森の木村藤子先生からのメールでした。

つい数日前に、私は初めて木村藤子先生に初めてお会いして頂きました。

本州の最北端の下北の地にまで来る事ができた幸運を、私は忘れないでしょう。

長い時間を私のためにさいて頂けた先生のご厚情を、私は忘れないでしょう。

何事も教えてもらう心構えと心の準備が大切だと、私は思っています。

素直に木村藤子先生の言葉を、私は肝に命じて、実行しようと下北発の列車に乗りました。

木村藤子先生に関する情報を知らずに私は、先生と会いました。

ですから、なんの先入観もありません。

私の先生への印象は、あぁ本当に神様にお仕えされる人であると云うものです。

仕事場に帰ってから、ふとパソコンのインターネットで、先生のお名前をキーボードで叩いてみました。

常々感じている事ですが、確かにインターネットの恩恵にはありがたいと感謝しています。

しかしながら、個人を実名で誹謗中傷する行いには、私は怒りを覚えます。
しかも、誹謗される側の人間は実名でありながら、する方の自分の事は伏せたり、匿名であったり。

この様な行為は、卑怯者の行いで、闇討ち、騙し討ちの類いと同じであると思います。

ー 先生、人に疲れませんか?人が嫌になったりしませんか? ー

との私の問いかけに、

ー 苦しんで苦しんで下北までお越しになられるお方ばかりです。心絆つく時はありますが、それも
  神様から与えられた私のこの世での仕事なのですよ ー

と、穏やかに話され、

ー 先生も一生の仕事に就けた幸運に感謝しているのだから、どのような方にも懐を開いて欲しい ー

俗世間の垢にまみれた汚れた眼では、神様の言葉を推し測ってはならないと、
少なくともこのくらいの気持ちを持たなければ、先生のお言葉どころか、
これからの人生を順調に過ごす事はできないでしょう。

色々な先生の書き込みに、それが私へのものであれば、私はとても傷つきます。
この様な、人の道に外れた行いは、絶対に慎むべきです。

無垢の絹を汚された様な、辛い気持ちになりました。

一面識も無かった私に二時間近くも時間をさいて頂いて、報酬めいたものも受け取って頂けず、
沢山のメロンを私にご馳走され、おまけに帰りにはフクロウの金のブローチを。

それでまた、メールでの私への御言葉です。

先生のような方の一言で、私は歯科の道に入りました。
折り返し地点に差し掛かったこの歳に、
先生から頂いたお言葉が、再び私の歯科医療の道標となりましょう。

私の中で、木村藤子先生は、ヤッパリ青森の神様だと感じます。

20年振りの患者さん

朝いちばんに、今日の患者さんの予定表に眼を通すのが日課です。

今朝もいつもの様に、予定表の表紙を開いて観れば
懐かしいお名前が目に入り、思わずカルテを開いた私です。

そのうちに、その患者さんがいらっしゃいました。

ー 〇〇さん、お久しぶりです。お元気でいらっしゃいましたか? ー

と、かたち通りの挨拶から始まって、お互いがお互いに歳をとったと認めつつ、
話が盛り上がってしまいました。

ー よく噛めててね、どうにもないから来なくて良いのかと思ってたわ! ー

ー いやいや、〇〇さん、半年に一回は見せてと言ったのに!ボケるの早いんじゃ? ー

ー まぁ!先生、口の悪いのはお相変わらずね! ー

ニコニコしながらの私と患者さんのヤリトリをスタッフの宮田君は、これもいつもの事と
診療の準備に勤しんでおりますのも恒例行事です。

ー で、今日はどうなさいました? ー

と、やっとの事で本題に入り、
私が20年前に造った入れ歯を落として、割れたのが再来の理由でした。

この患者さん、私が入れ歯をお作りしてからの20年間、全く入れ歯の調整を受けておりません。

昔の入れ歯を手にとって、よく頑張って働いてくれたね!と心の内で入れ歯に話しかけて

ー 〇〇さん、とりあえずはこの入れ歯をコピーして、新しいのに造り変えようね! ー

ー 先生、同じのにしてよ!よく噛めたから! ー

ー 〇〇さん、半年に一回は来てよ!今度はボケんとってよ! ー

と、再びのヤリトリに、予定の時刻を大きくうわまわってしまいました。

なにか温かな心持ちとなって、ブログを書こうと机に向かって次の患者さんを待つ私です。

青森の神様 その2.

私が歯科医を志したのは高校2年の頃でした。

幼い頃から、信仰心の厚い環境で育ちましたので、なにかにつけて近所の寺院の門をくぐり、
お地蔵様やお不動様に手を合わせる事に抵抗もなく大きくなりました。

ある時、お不動様の小さな庵でいつものように般若心経を唱えておりました処、
寺の女性の僧侶が入って来られて、私と共にお経を唱え始めました。

僧侶の叩く太鼓の響きにつられて、何時もより長くお経を唱えていたのを今でも鮮明に覚えています。

お経を唱え終ったこの僧侶は、にわかに振り返り、

ー ボク!歯医者におなりなさい! ー

と、口から出た言葉に驚いた心の内も、これもまた鮮明に覚えています。

当時の私は文学部志望でしたので、内心、今更理系に変更できる筈はないとは思ってみたものの、
どうも僧侶の言葉が胸に引っ掛かり、遂には歯学の道に大変換するに至った訳です。

かように人の人生とは面白いものです。

あの時に、あの言葉が無ければ、今の私は全く別の人生を歩んでいた事でしょう。

随分とヤンチャの限りを尽くしてきた私です。
後悔の念や、反省する事頻りで、決して他人にどうのこうの言える立場ではありません。

が、歯科の仕事だけは真面目に取り組んできたという自負はあります。

それは、心の内で、佛様に導いて頂いて就いた仕事であるという意識があったのだと思います。

私は技術の仕事と云うものは、自分との戦いであって、他の同業者との腕比べなどもっての他の事と思っています。

但し、私は弱い人間です。

他の歯科医の仕事を観て、安心したり、チョッと良い気分になる時もあります。

と言って、他の歯科医の仕事を観た処で私の技術の向上には役にたちません。
再び、毎日を自分の仕事に向かい合って、日々を過ごす事になります。

私は日本歯科大学の門を叩いてからズッと、良い歯科医になろうと思って来ました。
但し、この良い歯科医が、振り返って観れば私の中で変わってきたように思います。

今は既に黄泉へと旅立たれた先人達の書かれた診療録を手にする機会が多い私ですが、
皆が一様に、ご自身の診断であったり、技術であったり、悩む!と本音を遺されています。

私にとっての、良い歯科医を探し求めて、
本州の最北端にまで私は足を運んだのだと思っています。

強い東北訛りのタクシーの運転手さんがハンドルを握りながら、青森の神様と称した木村藤子先生は、
【歯で困った人を救うのが貴方の生きる意味!】
と、いきなり言われた言葉に私は、
私の云う良い歯科医の答えを見つけられた様に思います。

木村藤子先生は、何度も何度も私との会話の中で、涙を流しておられました。

私も既に五十を回った初老の人間です。
歯科の門を叩いてから今に至ったと同じ時間は残されてはおりません。

歯で困った人の力になるに残った時間を費やそうと、肝に命じて北の荒野の中をひた走る列車の車窓の風景を眺めながら
またこの地に来ようと思って後にしました。

青森の神様

【剣術と云うものは、一生懸命にやって先ず十年。このくらいやると多少の自信らしきものが出てくる。ところが、そこからもう十年、さらにまた十年、合わせて三十年も剣術をやると、今度はおのれがいかに弱いかということがわかる。四十年やると、もう何がなんだか、わけがわからなくなる‥‥。】

上の言葉は池波正太郎の小説での台詞です。
この中の剣術を、私の仕事である歯科道に置き換えても通じる真実だと、日々痛感しています。

歯科医に憧れて、憧れて、なりたくて、なりたくて、私はこの道に入りました。

無我夢中の三十数年でした。

未だ私は、歯科医学のなんたるかが判りません。

先日、縁が在って、本州の最北端の街を訪れました。

【青森の神様】と呼ばれているとは、ついぞ私は知りませんでした其の女性は私に、

ー 先生、歯で困っている人を救うのが貴方の生きる意味でしょ! ー

早朝からわざわざ玄関戸を開けて頂いて、沢山のメロンを切って頂いて、
長い長い時間を私のために、時には涙を流して向かい合って下さいました。

霊能者と人は、かの女性を呼ぶのだそうです。

科学を学ぶ私には、この様な現象を語る資格はありません。

しかし私は、神様を、佛様を心から信じて、毎日を手を合わせて暮らしています。

かの女性は、霊能者である前に、私は人として立派な人だと思います。

ご自宅から帰ろうとする私にかの女性は、小さな小箱を手渡して下さいました。

なかには金の小さなフクロウが‥。

そして箱の裏側には、

【この世の使命をはたすまで、やれば出来る、生きる! 木村藤子】

悩む私

先日、とある鮨屋のカウンターの隅で独り時間を過ごしていた時の話です。

歳の頃は30代後半から40までの女性が、慌ただしく入って来ました。

私の隣の予約席と書かれた処に案内され、席に着くや否や、おもむろに煙草を取り出し麦酒の注文を。

私も煙草をたしなみます。
が、料理屋、鮨屋のカウンターでは遠慮しています。
会席の場であっても、料理の味わいを楽しむ為に、煙草は料理の後で。
それは、料理人への客の礼儀だと思っています。

この店の鮨は、店主が客に出すネタの種類、そしてネタの順番を決めています。
こうして食べて頂く方が、さらに美味しいと信じる店の店主の考えに賛同する客に支えられるこの店の特徴です。
ですから、この店には値札はありません。
所謂、時価の店と云う処でしょうが、この店は予め一つしかないコースですが、御一人様幾らと値段を決めています。
コースに出されたネタが美味しくて、更に追加で注文した時には、その追加分は時価にて請求されます。
これが、この店の特徴です。

この女性客。
店主が出した鮨ネタに、突然文句を言い出しました。
出されたコハダが苦手だと云う内容で、店主が客の好みも考えずに鮨を出すのなんぞ思い上がりも甚だしいと云う内容でした。

店主は確かに、苦手なものはありませんか?と初めての客には問いかけます。
この女性客にも確かに問うておりました。
但し、問われた方が、カウンターで片手に携帯電話、もう片方に麦酒のグラス、オマケにカウンターの上の灰皿には火のついた煙草の煙が。
これでは店主の言葉など、耳に入る筈はありません。

気の短い私なんぞは、内心胸くそ悪い想いをこらえて、コハダ嫌いが江戸前の暖簾をくぐる資格など無い!などと思いながら
このヤリトリに像の耳となっておりました。

この店の店主も、本来は気の短い質だと思います。
但し、周りのお客に不愉快な思いをさせてはならじの一念と、内心この小娘ふぜいに対等に渡り合ってはならぬの抑えに抑えた感情で
静かに対応されておりました。

しかし、この女性客はいっこうに責めの言葉を止めません。

このヤリトリに終止符をうったのは、カウンターの私の反対側隅に座ったある客の言葉でした。

ー お嬢ちゃん、回転寿司でも食って来いや!あぁ、お嬢ちゃんはお金もちだったな!ホテルの鮨屋でも行って講釈垂れて来いや!
  親父さん、お嬢ちゃんの勘定は俺に付けといてくれや! ー

ゆでダコの様に紅潮した顔で、勘定位は自分で払うと云うこの女性客に、

ー 御勘定は結構でございます ー

と静かに頭を下げて見送る店主でした。

大きな音をたてて出ていったこの女性客が見えなくなった瞬間に、

ー 大変ご迷惑お掛けしました ー

ニヤリと笑い、皆にニコッとした店主に、ほとほと感心する私でした。

と云うのも、私の診療所へ来られる患者さんのなかにも、時にこの様な方が紛れ込んで来ます。

むかっ腹たつのですが、大人気ないと自身を抑えて対応しても、こういう方は一向に気がつきません。

私は本当に良い患者さんに恵まれています。

そのなかの、この様な変な人に対する対応についての悩みは付きまといます。

悪い医師も多いが、悪いお客、患者さんの類いも多い昨今に、これからの日本はどうなるんだろうと悩む私です。