月別アーカイブ: 2014年9月

今どきの‥‥?

今日お越しになられた新患の方も、そうですが‥。

今どきの歯医者さん、歯が無いところは、なにがなんでもインプラントにしたいのか!

どう診たってブリッジが第1選択でしょう!と云う症例でしたが、
前の先生の診断を真っ向から否定するのも、紳士のタシナミに反する様で。

それとなく、やんわりとブリッジの説明をしておいたのですが。

東京の鰻屋【野田岩】の親父さんが上手い表現をされていました。

ー 今は、自分が楽することが先になってしまって、うまく出来なければ、自分が悪いんじゃなくて
鰻が悪いと考える人が多いんです。そろばん勘定ばかりで、鰻を見る目もないし、手間を惜しむから技術も育たない。
‥職人は腕を磨いて、お店でないと食べられない味を追求すべきなんです。でも、それをしない職人が多すぎると思います。
自分で自分の首を絞めているようなことをしているのに、誰も其れに気がつかないんです。ー

流石は、上手いこと云うもんだと感心しきり!

鰻の部分を歯に置き換えて観ては如何?とも思えるのは、私だけでしょうか?

虎の眼

このところ新患の方が多いので、仕事が終わると疲労困憊気味な私です。

もう随分と長い間、診療に携わっていますが、それでも新しい患者さんとの出会いは随分と気を使います。

なんせ情報収集に努めないといけませんから。

歯だけを観ていては、絶対に治療は上手くいきません!

身体に潜んでいる患者さん自身も自覚していない疾患があるかもしれません。

噛み合わせには、骨格、筋肉の状態、生活環境様々が影響します。

新しい患者さんの診察には、私は虎の眼でもって対応しなければならず、と言って患者さんに緊張させる訳にはいかず、仕事が終わるとぐったりです。

経験が長くても、そんなものですよ!

何故だろう?

私は縁が在って、歯科医になりました。

歯科医と云う仕事が自分に向いているのか、いないのか等は考えたことはありません。

凡そ自分には特別な才能もなく、縁が在って就いた仕事ですから、大切に向かい合いたいとだけ考えてこれ迄過ごして来ました。

もともとが単純な性格で、自分を凡才と認識しているからかもしれません。

他に取り柄がないことを良く認識しているから、歯にしがみついたのかもしれません。

歯の世界にドップリと浸かってみて、これで良かったのかどうかも考えたことはありません。

反抗期の倅が、この夏に私を少数派と罵りました。

私はある時から自分が多数派でないことを自覚していました。

望んで多数派でなようにと意識したことはありません。

私が【良い歯医者】に成ろうと努めれば努めるほど、ふと後ろを振り向くと、
大勢とは違う境遇になっている自分に気がつきました。

結果、多くのものも失いました。

結果、人が診えるようになりました。

芸の道に妥協は禁物です。

自分を責めて、叩いて、はじめて身につくのが技術です。

今では社会人となった娘は金融機関へと就職しました。
あれほど迄に、クリエーティブな仕事に就きたいと欲していた娘ですが、
無難に食べていく道を選んだことに、何故だろう?と思ってしまいます。

これが普通?の親であれば喜ぶのでしょうが。

娘も倅も、歯の仕事は大変シンドイと感じている様です。

当の本人は、死んで生まれ変わってても再び、歯医者になりたいと思っているのに‥。

楽い仕事なんかある筈ないじゃないですか?

平坦な人生なんかワクワクしないじゃないですか?

この仕事に就いたら、将来は大丈夫!ってオモシロクないじゃないですか?

何でみんな、安心、安全な人生をなんて虫の良い考えするんでしょう?

治療に於いてもそうですよ!

患者さんへは絶対に安全で安心な治療を施さなければなりません。
そのためには、医者はリスクを背負ってメスを持ち、自分の身体を削って勉強や訓練に励むんです。

誰かを楽にさせるには、誰かがシンドイ目をみないとが判らないんでしょうか?

何でこんな簡単なことが判らないんでしょうか?

私の新潟

毎月、新潟へと通う生活も早いもので、6年目を迎えます。

皆が一様に、遠方故にさぞかし大変でしょうと労って下さいますが、
当の本人は嬉々としていると云うのが本当の処です。

高松市での生活は、まさに歯の仕事一色です。

朝起きてから夜に床に入るまで、診療とそれ以外の時間は、疲れた眼を温めたり、腕に湿布を貼ったり等の身体の手当てなどや、
文献を読んだりで、歯の仕事のためだけに生きていると、ふと、その様な生活を、これで良いのか?と考えさせられる時もありました。

新潟では、ゆっくりと萬代橋界隈を信濃川を視界にやすらぎ堤から、朝の開店準備に忙しい本町市場から人情横丁を抜けて、
途中で白龍大権現の祠に立ち寄って、小路にマリリンを繋いでナッツでいつものモーニング。
大きく尻尾をフリフリのマリリンと再び、柾谷小路から自宅へと時間をかけての散歩の後は、ゆっくりと着替えて大学へ。

夕刻には帰宅し、駅裏の丸善へとマリリンを伴って、ゆっくりと本探し。

新潟での私は、日頃の乾いた心や疲れた身体の手当てに充てていると言っても過言ではありません。

街は広大な日本海と向かい合うように形創られ、大陸からの風を受け、街のど真ん中をゆったりと大信濃が流れる新潟市は、
まさに水の都と云えましょう。

湿った大気に包まれて、穏やかな陽射しと心地よい風の中に暮らす人々もまた、性格も穏やかで人情味溢れるのは当然の結果かもしれません。

これから厳しい冬が訪れますが、雪風に頭を垂れて道歩く苛酷さが、人として現代人が既に失った大切なものを、
この地に暮らす人だけに遺せた要因かもしれません。

普通であれば、くたびれ気味になる私の歳ですが、未だに歯への強い情熱を維持し得るのは、
新潟での暮らしがあるからだと思っています。

没頭

日本歯科大学の教養過程で生物を担当されておられる岡先生へとメールした私です。

歯科大学における生物の講義と実習は、とても重要な役割を持っています。

当然の事ながら、歯科大学は将来の歯科医の養成機関です。
人の身体を診る仕事につく人間である以上、生命体の構造から仕組み、そして神秘性を学ばなければなりません。

そう言った意味で、歯科大学の1年時に学ぶ生物学は、医師になる者が最初に通過する関所の様なものだと思います。

私の学生時代には、岡先生は在籍されてはおられませんでしたが、、
私が大学に縁が在って戻ってからは、窓越しに実習での先生の指導の様を、時折眺めるようになりました。

先生の指導からは、静かな様の中に確りとした情熱があることが伝わってきます。
うちの学生達は、幸せ者だと思います。

今年の特別講義の内容の構想を練るに際して、先生から情報を得るために認めたメールです。

うちの学生達みんなにを、将来の確りとした歯科医になって貰いたいと心から望んでいます。
歯科医は美容師ではありませんから。

取り敢えずは決してない仕事です。
これから一月は、講義の構想に没頭することになりそうです。

アッサリ対応

先に公開したブログの写真が逆さまとのご指摘に、早速に確認した処、天と地が見事に逆さまな越後の平野でしたが、
機械音痴の私には、どうする術もなく、どうか逆にして越後の秋をお楽しみ頂きたいと思います。

かように私はアッサリとしています。

先のOB会に於いても、

ー ホンに先生はアッサリしてるね! ー

との言を頂きました。

自覚はしていません。

でも、仕方の無いことはヤッパリ仕方の無い事です。

治療に関して、どうしようもない位にまで、粘りに粘った生活をしてると、
後の事に関しては、仕事に支障が無いのでどうでも良いと、つい考えてしまいます。

人間関係にしてもシタリです。

誠意をもって、他意なく接していますが、それでも相手のある事ですから、
コリャあかんワ!と感じたら、スーと距離を採ってしまうのが、
私の欠点であり、利点だと思います。

無理してドウノコウノが一番望ましくない結果を生むとの確信を持っています。

凡そ人の価値観は、違う人はトコトン違うものです。

それを無理して等とは、愚かな労力の浪費でしかあり得ません。

患者さんに対しては、私は次の様に考えています。

真剣に治したいと欲する患者さんに対しては、私は粘りに粘って自分の全エネルギーを注入し続けます。

医者に対する不信感の強い方や、何故か無理ばかり仰る方、ご自分の都合ばかり主張される方、
ヤッパリ居られますよ!
このような患者さんに対しては、私はあくまでも普通に対応します。

それでも、此方の紳士のタシナミが一向に感じて下さらない方には
アッサリと、

ー 私には治せません! ー

と、お伝えして、他の医院へと目を向けて頂いています。

やはり人の営みですから。

私は、食事に出かけても、ホテルに宿泊しても、お金を出しているのだからと云う考えには賛同出来ません。

お客にもお客のルールがあり、出来ればサービスを提供する側が、サービスしやすい、と云うかサービスしたいと欲する様にと心がけています。

ズルい様ですが、その方が快適な時間を過ごすことができるからです。

この辺は、言わずもがなで、人の営みでの最低限のルールだと思っています。

上手くのせられたな!とサービスする側が思う位の気遣いは、私ら治療する人間は持ち合わせていたいものです。

ですから、ああ、この人はダメだな!と感じる場合には、
アッサリ対応が一番だと思っているのは、アナガチ間違ってないと思いますよ。

黄金の新潟

DSC_0010日本歯科大学の新潟校における保存学第2講座の創立に関わった当時のメンバーの有志が、この連休を利用して集いました。

当時の講師であった新海航一先生は、当講座の二代目の教授となられ、助教授の山口龍司先生は既に退職されていますが相変わらずの飄々とした様相は健在でした。

参加者は僅か十人程でしたが、時間はあたかも四半世紀程までさかのぼったかの如く、皆が歳を忘れて夜が更けるまで酒を酌み交わしました。

頭の薄くなった者、背中が既に丸くなった者、時の過ぎるのは残酷なものです。

新潟市郊外の岩室温泉でのひとときでありました。

この地は、万葉集にも吟われた弥彦山の麓にある温泉町です。

広大な越後平野のなかを、一路弥彦山を目指して車を走らせる周辺は、
目が眩しい程に耀く、豊かに実ったコシヒカリの稲穂の収穫の最中でありました。

鼻腔の中に拡がる日本人の命の匂いに、心が暖まりました。

青い空、耀く大地、これが正に越後の秋の代名詞と云えましょう。

若い時分の過ごし方

若い時分には、苦労しないといけませんと云うのが私の率直な意見です。

ついでに、独りで孤独な境遇に追い込むこと。

そのまたツイデが、色々な処へと出かけて、色々な人とのかかわり合いも持つ事でしょう。

その中で、頑張れる能力が生まれて来るんだと思います。

頑張れるから、継続は力なりが生まれて来るんだと。

継続できないと、何事も成功しませんから。

当然、挫折や苦境に立たされる事は屡々ですよ。

その時は、自分の原点に戻るんです。

よし、もう一回イチからやり直せるんだぞト!

それと私の場合には【願いは叶う】。

キチンと目標を持って、願うこと。

昔、ボクサーのフォアマンが、アリと対戦してボクサーを辞めて、牧師になって孤児たちを食べさせて、
また奮起してボクサーの世界に戻るんです。
それでもって、復帰戦で勝ってチャンピオンになった時の言葉が

【願っていれば叶う】って。

私の日本歯科大学の一年生への特別講義の内容は、
どう云った事はありません。

脱線に脱線を重ねて、こんな話をするばかりです。

科学との矛盾

海外の歯医者さんと食事を御一緒させて頂く機会の多い私ですが、
楽しい時間を過ごす間の話題が、歯科に関するのが多いのは当たり前の事ながら、
一方では自然科学からは到底かけ離れた、宗教談話が多いのには、皆さんは驚かれるかもしれません。

御一緒させて頂く歯医者さんは、皆が所謂スーパーデンティストと言われる有名な歯科医ばかりです。

その名を聞けば歯科医ならば、エー!と言わんばかりの方ばかりです。

その様な自然科学の最先端を走る先生方は、意外や意外!皆さん敬虔なる神様の僕と云った方ばかりです。

私は、しがない田舎街の開業医ですが、私も確りとした信仰に裏づけされた生活を過ごしています。

但し、西洋の方のような絶対唯一の神様を信仰している訳ではありません。

この辺りの話になって来ると、西洋の歯医者さん、ガゼンと興味が湧いて来るのでしょうか?

イッタイどういう訳なんだ?と云った具合での質問で、話に花が咲くわけです。

日本人の私には当たり前の話といったら何ですが‥‥。

山には山の神様が、海には海の神様が‥‥。

それでもって、ご先祖様が仏様となって日頃から見守って下さって‥‥。

西洋の歯医者さんは、私の話に興味津々です。

但し、これほど迄に神様の有り様が違っていても、

完全なる一致点がありました!

【天に恥じる行いはしない】こと。

いつの頃からか、日本人の口から宗教を論じる事に戸惑いを、の風潮を肌で感じる様になりました。

科学優位性を主張するのがインテリの証しとでも云った処でしょうか。

私は科学とは結局の処、後付けの学問だと思っています。

100年前の科学は当時の最先端でも、今となっては一笑にふされているものも多いのですから。

生命の神秘に接した時に、何故かしらの不思議な力を感じざるを得ない事しばしばです。

私は仕事柄、科学は科学として、その発展に寄与する仕事を続けていく積もりで、
其れはそれとして、日々は天に恥じない、ご先祖様に申し訳の効かないような行いはすることなく
日々を過ごすを信条としています。

加減

患者さんの前では当然のことながら、母校の学生諸君や若い先生方の前でも然り、
あくまでも私は凛とした姿で立つが、仕事であると思っています。

期待を裏切る訳にはいきません。

私が望むと望まざるに関わらず、そうする事で上手くいくならば、武士は食わねど高楊枝だと諦めの境地でといった処です。

が、実際の私がその様な鉄の人間である筈はありません。

怒りや、恨み、悲しさ、情けなさ‥‥等と云った凡そ人の持ち合わせたる感情の全てを私も持っています。

持っていますと云うよりも、人より寧ろ強い方かもしれません。

私の歯科と云う仕事は、自己を封じて、無心で病気に向き合うと云う性質を持っています。

刀鍛冶が興味深い言葉を仰られておられました。

ー 自分の良い処を伸ばす?そんな事は考えたことないネ!自分を封じて、無心で刀を叩くだけ! ー

歯科と云う仕事が特別なものではなく、職人仕事は皆おんなじだと云うことを、この台詞が上手く言い当てていると思います。

職人と云う言葉の響きが、私は好きです。

職人たるもの、イナセで格好良くなければならないと思っています。

そう言った処で、皆が【やせ我慢】しているのだと思います。

この【やせ我慢】が、所謂、男の流儀なのでしょう。

この辺りの【加減】は、決して女性には理解出来ない処だと思います。

男が男たる所以は、この辺りの【加減】にあると言っても良いでしょう。

男が弱くなったと言われる昨今ですから、もしかしたら男でさえも、理解出来ないのが増えているかもしれません。

但し、職人仕事は、ヤッパリ男の仕事です。

職人たるもの、この辺りの処はキッチリと押さえておかなければなりません。