月別アーカイブ: 2014年10月

小さな小銭入れ

内気な娘です。

課外授業で手芸クラブに入門した小学4年の娘は、暇さへ在れば何やら縫い物に勤しむようになりました。

先日この娘から、一見奇妙なモノを手渡されました。

決して上等とは云えないフェルト布地で創った小さな小さな私の小銭入れでした。

それ以来、コンビニ、スーパーのレジ係員からの一点への凝視を感じます。

この初老の男、妙なボロい財布を使って変な奴!と云う心内を感じます。

皆が一様に、小銭入れと私の顔を見比べます。

娘が私に手渡す時の、はにかんだ顔と少し自慢気な表情を忘れません。

エルメスよりもズット、親バカの私には大切な財布です。

娘はラッシーが来てからは、実にシッカリしてきたように思います。

自分の手で世話をしないと、犬はなついてくれないと云う当たり前のことを
この成長の速い犬が教えてくれていると思っています。

この娘が歯科医になってくれるかどうかは判りませんが、
仮に此の子が歯科の道を志すならば、迷わず私は母校にて教育を受けさせるでしょう。

私の母校には、可愛い娘を託すに値する良い教育者が大勢に育っていますから。

人の定め

神田界隈にある古書店へとフラリ立ち寄る機会は少なからず在りますが、
所謂、本のリサイクル.センターなる処へはついぞ縁のなかった私です。

到るところで大きな看板を見かける様になりましたが、
どうも敷居を跨ぐ気持ちにはなれませんでした。

つい最近、母校の大学付近の信濃川沿いにあるショッピングセンターに隣接した、その類いの店の中へ遂に入ったる私です。

もの珍し気に店内を徘徊し、想わずある処で足が止まりました。

何と申し上げて良いのか判りませんが、
この様な処に在る事に憤慨する気持ちにもなりましたが、
立ち止まった処にある、ある本を棚から引き出して私は立ち読みを始め、
遂には完読に到ったのです。

著者は、中原泉先生。
現在の日本歯科大学の理事長.学長を務められておられ、創立者である中原市五郎先生の直系でいらっしゃいます。

私小説でした。
日本歯科大学の二つ目の歯学部として新潟校が設立された当時の様子と、
先生の産まれたばかりのご子息が夭逝される時の状況を重ね合わせて時系列で描かれておりました。

登場する人物も実名で描かれておられ、私としても其の名に懐かしい気持ちや、父としての心情を想えば、
複雑な心持ちを覚えました。

カミソリの様な斬れる文章に、嗚呼、歯科氷河の時代にはかような人物が必要なんだなと、
それでも、中原先生が仮に歯科の源流の直系の生まれでなかったのならば、
おそらくは筆で身をたてられたに相違ないと想い、
人の定めの不可思議さを感じざるを得ないが、率直な感想です。

道徳教育を科目にとの報道に接し、当たり前のことを押しつけと受けとることに
やはり道徳教育の必要性を感じます。

個人の其々の想いも、大きな運命の流れの前では抗うことが無意味との想いを持つのです。

本音

何十年も日々を同じような仕事の繰り返しで過ごして、
モチベーションが下がることはないのですか?と問われる機会がしばしば在ります。

私は凡人ですから、当然のことながら気力が失せる時がありました。

歯科医に成りたくて此の仕事に就きました。
良い歯医者に成りたい、上手に成りたいと云う想いが、ズット心のど真ん中に在りますので
日常の全ての所作を歯の仕事に役立つようにとの無意識の意が、本能のように自分の中に根づいているのは実感しています。

それでも気力が失せる時も在ります。

長い間かけて、試行錯誤して、私の気力の補給方法を見つけ出しました。

波長の合った作家の著作に触れること、歴史の著作に触れること、佳い映画に触れること、
そして越後の風に身を曝すこと。

掃いて捨てる程の数の歯科医が居りますが、
私の手で織り成す仕事は、私だけのものです。

未完成の像を、コツコツ仕上げる作業は、その個人でしかやり遂げません。

想い直して、心のノミとカンナをもう一度取り、握り締め、
これは独りで遣らねば為らんことと、
その様な繰り返しが、本音の処です。

が、結局は歯が好きなんでしょう、私は。

昼休みに

ケーブルテレビの時代劇チャンネルとアメリカの人気テレビ番組を放映しているAXN以外は、
全くテレビを観ない、新聞を読まない私が、巷の動向を知り得る唯一の手段は、
ブログを書く際に利用するタブレットでヤフーを開く時に現れるニュースの題目からだけです。

先の東北大震災から私は、全くニュースや新聞を信用しなくなりました。

観たくない、観ても本当かどうか判らない、観たら胸が悪くなると云うのが本音です。

それでもヤフーを立ち上げる際にチラリと見えるタイトルに、アレッと興味を惹かれて、つい先へと進んで読んでみて、
ヤッパリよせば良かったのにと後悔する繰り返しです。

朝日新聞の誤報問題から、新聞を読むのがインテリの最低条件ではなくなったので安堵したのですが、
それでも朝日新聞が気の毒になる位に、皆で叩く様に胸が悪くなる想いがします。

以前はみのもんた。
それから小保方女史。
ついで朝日新聞。
今が女性代議士。

もうイイデハないか!
と、想わざるをえません。

そもそも彼の方々に政治の技量があるのかどうかは判りませんが、
それでも、あれだけの票を得る事には凄い!と感心いたします。
私などが選挙に出ても、10票を得る事すら出来ないでしょう。
やはり、特別な方々だと私は感心しています。

うちわだか、演歌歌手の公演旅行の収支か何だかしりませんが、
それと国の舵取りとは別物と考えるのですが。

クリーン、クリーンのかけ声も良いですが、
あれだけ細かく詮索されれば嫌気が差して、誰も政治家などには成りたくなくなるのではないか!と感じるのは私だけでしょうか?

まったく暇で、お節介な輩が居るものだと感心してしまいます。

人には過ちを許して、逆に其の人を育ててやろうという度量が必要です。
地震や原子力発電所の被害に未だに苦しめられて居られる方々や、余震が続いてサゾカシ怖い想いの東北に住む人達の
心のモヤモヤはまったく解決していません。

細かさ足の引っ張り趣味を、そろそろ愚かな行いと気づいて、
これからの若い人達が安心して暮らせる日本にしようと立ち止まって考える時期に来ている気がしませんか?

歯科医の仕事

私の両親は歯科医ではありません。

ですから幼い頃から時々、患者の立場で歯科医院へ通院していました。
何軒かの歯科医院へ通った記憶がありますが、転院のキッカケは判りません。
スポンサーたる親が決めたる処へと連れて行かれただけで、
親にしてみれば、恐らく先生の愛嬌などが大きく影響していたんじゃないかと思っています。

診察台に寝さされて私の順番まで待つ間に、天井の汚れが気になったり、ランプのホコリや、コップ、器具を眺めて
キチンと消毒しているのか等、アレコレ気になったものでした。

歯科衛生士だか助手の女性に対しても、もう少し愛嬌があった方が良いのに!とか、
コイツは大丈夫なんだろうか?などとも考えていたのを今でも覚えています。

歯科に対しては、あまりインテリのイメージを持たずに、どちらかと云えば疑いの眼をもって接していたように思います。

その様な私でしたが、縁があって歯科の世界に入ったことに、本当に人生は判らないものと実感します。

歯科大学での教育を受け、段々と歯科治療の基本が判ってきます。
また、大学病院での歯科治療を受診するようになって、
これも担当医が今では保存学の教授を務められている新海先生であったので、
キチンとした歯科治療とはどの様なモノタルカを実感できたことは
当時の若かかりし私の将来にとっては、大変良かったんじゃないかと思っています。

子供心にも疑いの心を決して感じさせることのない歯科医であろう!そういう歯科医院を創ろうと決めて
今日まで過ごしてきました。

歯科医と云う仕事は、職人仕事であると思っています。
曲がった性根では、決して佳い仕事はできません。

歯科医と云う仕事は、日々を患者さんにのみ向かい合っていれば良いのだと。

チョッとした発見

昨日は一日中、運転していたせいか未だに身体がフラフラしています。

スタッフの宮田君が気を遣ってくれ、患者さんの診察も控え目にしてくれて助かっています。

大学での講義の後は、久し振りに夜更かししたので、
翌朝は犬が鼻を顔に擦り付けてクンクンと鳴らす事で、ヤット目を覚ます程までに寝入っていました。

散歩を待ちかねていたマリリンを連れて、
今日は何時もよりも少し遠くまで足を延ばして観ようかと、
古町通りを越して、西堀へと向かって鍛小路を抜けていたときに
なんとも香しい匂いに誘われて、通りの小さな店を仰ぎ見たのです。

雰囲気はパリの場末のカフェをイメージした造りなのでしょう。
無学の私には、正確に店の名を読めません。

甘党でもある私は、普段であれば通りを少し行った処に旧くから在る団子屋まで向かう処ですが、
この日は妙に目の前の此の店が気になって、マリリンのリードを道脇の棒に繋いだのです。

で、もう一度、この店を上から下まで仰ぎ観て、
入るか入るまいかを暫く思案していました。

凡そ五十を過ぎたる男たる者が、クレープ屋などに簡単に入れるモノではありません。
この様な店は女子供が入る処と、犬は既にククリツケられているにも拘わらず、
ガラス越しに店の中を伺って、誰も居ないのを確認してヤットの想いで小戸を開いたのです。

若い様な、そうでもない様な女性が二人で商いしているのでしょう。

一人が接客を、そしてもう一人がクレープを焼いている
人が十人も入れば一杯に溢れかえる程の小さな店です。

壁の一角に旧い洋画をお映し出し、其れを気にしながらメニュウへと目を通して安堵したる私です。

ギャレット.コンプラッテって云うのでしょうか?

接客の女性に甘くないクレープと珈琲を注文し、ガラス越しにマリリンの此方に来たいかの眼と見つめあいながら、
その時に戸が開いて、次なるお客が入って来たのに目を向けました。

ロシア人でしょうか?
スカーフを巻いた随分と大柄の老婆が、横のカウンターへと腰を下ろしました。

小説、映画でアレバ、大幅に脂肪の蒸発したる、歳も40年程はさか登らなくてはなりますまい。

腰を下ろすと云うよりも、椅子を床に押し潰すといった表現が正しい程の立派な方と無言で並ぶ破目となりました。

が、期待を裏切らずパリのお好み焼きは、上手な上手な家庭の味でした。

これならクレープもサゾカシ美味いだろうと、今度は娘と二人で訪れて、
娘の残り物を無理して食べる父親の風を演じながら是非にでもと思案している間に、
この異人の女、ギャレット二人前にデザートと称してクレープを平らげ、
私は余りもの驚きに、おもわず其の腹の周りから顔を再び見いってしまったのです。

店を出て、マリリンに詫びながらリードを手にして再び、店を振り返り眺めながら、
ヤッパリ新潟には懐かしい佳い店が在ると、私の新潟贔屓は更に深まったのです。

講義の後に

日本歯科大学での講義の後に、大学近くの焼き鳥屋で一杯ひっかけました。

店のバアサンとも何十年か振りの再会でありましたので、胸が熱くなりました。

いまだに君づけで接して下さるバアサンに、あの日あの時を加減なく接してくれた事に感謝します。

生物学の岡准教授夫妻と初めて御一緒させて頂きました。

奥方のお人柄のお陰で、余計に酒が美味く感じました。
最後には、互いをユミちゃん!さんちゃん!と呼び合う迄に。

奥方と私に挟まれる岡先生の、額に噴き出す汗を拭く様が妙に可笑しくて、

ー 佳い夫婦だな ー

と、お二人を交互に眺めながら心暖まる想いがしました。

帰宅しても良い心持ちが冷めやまず、
ジャック.ダニエルをストレートで舐めながら、昼間に書店で買い求めてた
【東京時代マップ 大江戸編】を眺めていました。

地図によれば日本歯科大学の校舎は其の時分、木野国之助なる定火消役の屋敷であったそうな。

など、夜が更けるまで地図と安いウイスキーで楽しみ更に。

明日には

潮目の穏やかな瀬戸に面した讃岐高松に暮らす私は、休日などには犬を連れて波止場へと向かい、
防波堤からの島影などを長い間、眺めるのが好きです。

月に一度かならず訪れる新潟も、やはり海に面した港街ですが、
この地に於いては、海辺を求める心持ちよりも尚、
街の中心を貫くように流れる信濃川の川岸へと脚が自然と向いてしまうのです。

川は海とは違って、寄せて返すことがありません。
全てを流していく気配を感じざるを得ないのが川であり
河口近くの萬代橋のたもと辺りの堤よりの川面は、
およそ川と云うにはほど遠い程のゆっくりとした流れであり、
またかように流れを感じさせない流れである事が一層、冷酷さを打ち消してくれて
そこに私が惹かれるのかもしれません。

今日の手術が終わったら、ゆっくりと新潟目指して車を走らせます。

今夜は彦根にて。

明日の夕刻までには、新潟の空気が私を包んでくれるでしょう。

車道のまわりの広大な田園は既に米の収穫を終らせて、一面茶色の穂なき藁で包まれていることでしょう。

大きな海に日が沈む頃、私は橋の欄干にもたれて弥彦の山を仰いでいます。

片づけもの

隙をみてはアレコレ不要になった物を捨てるようにしました。

着なくなったスーツや衣服の類い、小物などです。

が、本はなかなか棄てることが出来ずに困っています。

と云うよりも、棄てることが出来ません。

今は不要であったとて、いつか読みたくなるかもしれませんし、
買った当時から今に至る心の軌跡を打ち消してしまう様な気がしてならないからです。

と云う訳で、本は溜まる一方です。

旧くからお越しになられている某患者さんが引っ越しされると伺って
ご自宅まで足を運んで、お茶をご馳走になっていた時に
ふとテーブルの上に置いたる薄い小誌に眼がいったる私は
おもわず頁をハラハラと捲り、遂には頂いて帰りました。

佳い本です。

ダライ.ラマ14世のいのちの言葉と云う名の本です。

本と云うよりも、ハラリと捲り、反省させられる親からの小言集みたいなものですが、
乾いた、尖った気持ちが優しくなる佳い本です。

また書棚から溢れだした上に一冊増えたみたいです。

今週の予定

今月も、明日は早めに仕事を終わらせて車で新潟へと向かいます。

昨年までで在れば、一気に北陸道を夜通し走り抜ける体力がありました。

が、今では滋賀県、あるいは福井までが限界となり、

途中で一泊、ホテルでコップ酒と云うのが常となって仕舞いました。

ですから、翌日の夕刻頃にゆっくりと新潟へ到着します。

自宅に入る前に、直ぐに本町市場の脇に在る白龍大権現様の祠へ出向き、

ナッツで熱く香しい珈琲にて旅の疲れを癒すのも、最近の常となりました。

慌ただしい日常を過ごす事が、多忙の証しであり、多忙である事が幸福である証しと信じ込んでいた私ですが、

今では意識してゆったりをと心がけています。

ハヤル気持ちを抑えるのも当初は苦労したのですが、
今では、治療、読書、犬と戯れるだけで、
他人との係わりも面倒になって仕舞いました。

そのぶん不思議と仕事のクオリティはお陰さまで上がったら様に思います。

と云う訳で、高松での診療は来週からとなります事をご了承下さい。