日別アーカイブ: 2014年12月8日

小言の続き

他人にあえて言ったことはありませんでしたが、

私は小学校4年生の頃から小学校を卒業するまでの間、

壮絶な虐めにあいました。

その先頭をきったのは、それまで一番仲の良かった友達でした。

自分の性格が原因であるのか?とも随分と自問自答しましたよ。

虐めの理由を、みんなからは、

お金持ちのボンボンで、ウチラとは違うからと散々言われたました。

ある時、捨て犬を拾って帰り、飼い始めました。

そりゃそうでしょう?

帰ってからの遊び相手が居ないんですから。

ウチの人間には、腐っても言えませんでした。
自分が虐められていることは。
自分のプライドが許さなかったです。

ある時に、この卑怯なる輩たちは、何処で知ったか、私が飼い始めた犬の処へとやって来て、
犬を叩いたり、棒でつついたり!

クンクン鳴くほど小さな幼な犬ではなかったので
遂には犬が怒って、
このバカタレのズボンの裾をガブリ!と。

卑怯なる輩は、傷も無いのに騒ぎ立て、
翌日、学校へ行ってみると、
みんなで、狂犬を飼っている!と騒ぎ立て!

担任ですか?
まったく頼りになりませんでした。

コイツら物事の落とし処と云うモノなんか考えていなかったですよ。

結局、犬は保健所へと連れていかれました。

執念深いと思われるかもしれません。

この歳になっても、私は奴らを赦していません。

何年か前に、親しそうに、私に声をかけてきたヤツもおりました。

大人気ないと想われるかもしれません。

完全無視で、視界に入れませんでした。

何かアレバ、この歳です。
ドコゾに少し位は寄付したことはあります。

私はこの小学校には、頼まれても寄付する気持ちにはなりません。

私は、絶対に虐めを赦さない!と云う立場を採る人間です。
些細な理由も認めません。

日本歯科大学の教務部長の藤井教授が興味深い言葉を述べられていました。

ー 高校までの教師と大学の教師の違いを知っていますか?それは高校までの教師は教職免許が要るけれども、
   大学においては教職免許をもたない者でも教壇に立てる ー

この藤井教授の言葉を、私たちは重く受け取って、常に学生と接しています。
ですから、変な意味には決して受け取らないで下さい。

国の定めた免許を持つ教師が、必ずも真の教育者ではないと思います。

私は、この事を子供の時分に経験しました。

また、これは私ども歯科医や医師の免許にも当てはまると思います。

私どもの持つ免許は、人の身体に触れても構わない最小限度の教育を受けているというだけのもので、
それが医師、歯科医としての能力や技能を顕すものではないと。

色々なことを考えさせられる、色々な小言の多くなるのは、私が歳をとったんでしょうか?

小言

ケーブルテレビのチャンネルを何気に変えたら、
何年かまえの映画が放映されていました。

途中からの視聴でしたので、最初の過程はよく判りませんが、
そういえば以前に、実話として新聞記事で見たことがあるゾ!と、思いだし、
娘と一緒に、アレヤコレヤと好きな事を言い合いながら最後まで観てしまいました。

何処かの小学校の6年生のクラス全員で、校庭でブタを飼育した物語です。

卒業までに、このブタをどうするか?

下の学年に飼育を引き継いで貰うor食肉センターに引き取って貰う。

最後は、娘と一緒に涙する始末!

歳をとったんでしょうか?

最近はヤタラと、テレビを観ながらの野次が口から出るようになりました。

命の重さを考えるキッカケ?食べる食べられる重さ?

私は教育者でないので判りませんが、

クラスの子達が、それぞれ意見を出しあって、最後は多数決する訳です。

想わず、

ー ばか野郎! ー

と、口から。

これは私の考え方であって、大勢は判りませんが。

ブタを食肉センターに引き取って貰うこと、即ち、このブタは殺されると云うことは
この子達は、少なくても判っているわけですよ。
これは単純に、頭のなかで、理屈の上ではです。

私だって、毎日のように、ブタや牛や鳥を食べています。
食べる以上は、この肉がどういう事になって精肉になったのかは判っています。

が、あえて小学6年生の子達に、ワザワザその選択をさせる経験がいるんですかね?

この子達は、子役の演技ですけど、白熱した議論でしたよ!

但し、この教師は、ここまでの選択を強いるのであれば、
食肉にされる過程もキチンと子達に見せてから、多数決を採らせるべきです!

私の理解では、ブタと云うのは、キレイ好きで知能の高い動物であると。

最初から食べるために飼育されているブタには、大変申し訳なさを感じつつありがたいと感謝しつつ、

でも、子供たちと少なくても一緒に過ごしている訳ですよ、このブタは!

喰う可能性があるのなら、飼い慣らせるな!

私は新米歯科医の頃に、毎週決まって、食肉センターへ通っていました。

研究に使う牛やブタの歯や顎の骨を、食肉センターのご厚意にて頂くためです。

湯気が立つばかりの、その塊を、現場から有りがたくいただいて持ち帰る訳です。

生きていく以上、他の動物のお世話にならんとアカンのは判っています。

でも、ワザワザ飼い慣らした自分達のペットみたいなブタを教材にする必要があるンですかね?

それだったら、名前をつけて、可愛がるな!と、想うんですけど。

だいたい私は、こういう時の多数決ってのが嫌いです。

民主主義の決まり文句みたいに言いますが。

ー パパならどうするの? ー

娘に問われて、

ブタの首に縄つけて、引っ張り連れて帰って俺が庭で飼うわぃ!

だいたい、最初に学校でブタを飼育すること自体が間違っとると、
ブツブツ言いながら、

娘に、だから食い物を残すなって!またブツブツ八つ当たりしたのでした。

歯科医のホスピタリティ

朝の一番の患者さんは、入れ歯の歯型採り。

次の患者さんは、死んだ歯の神経を採る治療。

で、昼の休憩に入ります。

? 歯医者にしては患者さんを診る数が少ないのでは?

その様に、お感じになられるかもしれません。

が、これでも私にしてみれば、精一杯です。

歯型を採る行程は、入れ歯造りのメーン.イベントです。

1時間や其処らでは絶対に、シッカリ噛める入れ歯は出来ません!
入れ歯を入れてから、歯茎や骨が痩せる!なんてナサケナイ結果にならない!ように
気合いでもって、歯型を採ると随分と時間がかかるものです。
歯型採り材料を練り合わせて、口の中で固まらせてなんてでは、良い入れ歯は出来ません。
すること沢山あるのですよ。

歯の神経を採る治療においても、ラバーダム防湿を施して、
手作業のみで神経の残骸を隈無くマイクロスコープを視ながらの作業は、
術中は、視界は私の心臓の拍動にあわせて揺れているのです。

よーく歯の中を洗いながら神経の欠片を採っては洗いの繰り返しです。

患者さんの望む結果を出すためには、お一人お一人、手間をかけねばなりません。

患者さんに使う機具の滅菌や、診療台の準備も手間がかかります。

患者さんが終わって機具を片づけて、拭いて新しい機具を置いて、次の患者さんをお通しする!
拭いただけで診療台のバイ菌が居なくなるんですかね?

こういう処は、年々、私の処は研究して進化しています。

絶対的な安定感を提供するのが、私は歯科医としてホスピタリティだと思っています。

噛み合わせ専門の治療なんてあり得ない!

歯科の治療では、

インプラントだろうが入れ歯であろうが、虫歯治療でも、

噛み合わせが最終的なツメとなるのは云うまでもありません。

待ちに待ったマイホーム!

でも、断熱材に手抜きがあったなら?

クロスの下地処理が下手くそであったなら?

配管の接続がキチンと出来ていなければ?

柱と梁の構造に問題があれば?

床が傾斜しているのは大問題!

家の建築に例えると随分と判りやすいでしょう?

歯の治療に於いても、全く同じなのです。

キチンとした噛み合わせを造るには、

基礎となる歯、歯周組織、骨、筋肉等に対して
適切な配慮の基で、キチンとした処置が施されていなければなりません。

噛み合わせの治療とは、歯科の中の色々な専門分野のハーモニーによって
はじめて成し遂げられるモノなのです!

一見キレイに見えても、時間の経過と伴に、グラッと傾くようでは、何の意味もありません!

歯科の治療をする立場の私としては、

虫歯の治療、歯周病の治療、入れ歯の治療、被せ物の治療、インプラント治療‥問わず、
各ステップを丁寧に丁寧にの繰り返しであると思っています。