月別アーカイブ: 2015年5月

産みの苦しみ

ここ何年間か、メールという便利な道具の普及により、若い先生方からの相談が多くなりました。

コツコツと、ご自身の診療を写真に納めて、メールにて送って下さる熱心な先生も少なくありません。

メールに添付された清々しい若き仕事に、想わずニンマリとする機会もあります。

仕事に取りつかれた人は、みんな同じ道を辿るんだなって思います。

若いうちの仕事は、どうしても無駄が多いんですが、それで良いのだと思っています。

【無駄が極上を生む】

数寄屋橋二郎の小野治朗氏の言葉です。

私の欠点

以前、診療所の近くにリラクゼーションって云うんですか?

マッサージの類いの店が新装開店したのが眼にはいり、

お昼の休み時間に立ち寄ってみました。

で、60分のコースをお願いして、チョッと骨休めと‥。

が、5分も経たずに、私はイライラが募り始めたのです!

下手なら未だ我慢は出来ます。

この、恐らくはマッサージ師の免許は持っていないであろうえせマッサージ師の

手抜きの技に、私は爆発寸前となったのです。

内心で、キレたらアカン!我慢や!我慢や!と、

リラクゼーション処か、サウナ風呂の我慢競べのような心持ちになりましたが、

あー、もうダメだ!と、

私の中の細い細い我慢糸はプッツン!と音を発ててキレてしまい

ー もう結構です、中止! ー

と、一言。

慌てて私を見つめるこの仕事を舐めきった輩を他所に、

私は衣服を整えてカウンターへと赴き、

僅か10分程度の我慢競べの代償として60分の料金を置いて出てきたのです。

そう言えば、こんな事もありました。

えらく流行っているお好み焼の店が在ると云うので行ってみたときのことです。

私は昔にお好み焼のアルバイトをしていた経験もあり、

焼そばの最後の締め括りとしてソバをソースと絡ませる際にサービス精神旺盛な私は、

こて捌き鮮やかに!と、

ナイアガラの滝と呼ばれる技に浸って、

鉄板越のお客さんからの拍手喝采を浴びていたのです。

で、大きく期待に胸膨らませて、この評判の店に入った私です。

一口、食した私に、

自信満々の店の親父は

ー 食べたことないやろ!どうや!お客さん! ー

で、正直者の私は一言、

ー 不味い! ー

このときは、鉄板ムセかえる店の空気がいっぺんに

冷たく冷めたのを感じました。

私は、悪気はないのですが、

技術職、所謂、職人さんって云うんですか?

そういう職種には酷しいと自覚しています。

ラーメン屋さんでも、なんでも、1つの芸事に生きるって云うのは凄い事だと思っています。

ですから、猿のモノマネのような偽物は大キライです。

角がたつんで判ってるんですが、

偽物がまかり通るんなら、本物の正直者が報われないと思って、

つい、口からツルッと本音が出てしまうんです。

マイクロスコープを使っても

今日、他の歯科医院から転院を希望されて折角にお越しになられた患者さんですが、

申し訳ありませんが、私は神様ではありませんので、

私の能力の出来る範囲のお話をさせて頂きました。

其処でマイクロスコープを使った根の治療を受けられ、その後に続く被せモノの治療の段階で

その患者さんは、主治医に不信をお持ちになったようです。

マイクロスコープを使った顕微鏡治療は、視野を大きく拡大して治療することが出来ます。

但し、大きく拡大できるだけであるという事を忘れてはなりません。

大きく拡大して見えることと、治療成績との間に相関関係がある訳ではありません。

私の拙い力量では、その根の上に長持ちできる被せモノを御費用を頂いて入れる自信はありません。

仮の歯で、ゆっくりと経過を診ながら、傷んだ歯の叫びが和らぐかどうかを

時系列で診断しなければ、確かなことはおいそれとは言えない症例でした。

なんでも、食事も特殊な配慮が必要との半ば強制的な指導も在るとのこと。

私は難しいことは判りませんが、白い艶々のふっくらご飯が食べられないのならば、

なんで歯の治療をするんやろ!と、自然に想うのですが。

歯科の治療の肝心要の処は、

確たる診断力、確かな治療計画、そして正確に動く歯科医の手と指です。

私も長い間、マイクロスコープを使った顕微鏡治療を実践していますが、

拡大することと、出来ることとは全く違います。

継続的な努力の賜

来週、新潟へと出向いた時に、

古町、柾谷小路の眼鏡店にて、再び老眼鏡を買い求めようと思っています。

老眼鏡なら、なにもワザワザ新潟などでなくてもと思われるかもしれませんが、

眼は私の大切な商売道具ゆえに、私はあくまでもこの店に拘っています。

歯科医の免許を頂いて、かれこれ30年近くになりますが、

当時の指導教授のお陰で、歯科医になって直ぐに拡大鏡を使った診療を始めました。

人の欲望とは限りないモノです。

もっと大きく、もっと拡大してと、

診療に使う拡大鏡の倍率はドンドンと大きくエスカレートし続け

今では顕微鏡を使った歯科治療を日常的に行っています。

が、その代償としての眼の疲労と老眼の進み具合は速まる一方となりました。

歯科以外に、とりわけ興味の沸くこともありませんので、

それはそれで構いませんが。

診療の際に、歯を削るハンドピースの先のダイアモンド.ポイントを交換しようと、

診療台の脇のキャビネットの引き出しの中に整然と並べた此の小さなポイント類が

顕微鏡から視界を外して間のない私の眼にはサッパリ焦点が合いません。

ドレドレ?と、

老眼鏡をかけて引き出しの中を除き混む繰り返しです。

そう言えば私の師匠が昔に、

ー ハイ! ー

と声がけすると、アシスタントの女性とは別の、師匠の背後にまた控えたる女性が

師匠から手渡しされたハンドピースの先の器具の交換していたのを思い出しました。

当時は、なんと横着なヤっちゃ!と内心で笑いそうになりましたが、

出来ることならば私も、そうしたい心境です。

私のもう1つの眼となってくれる顕微鏡や拡大鏡の数々は、全てがカール.ツァイス製のモノです。

色々なモノを使いましたが、結局はツァイスに落ち着くのです。

で、眼鏡店においても、同じ事。

此処でなければ駄目!と、結論づけさせる実力と魅力を併せ持つ努力を、

永年、一流処として店を張った処は、し続けているんだと思います。

医療人の姿勢

今日ではポピュラーになったインプラント治療ですが、

これほどまでに普及するとは思いもよりませんでした。

しかしながら、その反面、昔では考えられない程度の低いトラブルも観られる始末です。

現在のインプラント治療は、開発者であるブローネマルク博士の精神からは

大きくかけ離れたモノとなっていると想うのは、私だけではないと思います。

インプラント治療の産みの親であるペル.イングバール.ブローネマルク博士は、

昨12月20日にお亡くなりになられましたが、

博士の遺された業績は歯科のみならず整形外科の分野などの医科の治療方法を一変させました。

脚や腰の関節の手術に於いても博士のインプラント治療の研究に基づいたモノです。

私たち医療人は、博士の遺された遺産の上に胡座をかくのではなく、

ブローネマルク博士の精神も継承し、社会に貢献する姿勢をもう一度思い出すべきだと思います。

先人の役目

午後からの上顎洞底挙上手術とインプラントの手術を前に、

午前は噛み合わせの調整やプラークコントロールなどの患者さんを診察して、

少し何時もより余裕を持ったアポイントメント配分にしています。

明日も明後日も手術が続きます。

来週は新潟です。

私が新潟へ滞在の間に、手術の患者さんの傷も治癒し、

高松市に帰ってから抜糸の予定です。

新潟では母校の4学年の学生への歯科保存学の実習も入っています。

1時から6時過ぎまでズット立ちっぱなしの話し通しです。

学生さんも大変でしょうが、私ら教官もキツいですよ。

チェックする際には、中腰になるので、後から腰にきます。

歯科の学校へ入れば、まぁそれなりで歯科医になるんだろうと、思って居られる方が多いんだと思いますが、

歯科の学生さんは、本当に大変な想いをして過ごしています。

私らの時代はおおらかでしたが、今の学生さんは本当に大変です。

御父兄からお預かりしている学生さんですから、

教官も、学生さん以上に頑張っている姿を清々し想いで観ています。

現在の教務部長は全身管理科の藤井教授です。

先生は情熱の人ですし、先の先を観ているお方ですから、

単に国家試験に合格させるための教育でなく、

今後将来、各地に散らばって行くであろう学生さん達が、

その地方地方において活躍できることを第1とした教育を考えて実践されておられるのが伝わります。

私ら先人が、キチンとした生きた手本となり、

これから歩んで行く長い歯科生活のなかでの灯台の役目を果たさねばと、

此処で歯科を学んだ者としての恩返しだと自身を戒めて過ごしています。

萬代橋の風に涼んで、

柳の蒼さを満喫する積もりです。

挑戦的心構え

いざ、新しい症例に対しては、

病気の原因なり、痛み、機能障害に対して、挑む心構えで相対している自分を感じます。

その様な時に、歳は既に初老の域に達している私ですが、

自分の中に、未だ熱い想いを、情熱的な命の叫びのようなモノを感じるのです。

また、私の診療所へとお越しになられる患者さんの治癒は、

ほぼ全てが、他での再治癒のためでありますので、

これは意図的に自覚はしていませんが、

前医との剣術に於ける立ち合いのような姿勢になっている自分を感じます。

歯科の治癒の殆どが、症状に対する対処療法の意味合いをはらんでいますが、

その病気に至った原因に対する根治療法に考えを及ぼす必要があると感じます。

ですから、私ら臨床家は、

別段、最新の治療を採り入れる事ばかりに気を配る挑戦的心構えも必要ですが、

そればかりでなく、全方面に対する目配りを欠く事のない方面への挑戦的心構えに重きを置くべきと考えるのです。

良い顔

昨日、コンビニに立ち寄った際に

ウン!と、

眼が一点に向かいました。

雑誌などを並べている書籍コーナーなど、

日頃は注意する機会はないからです。

書籍は書店にて、コンビニではジュースなどをと

端から決め込んでいるからでしょう。

が、偶然にもこの日は

【田中角榮 100の言葉】のタイトルが眼に飛び込んできました。

越後贔屓の私です。

早速に買い求めて、家にて頁を捲っていました。

数多くの写真のなかでの元総理の表情は、実に美しいと感じました。

こういう美しい表情を持つ人に、藤山寛美氏の名が直ぐに頭に浮かんできます。

が、元総理の表情は、この千両役者の其れに互格であると感じさせられるモノがありました。

両氏共に、所謂イケメンの男前ではありません。

また、良識的な、或いは普遍的な物指しからは大きく外れた人物像が、巷では伝えられておりますが、

私は想わず、

ー 良い顔だな ー

と、呟かざるを得ないのです。

歯科医は肉体労働者

上顎洞底挙上手術は、毎週のように行っている私の診療所ではポピュラーな治療です。

先週の土曜日の手術は、それこそ手術範囲は小さなモノでしたが、大変でした!

上顎の骨を側面から削除する際に、視野を確保するために、大きく粘膜を剥離します。

骨を削除し過ぎると、上顎洞内面の粘膜を破ってしますからです。

また上顎洞内面の粘膜を剥離する際に、器具に力が少しでも計算外に加わると、内面の粘膜を破ってしまいます。

ですから、この手術に際しては、息を殺して、全神経を器具を持つ指に集中させます。

此方は云わば必死ですから、よく見えるようにと、左手は粘膜を支えるために

気合いが入っています。

老年期にさしかかった、少し肥満?の女性でした。

イヤー脂肪が厚い!

粘膜を支える器具を持つ手が、脂肪の力で重い!といったらありませんでした。

慣れた手術ではありますが、左手は泣いていました。

昨日1日、左手は疼いていました。

明日も上顎洞底挙上手術です。

手を万全に整えるために、マッサージやら、温めたりの手当ての私です。

まさに歯科医とは、肉体労働者と言えましょう。

ボロボロになった本

心を平静に保つ手法は、人によって様々でしょうが、

私の場合には、ある2冊の書籍に目を通すことが一番の処方箋であるようです。

いずれも1970年代後半から1980年代に出版された歯科の専門書です。

当時の一流の歯科開業医の面々により認められた診療記録とその自己考察です。

インプラント治療もオールセラミック修復は全く見当たりません。

しかしながら、歯科クラッシックの音色の素晴らしさは、

今でも決して色褪せることはありません。

確かな診断力と症例を観察する鋭い眼力に敬意を表すものです。

診療記録のなかで、皆さんが【診断における悩み】という言葉で心根を現せておられます。

自己のなしたる診断が、どの方向から観ても正しいモノであったか、

治療の過程の全般において悩み、再評価を加えておられます。

この再評価は、治療が終了してからのズット続く定期的な検査においても続き、

心の休まる時はないと、その胸の内を述べられています。

ここに、単に資格を持つからの歯科医師と、歯医者の違いを感じるのです。

私が癒しを犬たちに求めるのも、この種の悩みから一向に開放されないからだと思います。

これら書籍に目を通しながら、脇で寝そべる犬の背中をつま先で撫でるのが

私の一番のストレス解消法です。

犬たちは穏やかな表情で眠っていますが、

これらの書籍は、ボロボロになってしまいました。