日別アーカイブ: 2015年8月22日

規則正しい生活が一番

昨夜は久しぶりに街へと脚を運びました。

私の仕事は多くの業者の方々のご尽力で成り立っています。

通りいっぺんの仕事しか出来ない方は、私は診療所への出入りを閉ざしています。

ですから、私の仕事を支えて頂いて居られる方々は、それぞれが歯を通じての社会貢献をと

意識して過ごされて居られるのだと感じています。

A氏を、無理矢理誘って、夕食へと出かけました。

私なんぞと飯を喰うなんぞは、窮屈で嫌であったろうと同情しますが、

何時も仕事場で仕事の話しばかりで、ご苦労をお掛けしていることに、

何かしらの感謝の意を表したいとの想いからです。

但し、夜の9時には就寝する私です。

みんなは本当?と、想っておられるでしょうが、

A氏は理解して下さったと思います。

私らのような人の身体を与る仕事は、規則正しい生活が一番です。

ささやかな宴でしたが、喜んで下さっていたら幸いです。

普通であること

光陰矢の如しと申しますが、月日の経過は誠に速く、

その間に生じた様々な出来事を振り返ると、

やむなくと云った処あり、自分を褒めてやりたいことあり、ハタマタ反省ありと云った処です。

多くの子宝を授かった私ですが、男子は独りしか居りません。

今日、この愚息の20歳の誕生日を迎えられましたことは、

父として、数ある中の通過点の1つを、一応の処は辿り着けた安堵感を覚えます。

常々に、私は【普通】という言葉を意識して生きてきました。

但し、最大公約数的な、皆と並んで皆と一緒にが【普通】の定義であるのならば、

意識して【普通】に背を向けてきました。

この生き方が、正に負に向かったのかの判断を、私は行う資格はありません。

様々な角度からでありましょうが、

私は自身を愚息にさらけ出すを意識して接してきました。

愚息が生きていく上に於いて、情けない想い、悔しい想い、挫折を味わう機会も在ろうかと思います。

親父でも、あれ程にもがいていたんだ、堪えておったんだと、

必ずや脳裏に思い出すことが在ろうと思ってのことでした。

歯科医という仕事を私は、職人仕事であると確信しています。

職人とは、道具と芸事の対象にだけ向き合うことが、精進の第一歩であると考えています。

で、その姿勢を、横目にふらつかないで貫くこと。

このような案配ですから、ある意味バランスの欠けた生き方であるとも言えましょう。

しかしながら、この仕事に就いて、そうすることで芸の足しになるのであれば、

私はその方略を選びますし、また実行してきました。

愚息が今後、どの様な選択の岐路を迎えて、どのように判断するのかの良否をする資格は私にはありません。

今まで通りに、遠くから見守ってやるだけ。

愚息の前にある道が拓いて下さいますようにと、

越後の神々に手を合わせてお願いするだけしかできません。

日本の男であることは、確りと胸に刻んで進め!進め!と願う

何時まで経っても、やはり大いなる親バカ降りは変わっておりません。