日別アーカイブ: 2015年10月3日

「46才の森高千里がオバサンにならない訳」に安堵する

何時もであれば、とうに床に就いて夢の中なのですが、

今夜は仕事の書き物の締切に推されて、マダマダ、

で、少しひと休みと云った処です。

頭を休ませようと、ヤフーの画面に切り替えて、

アレッ!

「46才の森高千里がオバサンにならない訳」というタイトルが!

クリックして、フムフム。

記事に大いに同意したのは言うまでもありません。

モット驚いたのは、

イイね!の数が、なんと5.3万もの凄まじい数字!

娘たちから、阿呆では?と、言われつつ、

この数字を明日の朝の1番に、娘たちに見せようと思っています。

私は普通なんだと。

マンモス大学

早稲田大学は私学の雄であることに異存はありません。

但し、マンモス大学であるが故に、いろんな方が居られるんでしょう。

今は落ちぶれ果てて、偏差値など無いに等しい私立の歯学部です。

これだけ歯医者が増えての将来性の無さを巷で云々されれば、

受験生からソッポをむかれても仕方がないのだと思います。

私の母校である日本歯科大学は、歯科におけるマンモス大学であると言って良いでしょう。

母校の学生さんたちが、私は可愛くて仕方がありません。

が、ヤッパリ、マンモス大学です。

卒業生のなかには、色んな人がいます。

数が多いだけに、嫌な輩も多いのは事実です。

インターネットの書き込みを観て、

日本歯科大学で検索すれば、それはそれは酷い事を書かれています。

が、悪口は、先ずは自身の名前を名乗ってからの堂々とした姿勢でするべきです。

今、キャンパスで勉強に励んでいる学生さんたちが、

既に巣だった悪い手本のような真似のないようにと、

私は秘かに胸を傷めているのです。

アンチ早稲田

先のブログにて、私の早稲田嫌いについて述べました。

罪のない早稲田大学の出身者の方々にはお詫び申し上げます。

しかしどうして私の身内には、これ程までにこの大学出身者が多いのだろうと。

まぁ、マンモス大学であるから致し方ないのかもしれませんが、

それにしても、この身内みんなを、私は大の苦手ときています。

皆が一様に他人の受けは良いようで、出世して偉そうな口を叩いて、

其れなりの生活を楽しんでいたようですが。

飲みに行くのも新地の高級クラブ。

摂待されるのは、名は通っているけどヤタラと支店の多い高級料亭、

休みは接待ゴルフに興じて大ハシャギ!

全部、私の流儀に反しています。

私は群れるのが嫌いです。

飯もただ飯は、喉につまって大嫌い。

支店の多い料亭も嫌いです。

独りで居るか、家族と過ごすか、

仕事上の信用は、仕事の結果で判断するべきと思っていますので、

付き合いからの仕事は敬遠しています。

灼をして貰うのも大嫌いで、自分で手酌の主義です。

女性は嫌いではありませんが、既に懲り懲り、否、卒業したと、

歳を感じて、犬と遊ぶ方を喜んでいます。

早稲田大学の創立者である大隈公の遺したる精神を、

余りにも大きくなりすぎた為でしょうか?

私の知る限りの卒業生は、引き継いでいないのかもしれません。

日本を代表する立派な私学であることに異存はありません。

孤高の人で、プリンシプルのある流儀の人で、

居られる方々も多いと思いますが、

偏見ある私を、その様な方々との新たな出会いがありますように!

隔世遺伝

今日の夜の7時から時代劇専門チャンネルにて、

鬼平犯科帳スペシャルが放映されるので、

また娘たちからブウブウ言われるだろうと、今から気が重いんですが、

ドラマが始まってしまうと、案外と娘たちも観いっています。

私の時代劇贔屓は、恐らく死んだ祖父の影響だと思います。

晩酌しながらの、大川橋蔵演じる銭型平治などに目を細めて楽しんでいた姿を

時たま、思い出します。

今、振り返り考えれば、この人は真面目な人であったんだろうと。

決まった時刻に、決まった道順で帰宅し、順序正しく入浴し、晩酌のあとに夕食を採り、

外へ飲みに行くこともなく、人付き合いも滅多にせず、

決まりきった日々を送って生涯を終えました。

その倅である父は、朝に私が当校する時に庭の入り口で朝帰りのご対面、

で、私が夕刻に帰宅する頃には、イソイソと遊びに出かける毎日で。

当時に流行ったモノには全てに手を出して、

放蕩息子の3代目を、絵にかいたような人でした。

徹夜マージャンを週に5日は楽しんで、

空が白ずんでから帰宅しようかなどと、マージャンの連れと話し合って決めた仲間内の会名が東雲会という、

呆れた、その仲間は次々と身体を壊すか、会社を潰すかで。

そもそもは、まぁまぁ裕福であった商家に生まれ育った私が、

お門違いの歯科の道に入るキッカケとなったのは、

これじゃ、先がもたんだろう!と、思ったからというのは正直な処です。

この父は早稲田大学の理工学部の卒業であったので、

私の早稲田嫌いは、恐らくその影響だろうと思います。

が、縁とは不思議なモノですから、

大切に育てた上の娘は、父たる私に逆らって早稲田へと入学し、

爺さんと共に早慶戦を観戦していたようです。

良い歳こいた大人が、スポーツ観戦程度で皆で肩を組んで校歌を唄うなんぞ、

阿呆ではないかと、品格欠ける行いと、感じる私の方が一族のなかの変わり種。

亡くなった婦人科医であった叔父と私は、随分と浮いた存在でありました。

隔世遺伝という言葉を、つくづくこの頃に、ふと思い出すのです。

ヤレヤレ

セントバーナードの平蔵の、喰いモノへの執着には凄まじいモノがあり、

コレが、せがれの勉学なりへの姿勢へと伝染してくれたならば、

どれ程ひとかどの人物に育つだろうと、

ため息をつく機会がしばしばです。

台所の流し台の前から、大きな岩の如くガンとして動かぬ日常にも関わらず、

料理時には、調理する脇から大きな頭が割り込んでくる始末。

で、食事時にはダイニングテーブルへとかけ走り、

皆で、椅子の上に立ちながら皿を手にしての、

どちらが犬なのか解らぬ毎日を過ごしています。

マリリンとラッシーの駆け走る姿は、本当に美しいと感じます。

が、平蔵と言えば、まだ1歳にも満たぬ頭と心は赤ん坊なのですから、

ハシャギタイ気持ちは良く判ります。

が、ドスンドスンと肉の塊が揺れ揺さぶられているのにしか見えず、

遊んでくれい!と、絡まって来られれば、

此方も相手を渋々、付き合うのですが、

どう観ても、端からは相撲にしか見えないでしょう。

朝、犬たちとひと遊びして、

今日の手術を前に、やっと一服といった処です。

娘たちは、今日は塾でのテストがあるそうな。

昨夜から、アぁ大変だ!と、

今さら遅いわぃ!と、内心にて想いつつ、

一足先に、二段ベッドの上の段に逃げ込んで、

今日に備えて先に休んだ私です。

50も過ぎて、何故に子供の二段ベッドで眠らにゃならん?と、

割りきれない想いよりも、

たまには静かに時を過ごしたい、俺の歳を考えろ!と、

アぁ、マダマダこの喧騒から放れられる日には、ほど遠いでしょう。