日別アーカイブ: 2015年12月9日

ボヤキ

別れた家人から、

利己主義の自己中、序でに嘘つきと言われたことを思い出します。

いきなり凄い話しですが。

私の考えですが、

男と女の脳味噌の構造の違いから、思考回路は男女ではまったく別の生き物とも云えると。

人間誰しも自分が可愛いと庇うのは当たり前ですし、

嘘をついたことのない人の方が嘘つきだと思いますよ。

私なんか気短ですから、

大声で怒鳴る、モノを壁や床に投げつけるなんか時にはありますよ。

こういう時に、自分の感情を抑制できない何とかと云う精神の病みたいに言われたこともありましたね。

日本海海戦の際に、戦艦三笠の艦橋に立ち指揮をとった東郷平八郎元帥は、

敵の砲弾の飛び交う中、ジッと立ち尽くし、

戦の後に、元帥の足の処だけ乾いて濡れてはいなかったと云う話を

私は幼い頃に祖母から何度も聞かされて閉口したもんでした。

本当でしょうか?

このような人を私は、観たことがありません。

職人のなかで現在に至っています。

職人って気短ですから。

私の掌にはいっぱい傷が残っています。

オペ中に、師匠から邪魔だ!とばかりに器具で叩かれた思い出の足跡です。

こういう時、アぁ!自分が未熟なんだとは恥じましたが、

師匠を恨むとか怒りの気持ちなど皆目ありませんでした。

上の娘や倅なんかの頭や頬っぺたなんか、ショッチュウひっぱたいていました。

自分の子です。

何よりも代えがたく可愛いし、愛しいですよ。

でも、親が我が子を怒らんでどうするんですか。

不条理な世間の冷たい風に曝されていく我が子が可愛いからひっぱたくんですよ。

最近では、コレが児童虐待っていうんだそうです。

私も男ですから女好きですが、

女が強すぎるってなもんも、コレが諸悪の原因だと思いますよ。

男が自分の道を切り開いて進む時、

女子供の意見など気にする必要ありません。

男は単細胞な生き物です。

ゴチャゴチャ言わず、黙って進めと云う気概が一番だと思います。

こういった言動も、最近では問題視されるのでしょう。

私は男と女はまったく違って良いのだと思いますよ。

どちらが正しいと云うのではなく、

理屈や議論に勝っても、仕方ないことだと思うんですが。

勝ち負けでいうと、口では絶対に男は女には敵いません。

なんでこう云う話しになった訳は判りませんが、

最近なんかが間違っているんじゃないかと思うんですよ。

端で観てる程には

若い時分に散々と悪さの限りをしたせいでしょうか?

と、ふと考える時が在ります。

何故にこれ程までに、腹がたつと云うことはありませんか?

私なんか、端から観ていたら、良いな~!って想われているんでしょうが、

まったく以て、その様なことはありません。

それこそ、上をではなく、下を下をと云う目線で、自分で自分を慰めています。

そんなもんです。

が、不快感への対処法も徐々に学びました。

不快の基は、取り除くに限ります。

最低でも、見ない、聞かない、近寄らないは必須です。

人間関係においても同様です。

壊れそうな、或いは壊れた人間関係を修復することは無用と考えています。

其処まで努力するのなら、別の展開に苦労すべきと云う考えからです。

信頼感とは、無理して造るものではありません。

匂いの違う人とは、端からダメだと思っててと云う気持ちになったのも最近です。

苦労したんだと思いますよ。

期待は裏切られると知ってるからこそ、犬に寄り添うんだと思います。

こう見えても、私は自分がこうと思い込んだらテコでも動きません。

思い込むまでが、結構と大変なんですけど。

その辺は頑固な方だと思いますよ。

目標を決めたら、決して投げませんでしたから。

だからこそ、自力で叶えられる夢は実現出来たんだと思いますよ。

ただ、人が関わる場合には、話しは別物です。

人には其々の考え方や想いの違いが在りますので。

そういう時は、惜しいと云う気持ちを棄てて、

サッサと方向転換を図ることの重要性も、

ヤハリ苦労が教えてくれたんだと思いますよ。

泣いた数だけ、知恵がつくと云うのは本当なんだと。

私の仕事

既に来年の予定で、新患の予約も入って来ています。

私は新患の方以外にも、通院中の患者さんへ、しばしば電話をかけます。

ご不自由はないだろうか?歯は勿論、体調の方もと。

私の診療スタイルは独特です。

よくもまぁ長い間、患者さんが来て下さるモノだと感謝、感謝で過ごしています。

心配事が診療に関することならば、ユックリと相談役を務めさせて頂きます。

それが私の仕事ですから。

重い荷物は

それは出来ない、無理だと、四の五の言っていたならば、何にも出来ません。

新しい知見を得るためには、古い経験は棄てねばなりません。

生きて来た証しとしてのしがらみも、これと同じです。

責任も、ある時には視線をすこしばかり変えて観れば、

楽に荷が降りる気持ちになるでしょう。

この頃、私はその様に思うんですが。

散々努力したのにも係わらず報われないと感じたならば、

もう止めときましょう。

ストップ.ロス.オーダーの考え方を持ち込みましょう。

特に対人関係などの生きた人間が関わる場合には尚更です。

明らかに種族の違う人とは無理して合わせることはありません。

気苦労だけ増えて、結果、心の傷しか残りません。

思い出とは、良き関係を築けた人との間に出来る宝物です。

神様から頂いた貴重な財産である私らの限られた時間です。

重い荷物をサッサと下ろして、

先ずは先へ先へと歩いて下さい。

必ず、新しい何かが迎えてくれるでしょう。