日別アーカイブ: 2015年12月10日

狼狽

若い人は、死なんか実感していないんでしょうが、

この歳になると、ショッチュウ考えますよ。

子供たちをキチンと社会に送り出すまで元気でいてやらにゃ!なんか毎日ですよ。

でも、当の家族の方は全くを以て、私はズット働いてるんだと勘違いしてるんでしょうね。

挙げ句に、私のここが悪いとかなんとか。

やってられないですよ。

川上先生の死は、本当にショックでした。

私なんかは未々、子供がこれからですから。

ヤバイ!と、狼狽します。

毎日を大切に暮らさんと駄目ですね。

昨日からショックで、いっぱい考えさせられます。

遺された時間

川上先生の死は、私を大いに狼狽させました。

先生は高松市における歯列矯正治療の足場を造られた正にパイオニア的歯科医でした。

また、3人のご息女を先生の母校である東京歯科大学へと送り出し、

父親としての大きな責務も果たされました。

先生が現診療所を新築された時と、私が今の診療所を新築した時期が近かったことから、

互いの診療所の出来映えに、大いに喜んだ時を鮮明に覚えています。

先生の死の報を耳にした際、瞬時に私の口からは、

ー 先生、お疲れさまでした。もう充分です。ユックリと休んで下さい ー

自然に発した言葉です。

恐らく、先生も歯で駆け抜けた人生であったことでしょう。

同業故に、判ることがあります。

私の遺された時間は、既に折り返し地点を遥かに過ぎていることを自覚しています。

神仏のご加護にて、私は今の仕事に就きました。

感謝する心を、更に強く自覚して、

私もその時まで、地面を確りと踏み締めて歩いて行こうと思います。

川上矯正歯科 川上清一先生を偲んで

昨夜、会合の場で、

川上矯正歯科医院 院長 川上清一先生の葬儀を今しがた営まれたことを知りました。

私は何人かの患者さんの歯列矯正治療を、先生にお願い致しました。

誠実でクールなお人柄でした。

が、満員電車の中に割り込んで鞄を座席に放り込んだ高校生軍団の中へ

静かに歩み寄り、その鞄を寡黙に手に取り、

廊下へと放り捨て、

ご自身が座ると云う太い肝もお持ちの武骨な日本の男でも在りました。

高松市における歯列矯正治療の草分けとも云える先生でしたので、

ご生涯を歯に捧げた情熱の歯科医の1人でも在りました。

享年63歳。

余りにも若い先生の死は、矯正治療における大きな損失とも言えましょう。

ここに先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

学問の立ち位置

昨夜、トアル医療関係者の方とすこしばかりの雑談を講じる機会に恵まれました。

そのなかで、

ー 先生はどうして診療以外の研究なんか続けているんですか? ー

診療のレベルを少しづつでも上向きであるようにと心掛けると、

必然的に研究が必要なんです。

私の診療の全ては、歯科保存学的な立場から構成されています。

歯科保存学が、私にとっては学問的な帰る家であると言えましょう。

確りとした学問的地盤に立っていなければ、

足腰の弱い、陳腐な治療しか出来なくなるでしょう。

また、患者さんの喜ぶお顔を見たいと云う純な心がなければ、医者の仕事など出来ません。

私に遺された時間を考えると、

これから診療出来る患者さんの数など、たかがしれたものです。

もっと大勢の方のお役にたてるようにと、

私は研究に入りました。

実際、この研究から生まれた治療を行うのは、

私ではなく、次の若い世代でしょう。

だからこそ、私らが絶対にセネバならんのだと思います。