日別アーカイブ: 2015年12月15日

勘違い

家に帰ると、天井近くの高い処まで壁紙が剥がれているのを

アチコチ見かけるようになりました。

情けない悲惨な情況に、

昔、飼っていたラブラドールリトリバーのラブリーが

当時の住まいの壁に大きな孔を開けて、

其処から喜んで大きな舌を出していたのを思いだしたりで。

上の娘も私も、この主は、

とても平蔵とは思えず、

何故なら平蔵が、

そこまで高くまで飛び上がる事など出来ないと思い込んでいたのです。

で、この悪さをするラッシーが嫌がるのを無理矢理に

マリリンと一緒に診療所へと出勤させるようになりました。

私が診療中は、2匹は大人しく私の椅子を囲んで眠っています。

これで我が家の被害も無くなったと安堵していたら、

私ら親子は大いなる勘違いに気づいたのです。

巨大な肉の塊のような平蔵が、

全身を伸びきらせて壁にもたれ掛かり、

日射しに反射した壁のスポット状の小さな輝き向かって

ジャーンプ!

で、ベキベキと音をたてて無惨にも剥げ落ちていく哀れな我が家。

娘と二人、呆然と立ち尽くし、

ラッシー、ごめんなさいと云うしかなかったのです。

平蔵ですか?

何事もなかったの如く、

悠然と床に臥せて、私らを見上げていたのです。

考え方

私には全くその資格がないと自覚していますし、

それをこんこんと申し上げたのですが、

或お方から、ご子息の勤めのことで相談を受けました。

その若者は、地方の国立大を卒業された後、大学院の修士課程へ進まれ、

今春めでたく卒業された後、就職されたとの事。

が、若者は転職を望み、父親へ自身の考えを伝えた処、

父親の方は、其れは辛抱が足らん!

と云う経緯であったようです。

石の上にも3年と云う言葉も在りますから、

私も本来であれば、この父親の考えと、そうは変わらないと言いたい処ですが。

私は、この親子を旧くから存じ上げています。

父親は技術職。

若者の専行はバイオで、コツコツと物事に向き合う真面目な青年ですが、

社交的とは言えません。

ー   何処にお勤めに?  ー

???????

若者は、銀座の和菓子屋にて販売員として働いているとの事でした。

私のような商家の出は、今でも百貨店の店頭にサラリと販売員の白衣をまとって

ー   まいど!お世話になります  ー

の台詞はスルッと口から出るに抵抗はありません。

ある時期、歯科医と商家の二足のわらじを履くと云う

奇妙な時期を過ごした経験をしました。

科学と商いの営業、経営と云う全く異なるジャンルの仕事を、

望む望まらずの係わりなく、

運命として受け入れて過ごした経験から、

想わず、これはいかん!と。

父親は、自身の考えに同意すると思っていた私の口から、

来春の博士課程へと転向させると云う考えに興味深く耳を傾けておられました。

辛抱する我慢と、辛抱しない方が良い我慢があると私は思っています。

私は若い頃より、自分が勤め人には全く不向きであると自覚していました。

ですから、大学でも博士を取得した後は飛び出して、

現在も非常勤と云う立場であるから勤まっているのだと思います。

歯医者になっていなかったら、私は料理人になっていたろうと思います。

人生は、ヒョンなことからの成り行きで

流され、転がるかの如く、

進んでいくことも経験しています。

私の歳とも成れば、

職種の転換は最早、手遅れ、やり直すことはほぼ無理でしょう。

が、若者には無限のような長い時間が残されています。

特に、研究者としての【い・ろ・は・】の手ほどきを受けた

この青年の活発な脳髄には、

自然科学を学んだ者の思考回路が確りと刻まれているに違いありません。

人生、何が正解であるのかは判りませんし、

私の物事の正否が判断出来るのは、

歯の仕事だけに限ってと、

私自身が十分に解っています。

其と同じ位に、

考えてには多くのものがあることも解っています。

悔いのない人生などありません。

 

近況

歯は一見、無機的な石ころのように見えるかもしれません。

でも本当は、歯は複雑な構造で成り立っており、

内部は水分に富んだ生命体その物と言えましょう。

また、その歯を支える歯周組織、顎骨も弾力性に富んだ生命体です。

噛み合わせは、それらの複合体ですから、

其れは其れは、複雑な動きをします。

かく云う私でさえも、そんな事とは知らずにこの世界に入りました。

無我夢中の30数年でした。

今でも歯の真の姿を知りません。

決して手に届かない真姿を知らずに生涯、走り、さ迷い、と。

大変な仕事に就いたと、絶句し、

と言いつつ、神仏に感謝して患者さんの診察に日々、追われています。