日別アーカイブ: 2015年12月19日

赤玉

実業家の父上の会社にて海外赴任のバリバリのキャリアの〇〇さんも、

既に30も半ばになったとのこと。

お嬢ちゃん時代からの患者さんですから、

私からしてみれば、何時まで経っても

当時のままの積もりです。

〇〇さんも私のことを、親戚のオジチャンみたいに思って居られるのでしょう。

で、最近になってようやく結婚と云うモノを考え始めた様子。

ー   でも先生、遊ぶ人は絶対に嫌だけど、男の人って何時まで経ってもでしょ?  ー

俺に聞くなよ!と思いつつ、

チョッとカラカッテやろう!と、

いたずらっ子の私は、

ー  其れは違う!勘違い! ー

と。

ー  人間には限界ってモンがあってな! ー

ー  えー!本当ですか? ー

ー  そうだよ、一生で決まってるンや!決まった数に至ったら、

赤玉がポトンって出るンやで! ー

ー    知らんかった!  ー

内心で、

そんな事がある筈ないだろ!と、

吹き出しそうになりながら、

眉間に皺で、

もっともらしく。

歯型を採る際にも、

まだまだ何かを聞きたげな〇〇さんでした。

 

私の過去

手術が終わって、止血を待っているところです。

恐がりなのは今も変わりませんが、

幼い頃とくにその傾向が強かった私は、

怪我をして血が出た時などは、

気が遠のくばかりに脅えおののいたモノでした。

こういう性格って、環境が生まれ変わらすのでしょう。

私は今でも蛙が嫌いです。

庭の土から、親指程度の蛙が飛び出してきた時などには、

奇声を挙げて、韋駄天の如く、

家の中に逃げ帰るほどです。

大学1年生の後期になると実習が始まります。

生物学実習の際に、私は人生初の白衣を纏いました。

背伸びした心持ちを今でも覚えています。

で、実習室の教官の机の上に置いたるダンボール箱の山に、

その後で驚愕する自分などに気づく筈もなく、

ただただ白衣にご満悦の能天気な自分の表情も覚えています。

メロン程の大きさの土蛙の解剖と、

その肉を全て取り除き、

骨だけを綺麗に並べて

骨格標本を造る破目になった私は、

後には退けない想いが、

苦手を克服したのだと、

克服ではありません。

ヤらざるを得なかったと云うのが正直な処です。

今年も何百症例もの手術を執刀しました。

そんな私の過去など、誰も知る由はありません。

ヒィエーイ!

インプラント修復の応援にて、

某歯科技工所から歯科技工士さんがお越しになっていました。

大きな修復物であるので、

私が口の中から調整した人工歯を取り出す度に、

技工士さんが次々と研磨して綺麗に仕上げてくれました。

で、もう一山越えて安堵し、

ー  〇〇さんってお幾つでらっしゃる?  ー

と問いかける私。

ー  もう50になります。 ー

ー  ほー、では私と変わらんね。ー

!!!!!

ー  先生は60を越えてらっしゃるのでは? ー

!!!!!!!!

つい我を忘れて、患者さんに問いかける私。

ー   そんな風に見えますかね?  ー

ー   はい  ー

!!!!!!!

ー  宮田君、そうかね? ー

ー  見慣れていて判りません。ー

ヒィエーイ!

これでも私は、若い時分には随分とモテたと自負していました。

女学生はもとより、OL嬢から花柳界のおねぇさん方から

チヤホヤされたもんです。

木端微塵になったのは云うまでもありません。

大学の藤井先生や、同級の浅見先生など、

近い年齢の古い馴染みを眺めては、

まだまだ俺が若いな!

アイツら老けてるな!

と、秘かに同情していた

身の程知らずの私でした。