日別アーカイブ: 2016年2月15日

不安

私には、せがれが一人居りますが、

私のアキレス腱と言っても良いでしょう。

自分の若い頃を、決して胸を張ってと言えない事を

十分に自覚しているのと、

せがれの可能性を信じる唯一の存在であることに

せがれも何時か気づく時が来るだろうと、

ただ見守ることくらいしか出来ません。

また、男同士しか判らない【アヤ】と云うモノが判るからこそ、

最近の糞のような輩とは違うと云う安堵の気持ちがない訳ではありません。

男が認める男と云うモノは、

女性からしてみれば、

其れは全く理解不能なモノだと思います。

今日も、人気テレビキャスターに隠し子が居たと大騒ぎですが、

昨日までモテハヤシテいた癖に、

今日は怪しからんトンでもない奴だと。

そもそも、芸能の仕事に就く人に

清廉潔白を求めてどうするン?と、

思う私が、時代の尺度とかけ離れているのでしょう。

藤山寛美や春団治、あの輝かしい役者たちが、

今の物指しで、どう生きたのでしょう?

私のせがれは、今時の優等生ではありません。

私も、そうでしたし、

今もそうです。

歯で困って居られる患者さんのお役にたつためだけに、

生きているようなモノです。

他には何の取り柄もない私ですが、

私の範疇にあるファミリーの守り神であった積もりで

厳しい言葉や態度で接してきました。

が、本当にみんな、気づいてくれるのでしょうか?

時代の違い?

今は時代が違うからと云う台詞を

しばしば耳にします。

一生懸命に働いているので、

行き届いた手当てが出来ていないかもしれませんが。

私には、到底、今の普通にはついてはいけません。

と共に、私は今の若い人に

仕事で負けるとも思っていません。

 

私の考え方

昔、当たり前の様に眼にした光景は、

本当は、当たり前では無かったと、

最近になって判るようになりました。

商家で生まれ育った私は、

丁度、日本の高度成長期の最中で、

寝る間も惜しんで働く日本人の中で大きくなりました。

ガス湯沸し器などない五右衛門風呂の時代です。

商品の入ってあった木の箱を斧で叩き割り、

風呂を沸かすのは、小学校低学年であった私の仕事でした。

下校後、遊び場は家の蔵の中。

アチコチから、職人さんや勤めの人達の声が聞こえる中で

時間を過ごしたモノです。

夕食も皆の分を作っていました。

それが、当たり前だと思っていました。

幼い頃から、

トラックの助手席に座り、

配送や集金、仕入れ、などなど

自然と商い身に付ける習慣の中で育ちました。

店が大きくなる過程での、

大きな投資なども観て育ちました。

商いの基本が、感謝に在ると云う事も

自然に身につく事が出来ました。

育った環境を、子は選べません。

私の考え方なり、行動の原点は、

此処に在る事を否定しません。

と共に、批判も受ける積もりもありません。

私は、自分自身が私の仕事の商品であると思っています。

 

マイクロスコープを使った根管治療

歯科医になったばかりの頃の、

私の上司なり、関わった先生方は

其れは其れは厳しかったですよ。

少しでも先方が気に食わない事しようものなら、

カルテなり、資料を床に放り投げられましたもの。

鼻であしらわれ、何度もやり直しサセラレタものでした。

コッチは、退けませんでしたもの。

博士号を採るために、在籍していましたから。

今の人なら、無理でしょう。

不条理の限りだったと

今振り返ってみても、

そう思えますから。

が、あの時が在るから、

今の私が在るんだと思います。

マイクロスコープを使った根管治療が

午後の一番に入っています。

私の根管治療は、

神経の入り口を拡大して診るんじゃありません。

歯の根の先の、神経が歯の中に入ってくる部分を

マイクロスコープで覗きこんでの細かな作業です。

息を殺して、

マイクロスコープから目を離すと

もう焦点は合いません。

ただ一点のみに集中した細か作業です。

 

確りと

せがれに対して頻繁に口にした台詞なのですが、

評論家であるよりも、

クダラナイ小説でも良いから創造する人で在れ。

私は、心底からその様に思っています。

時を重ねる度に、

背中に背負う荷物が増え続けます。

ズシン!と、

その重さに、此からの時の長さを考えると

身のすくむ想いがします。

時には、批判も一身に受けねばなりません。

雪の中を、脚を引き抜き、

一歩づつ前へ前へと進んだ越後での暮らしを

思い出す時、しばしばです。

向風に、頭を垂れて

雪まみれになって歩いた昔を思い出すのです。

他人目では、好き勝手に生きてきたと

感じるかもしれませんが、

その様な虫の良い話しなど在る筈もなし。

したい事が出来る程、世の中甘くはありません。

苦しくても、

荷物を背負う人生を選んで欲しいと、

私は、せがれには、

その様に伝えてきました。