日別アーカイブ: 2016年3月7日

少数派

色々な方が、私のブログを読んで下さっている様です。

意外でした。

大勢の方が、メールを下さいます。

今日は何処其処へ行きましたとか、

何処其処の料理が美味しかったとか、

その様な認め方は、私の流儀に合いません。

その時々の私の感じたままに認めています。

善きにつけ悪しきにつけ、

私の個性の主張の場であると云う認識です。

皆から好かれようと云う考えは、私には全くありません。

人それぞれの感性が在りますので。

で、

面白いことがありました。

先日のブログに認めた

元タイガースのエースであった江夏投手の姿を美しいと云う記述に対して、

「以前、薬物中毒であった方を誉めるのか?」

と云うご意見を頂戴しました。

面白いですね。

法に反した行いは、決して誉められる行為ではありません。

が、

其れと、孤高のマウンドでの姿の美しさは別物であると云う

【分別】が、

反論ではありませんが、

その境界が大切だと想うのです。

私は芸人や政治家の異性問題を

世間がとやかく云うことに、違和感を感じています。

其れとコレは別物と云う【分別】。

私の考えは、少数派なのでしょうね。

 

教育

私の友人は嘗て、父親が恐くて恐くて堪らなかったそうな。

そう言う私も、彼との程度の違いは在れど、同じでした。

不条理とは?を認識させられるキッカケ的な存在が父親であり、

社会へと出でる準備.段階的経験が父親の存在だったと思います。

今どきは【イクメン】って云うんでしょう?

お母さんのような手当てをするお父さん。

昔の父親の子育ての所作と、

今どき求められる良いお父さんの姿には

大きな差異が在るようです。

カミナリ親父などは社会から抹殺されそうな状況です。

教師の求められる役割も、大きく変わったような気がします。

科目の勉強も大切ですが、

理屈通りには決して運ばない不条理、

決して納得できないけど渋渋と云う不条理から、

素直な気持ちを育む仕掛けをの教育が

益々に必要になる気がします。

意識

昨日の日曜日はマリリンをシャンプーし、

次いでアール爺さんをと思いきや、

テーブルの下や椅子の下へと逃げ廻られ

断念したのです。

で、時代劇三昧の1日を過ごしました。

時代劇ニュースと云うコーナーで、

海外の若手が時代劇造りに挑戦する様子が紹介されており、

興味深く、観いってしまいました。

アメリカ人の青年監督が、東映の照明監督に問う場面が。

「時代劇のセオリーって?」

「???セオリー?無い、無い!セオリーは壊すモノ!」

大いに共感させて頂きました。

時代劇を観るにしても、

ただ何となく観るのではなく、

カットへの配慮、

照明に於ける計算など、

工夫を感じとる【観る側の意識】が大切で、

コレは全てに通じることだと。

そう言う意味で、

【鬼平犯科帳】と【剣客商売】は、

何時観ても、何度観ても、

飽きさせない知恵を感じるのです。