日別アーカイブ: 2016年4月23日

ただ1つ

若い時分には、

診療が終わったら街へと出向き、

クラブを二、三軒ほど梯子してなどと云う機会が日常でした。

といって目当ての女性が居た訳ではありません。

ただ何となく、

家は家人が子供の面倒を観て、家事をして、

仕事で疲れている時に煩いのはまっぴら後免という

単純な理由だったと。

海外や国内の学会なども

ショッチュウ行ってました。

家は家人がヤってるからと。

が、

思う処ありが半分、

二回目の家人が私を浮気性と

確固たる自信を持っていたのでしょう。

携帯電話や行動のチェックが厳しく、

私は何時からか、

真っ直ぐに帰宅し、

孫のような歳の娘たちを膝の上に乗せて

子守りもし、

家事も手伝おうと云う気持ちになりました。

本来の自分がどちらかなのかは判りません。

そのような時間を10年ほど続けてみて、

私は家の歯車の1つにしか過ぎないと。

言い換えれば、

空気みたいな、

時々に台風も生じますが。

私が歯科医と云う職人を選んだのは、

組織にそぐわない性格であることを

誰よりも知っているからです。

自分で自分にさえ真面目に向き合っていれば、

出来る仕事が、職人仕事だったからです。

また元来、書物に向き合うことが好きで、

工夫作業も好きであったからです。

私は家族であった人たち、

また、現状の家族から、

【自分の好きな事しかしない】

と、

呆れ顔で、

ある時には、

怒りをブツケられたことを経験しました。

が、

私は、

自分の周りの身近な人の幸せを

一番に考えて過ごしてきた積もりなのですが。

其々が、

その年々、年代、環境の変化で、

考えが変わっていることに私は気づいています。

私だけが、不器用で、

いつまで経っても同じである事も、

判っています。

【歯】だけで、私は、もうすぐ40年です。

ただ1つの事だけ、追っかけてきたのですから。

風化

今、活字と云うか【書籍離れ】が顕著なのだそうです。

加えて【書店離れ】も加速しているそうです。

読みたい書籍はアマゾンで購入するのが普通なのだそうです。

私は暇をみつけては書店へと出向きます。

通りを歩いていた際に、

偶然に【書店】の看板を見かけたら、

つい足を運んでしまいます。

で、

目当ての【書籍】を買うために【書店】へ行く訳ではありません。

書棚を片っぱしから、目線を上から下へと。

【偶然】との出会いを期待して

書店で時間を過ごすのが好きです。

【タイトル】に想わず、

その書籍を手にとって、

頁をハラハラと捲り、

そこで、

脇に抱えるか、元の場所へとソッと戻すか。

その繰り返しです。

私は購入した書籍は棄てません。

ですから、溜まる一方です。

図書館は、大学の図書室はよく利用します。

文献や専門書の宝部屋だと、

今でもワクワクして、

大学の図書館で過ごすのも私の楽しみです。

に反して、

一般の図書館へ行った際に、

私は不思議な想いがしました。

其れは【違和感】と言っても良いかもしれません。

今週号の週刊紙、今月号の雑誌が殆んど取り揃えられています。

新刊の書籍も同様です。

市民や県民のためにと云うば反論は出来ません。

が、

その【為に】って【何】だろう?

モシカシテ【憩い】

確かに大勢の方が、

新聞や雑誌を閲覧されて過ごして居られました。

廃版や絶版になった旧い書籍を

丁重に【保管】することが、

【知】を求める市民サービスの場として

【図書館】の存在価値が在ると、

私は思っています。

今、市中に出回っている週刊紙、雑誌を販売している

【書店】も県民、市民であります。

私は公共性についても、

様々な角度からの検証が必要だと思います。

単に【コレは便利でウケが良い】だけでは

古くから築き上げてきた【文化】が風化しそうです。