月別アーカイブ: 2016年5月

祖父との対面

息子が高松から出る際に、

母方の祖父の形見の品を

御守り代わりに手渡したことがありました。

旧帝国陸軍士官であった祖父の愛用した双眼鏡です。

この祖父の顔を私は知りませんでした。

が、

幼い頃から習慣となった墓参りを繰り返す内に、

この祖父の墓石に愛着を感じていました。

それは、この祖父を【変わり者】と、

その人を知る人たち皆が一様に口にすることと、

親戚などが私を叱る際には、

この祖父の血をひいているからだと、

一様に言われたからかもしれません。

祖父はアイデアマンであった様で、

取得した特許の数も多く、

現在でも、中京地方に祖父の銅像が観られることからも、

普通の人からすれば【変人】だったのでしょう。

先日、新潟へ参りました際に、

深夜帰宅した私を息子が興奮気味で待っておりました。

なんでも退屈しのぎ手持ちぶさたに、

その双眼鏡を思いだし、

ケースの中を覗いてみたら、

隙間ポケットから短冊のような紙の端しっこが見えて、

なんじゃろう?と、

引っ張って、

綺麗に折り畳まれた紙を開いたら

男の人の肖像写真が!

オバケかと!

仰け反った息子なんだそうです。

で、

帰宅したばかりの私と息子は

綺麗に基のケースに仕舞い込まれた紙切れを

恐る恐る取り出して、

あァ!コレは我々のジイサンだと、

二人顔を見合わせて頷いたのでした。

私は毎朝、この祖父の名を心で唱えてお経をあげて過ごして来ました。

墓参りの際には、

墓石を拭いて、

酒、煙草に火をつけてお供えして大きくなりました。

私がそもそも縁のない高松市で開業を思い立ったのは、

この祖父の墓守りをするためでした。

私のような独特のスタイルの歯科医院は、

田舎街でやっていくには、

それはそれで人には言えない程の苦労が在りました。

そんな時に、

この祖父の血をひいているから私には出きるんだ!と。

また、

この祖父や先祖が護ってくれているからと。

私の困ることはしないだろうと。

その祖父の顔は、

血を感じさせられるモノでした。

 

 

 

 

患者さんが増える訳

日曜日の深夜、

私の姿は、

渋谷の細い路地に面した洒落たバーに在りました。

吉祥寺開業の小出 明医師に連れられて、

新宿開業の綺麗な女医さんと共にグラスを傾けていたのです。

普段であれば、この時刻には夢の中である私ですが、

たまには、こういう時も大切なのだと。

小出医師が女医さんに

私と患者さんとの【間合い】について話しているのを

判ってきたな!と、

小出医師の成長振りを温かな気持ちで眺めていたのです。

先刻、

小出医師の診療所にて、

私は少々、厳しい言葉を浴びせていました。

麻酔の方法の初歩の初歩の処からと云う塩梅。

患者さんが歯科医の【本当の技量】が判断できる筈もなく。

だってそうでしょう?

判断できたならば、

どうして〇〇歯科医院に患者さんが行くの?と、

私なら不思議で堪らない現象が在りますもの。

麻酔の仕方なり、

患者さんへの触れ方は、

瞬時に素人でも気づくモンです。

小出医師もこの女医さんも、

私とは同門ではありませんが、

私学育ちの匂いがします。

歯科医は私学出でなければならんと云う

勝手な基準を私は持っています。

利休の一輪挿しの美と、

テレビに出てくる男女みたいな人が活ける派手な生花の美との違い。

この辺の匂いの差が理解出きるのは私学出でなければ無理でしょう。

何れにしても、

若い先生達の会話を新鮮な想いで聞いていました。

私は、どうして患者さんが増えているのか判りませんが、

その訳をこうして若い先生達は気づいてくれてルんでしょうね。

 

二人の恩師

日曜日の朝一番のフライトにて東京へと。

朝の10時に広尾まで行くには、

自宅を6時には出ねばならないと云う、

田舎者の辛い処です。

私の師匠である内藤正裕先生の診療所を訪問するためです。

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先生の貴重な休日を無理矢理に潰させ、

講演会に使うスライド作りの手解きを受けるためです。

若い時分から【歯科の考え方】を手習いさせて頂き、

50過ぎて、今度は【話方の仕込み】の手解きを受ける、

何時まで経っても【頼りないヤンチャ坊主】だと

先生は私の事を、

そう思ってらっしゃるのだと、

先生のスタッフ達からよく聴かされています。

【もう放っとけないみたいですよね!】

本当にありがとうございます。

で、今度は私の方が【放っとけない私の師匠】である

日本歯科大学新潟校で歯科保存学教室第二講座の助教授であった山口隆司先生。

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何かに皆に共通の【変わり者】の琴線が在るんでしょう?

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私が内藤先生の診療所へ赴く際には、

必ず山口先生も新潟から駆け付けるようになりました。

で、

一日中、歯の話しをしていたのは言うまでもありません。

インプラントの価格

書店のなかを徘徊するかのように、

私が一旦、書店へ出向くとなかなか出てきません。

目に停まった背表紙を書棚から抜き出し、

頁を捲り、で、再び戻す。

その繰り返しです。

昨夜も帰宅がてらに書店へと立ち寄ったのです。

で、

面白い【本】を見つけました。

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東京歯科大学 口腔インプラント講座 教授 八島安朝 先生の書かれた

【本当に聞きたい!インプラントの話】

その中で興味をひいたのが、

【適正な価格水準とは】

インプラント1本の上部構造も含んだ費用は、

約40~50万円と。

東京歯科大学での価格です。

で、

ここから医療経費と設備の原価償却を引くと、

1本について【収益】は1万9千円だそうです。

ここには医師の人件費は入っていないのだそうです。

医師の人件費を入れると、

1本につき約7万8千円の赤字だそうです。

私も長い間、インプラント治療に携わって来ました。

企業努力も念をいれて頑張っています。

むちゃくちゃ安価なインプラント治療を行う歯科医院の

【カタクリ】が、私にも判りませんでしたが、

転院組の患者さんの実際を診て、

【ナルほど!】と、

頷き、

仰け反り、

と、いった毎日です。

私は【手抜き工事業者】の建築した【欠陥住宅】は建てたくありません。

でも、

少しでも皆さんが出来る【価格帯】へと

工夫に工夫を重ねて来ました。

それでも、

私には出来ない、

私はしたくない、

と云う治療を望む患者さんもいらっしゃいます。

その様な時には、ヤンワリとお断りさせて頂いています。

この本を見て、

安心しました。

研究始動!

四国の高松市と越後の新潟市までは凡そ860㎞の距離があります。

福井市が丁度、中間と言えば、

新潟市がどれほど遠い処か、お分かりになられる事でしょう。

四国の人からすれば越後は雪国。

越後の人からすれば四国は南国。

交通網や交通機関の発達により、

日本も狭くなったモンだと云いながら、

イヤイヤ随分と遠い処です。

この両の地を再び頻繁に行き来するようになって、

8年も経ったようです。

この間に、

私の利用する交通手段は自ら運転する車から、

飛行機と新幹線を乗り継いでというモノに変わりました。

これは体力の低下が原因であることに間違いありません。

確実に私は歳をとってきています。

それとは裏腹に、

仕事上の係わりは益々と深くなっていることに、

不思議半分、不安半分と言った処です。

大学との仕事は、

教育中心から研究に移行し始めました。

予備的な検討を経過し、

本格的な研究に着手する手筈が整いました。

新潟校の保存学教室第二講座から

新海航一 教授、

山口隆司 前準教授.現相談役、

私、

東京校から保存学第二講座出身で現在総合診療科

石川明子 準教授

東京都麻布開業の内藤正祐先生、

この5名を中心に、

大学院生や助教の先生方などのスタッフを構成し、

メーカーのご協力の上で執り行うラインアップが整いました。

この研究には大きな特徴があります。

1. 神経を採らずに済む治療が可能となる。

2. 産学一体の研究である。

3. 日本歯科大学の東京と新潟のより一層の絆が深まる。

4. 研究のための研究ではなく、当代随一の臨床家である内藤正祐先生も参加する。

5. 保存学と補綴学のエキスパートによる研究と臨床の融合。

この複雑な仕組みの研究のスタートは、

日本歯科大学法人理事である藤井一維教授の決断在ればこその賜物です。

皆が皆で【仕事人】

藤井先生の仕切りは、

やはり【カミソリ】のような切れ衰えずと言ってようでしょう。

 

 

 

 

 

 

判断基準

私は【歯科医学】に関して【だけ】は、

自分に対しても厳しい姿勢をとっています。

あとは、いい加減なグータラですが。

10年前より、5年前の方が、

5年前より、3年前の方が、

3年前より、昨年の方が、

昨年より、今年の方が、

今年より、来年の方が、

上手になりたいと思って過ごして来ました。

この【上手に】と云う基準を、

【臨床的判断基準】と言います。

この基準を年々、上へ上へと揚げて往かねばなりません。

体力は衰えてくるのも事実。

その衰えを補うのが【歯科への情熱】に他なりません。

私は仕事に関わる人達から

【厳しい】【残酷】と云う【謗り】を受ける機会が在ります。

この様な時に私は、耳も傾けません。

患者さんから【ありがとうございます】と言われる【特殊な仕事】です。

誰でも【頑張ったのに】と云う台詞を口にすることは容易です。

また、

【神様は乗り越えられる試練をお与えになる】と云う台詞も耳にします。

この様な台詞を耳にすると私は大いに反発するのです。

【偉そうな口を利くな】と。

【辛苦に喘ぐ、その身になってみろ】と。

雪の中を掻き分けて進む苦労をして初めて、

その様な台詞が無責任な単語でしかないことを自覚するのです。

仕事で振り落とされる理由は、

全責任は自身にあることを、

振り返って自覚しているからこそ、

私は自分に鞭を打つのです。

他人に対しては、

私は未だ甘い方だと思っているのですが。

抗生物質の処方

転院されてお越しなる患者さんが手にした【抗生物質】を診て、

凍りつく想いに駈られるのです。

【メイアクト】なんか多いですが、

歯科領域での繁用には疑問視しています。

【本当に困った時の歯科医院】を自称する私の診療所には

難しい症例が多いのは、私も覚悟しているのですが、

この【処方】問題だけは、

技術の取得努力だけでは解決できません。

医療界全体の問題だと思います。

昨年から大学で始まった【虫歯制御】の研究に

【細菌学】は欠かせません。

正直に告白しますが、

私は、この【細菌学】に大いなるコンプレックスを持っていたのです。

私の学生時代の歯学部の雰囲気は、

技術の取得中心に重きを置いていたため、

基礎医学を甘く視る傾向があったように感じています。

手を抜いていた私は、

今になって大きなツケを払う破目となりました。

この歳で、

あの複雑怪奇な舌の縺れそうな【細菌の名前】を暗記するのは

相当に努力を要しました。

覚えた次から忘れていく、この辛さと情けなさ。

が、

【何事も基の基を辿る】と云う臨床生活から身に付けた【癖】から、

教科書レベルに戻って再勉強したけれども、

記憶は忘却へのベクトルが大きく。

その様な時に、

細菌も生命体ゆえの【原理原則】があると云う知見から、

細菌の構造から学び直す事に気づいたのです。

抗生物質は細菌を叩く薬です。

ご承知のように繁用は、耐性菌の原因となります。

また、適格な処方でなければ【決定打】にはなりません。

ウイルス性の風邪をひいて内科を受診した際に

抗生物質を処方する医者の顔を想わず診てしまうように、

歯科での抗生物質の処方は、

遥かにレベルの低いモノだと感じざるを得ないと

程度の低い医者からも、

その様に思われているのででょう。

今では偉そうな台詞を叩いている私ですが、

薬の処方だけは、

最近までは低レベルであったと反省しています。

このような大口が叩たけるのも、

研究の副産物だと、感謝しています。

心境の変化

昔は休日ともなれば【何処かへと】行かねば損をするような気分だったのですが、

今は自宅で犬と一緒にゴロゴロの方を好むようになったのは

毎日の診療が身体に堪える歳になったのか、

否、

歯科へのエネルギーが益々と旺盛になったためか判りません。

が、

現実に仕事のない日には自宅で過ごすのです。

上京などの出張も出来れば日帰りにて、

最低でも一泊の行程。

新潟へも最低限の滞在で、

出向きは数をこなすようになりました。

粗末でも家の布団が一番と感じるのです。

明日、明後日は高松で診療し、

翌日曜日の上京は朝一番のフライトにて。

一泊ですけど、

帰りも羽田を朝一番の便にての予定。

高松に就いて直ぐに診療所へと舞い戻り、診療所へと。

この頃はあれほど長い間窮屈に感じていた高松市の光景の方が

落ち着くようになりました。

診療所が私のホームグラウンドであることを

日毎に重く感じるのです。

大勢の患者さんが待って下さっています。

診療所での治療が本番であり、

患者さんを診察しない時間をリハーサルに充てて

充実した日々を送ろうと、

これも日毎に強く感じるのです。

 

 

 

歯学部学生の特異性

私は学生諸君にとって【恐い教官】なのだそうです。

医学を学ぶ学生には、

キャンパス内では【自由】や【自己裁量権】はないモノと、

私は考えています。

何故なら、

治療においては【判断の根拠】なり【責任の所在】は

すべて上司の医師に在るからです。

歯科大学は一種の職業訓練の場で在ります。

技術を学ぶ学徒には【徒弟制度】は必須だと

私は考えているのです。

自由気儘を横臥するのも青春の特権ですが、

【型に填まる】窮屈さが、技術取得の第1歩だと。

日本歯科大学新潟校は、

緑とレンガ美しい【歯科の学びの場】です。

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この実習室の中を【恐ろしい私】が

歩き回り、

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ビシャッと!

実習机の上を整然とする事から

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【躾】が始まるのです。

 

今更、他人には聞けない話

今の歯学部の学生は大変な生活を余儀なくされています。

何故なら歯科医師国家試験が大変難しい難所となったからです。

国家試験に臨む現役組が2900名。

既に浪人組は1000名も。

で、今年は合格者は予め約1800名程と定められており、

最早、資格試験とは名ばかりの様相です。

試験の内容も大きく様変わり。

アレは試験ではありません。

歯科医師減のための【嫌がらせ】に近いもんだと思います。

私の時代はルンルンでした。

歯学部は、正に【職業訓練学校】であり、

技術、倫理を育てる【臨床家】の学校でした。

手先優先の教育を受けた私は、

低学年の教養課程は勿論のこと、

基礎医学も手を抜いて遊んでばかりの

阿呆振りでした。

ですから、

後でエライ事になったのは言うまでもありません。

この歳になっても、

家族が呆れる位、

勉強せざるを得ない日々を過ごしています。

で、

私は【微生物学】が克服できていないのを

正直に懺悔します。

この処、この分野の研究に携わっているんですが、

微生物の名前が暗記出来ないのです。

ですから、

紙に書いて何度も見直して、

スペルのミスがないか?などなど。

文献を読んでも基礎学力が欠如しているので、

何度、昔の教科書を見直したことか!

そんな最近の心のモヤモヤを解消してくれる

【書籍】を偶然に見つけたのです。

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書籍との【出会い】って、

人との【出会い】と同じくらい大切なんだと

ツクヅク感じたのです。