日別アーカイブ: 2017年1月30日

【好き】程度

昼時の食事を削って診察している日々が多い事を、

私の患者さんはご存知なのでしょう。

いろんな患者さんが、

治療の序でに、

間食や惣菜を手作りであったり、

ワザワザ買って来て下さり、

ありがとうございますという機会が絶えません。

私の恩師である山口隆二先生は、

日々の昼食の弁当を自らの手作りで

過ごして居られます。

先生の夢は【街の洋食屋】の開店だそうな。

還暦を既に過ぎた歯科医師の先生の夢は

男のロマンと言えましょう。

私も料理は好きです。

が、

毎日の弁当を自分のために造る気力はありませんし、

私の料理好きというのも、

先生と比べれば、

そんな程度のモノでしかありません。

【好き】という表現は同じでも、

その人それぞれに【程度】ってモンが在るんだと、

先の先生の弁当の話しにおいても、

歯の仕事の話しを同業の人との会話の中から、

そう気づいたのです。

私は何よりも【歯の仕事】を優先します。

視界に入るモノ、

耳に聞こえるモノ、

関わるモノ全てにおいて、

歯の仕事に役立つのかしれないと、

歯と結びつける習慣が身に付きました。

歯を抜く際にも、

その症例ごとに

違う工夫なり仕掛けをします。

何故、今、抜歯の話しをと言えば、

正に今、抜歯の手当ての途中の様子観の合間だからです。

麻酔注射して、

はい、抜歯という作業を

私は嫌います。

後の治りを直に計算できるのが、

麻酔注射直後である事に、

ある時気づいたからです。

こんな時に【歯の声】が聞こえるのです。

で、

今、文章を認めながら、

仕掛けのひらめきを得ています。

好きという事かもしれません。

今だからこそ池波正太郎

日本の男の基本型が【池波正太郎】だと断言できる!と、

私の勝手な意見ですが、

そう信じています。

文章にも独特の【リズム】と【言い回し】が在りますが、

池波作品はプロの中のプロの【仕事】だと、

これも私なんかの評価でしかありませんが、

私はそう感じています。

年に一度は必ず、

思い出したように、

池波作品を貪り読むのが、

この10年程の習慣になりました。

歯科医師としての仕事にも、

大いに通じる処ありというのが、

池波作品に魅了された大きな訳でも在ります。

女性や子供たちにも読んで貰いたいという台詞を、

生前に残されたエッセイから知りました。

私のブログも、

女性や子供たちにも判って欲しい男の心根を

私なりの容易な文章で綴る気持ちになったのは、

先の池波先生の言葉に共感したからです。

無論、

患者さんへの説明についても、

噛み砕いて、噛み砕いて、

判り易い表現に努めています。

私は市井の歯科開業医でしかありません。

だからこそ、

患者さんに寄り添って居たいと思うのです。

その気持ちのキッカケであり、

その気持ちを維持できるのも、

池波正太郎の世界に触れているからです。

【鬼平】【梅安】【真田モノ】【剣客商売】を

そんな時代小説だと敬遠されずに、

読んでみなせぃ!と、

先ほど、若い歯科医師の先生に

一言居士のように、

お伝えしたのでした。

 

願い

先祖の墓の移葬の大変さを経験しています。

その様ななか、

過去帳なり家系図から私のルーツを知るという

貴重な副産物を、

先祖からの褒美でしょうか?

知り得るという機会に恵まれました。

私には、

武士と商人の血が流れている事を知りました。

武士は刀、商人は算盤、

持ち物こそ形は違いますが、

魂は同じだと、

私は考えています。

筋を通すのに、

武士も商人も変わりありません。

が、

筋を通すには、

時として自身に、

返り血を浴びる機会もある事は、

この歳ですから、

良く判っています。

私は歯科医師という仕事を通じて、

多くの事を学び、

これからも学んで行く事でしょう。

食べる手段としてだけ職業に従事するのは

不幸だと思っています。

生きる意味を知り、

社会貢献するひとつの手段が、

職業だと考えています。

出来る限りの事をやりますという事は、

誰にでも出来る事です。

出来ない事にチャレンジする情熱と、

出来ない事を出来る日を迎えられる様に、

日々、準備を怠らない人で在りたいと、

私はそう思っています。

私の診療所は、

今も日々、進化の最中です。

それは留まる処はありません。

技術のにテッペンはありませんので。

この様な私ですから、

仕事を支えて下さる技工士さんなり、

歯科衛生士さんも大変だと、

コレマタ感謝の意に絶えません。

でも、

皆が気持ち良く、

協力して下さいます。

私の贔屓筋に、

故 中村勘三郎氏や山本五十六元帥が、

いの一番に思い起こせます。

私は、

アノような人で在りたいと、

今は、そう憧れて、

反れそうになった時に、

一歩踏み留まって、

そういう方々の顔を思い出すのです。

患者さんを包み込む大きな包容力を

身に付ける事が出来ますようにが、

私の今の大きな願いです。

生きる意義

はたから観れば、

開業歯科医という稼業、

派手に見えるのかもしれません。

先般、同じ歯科医師である友人が、

私の暮らし向きを観て、

余りにも質素であるのに驚いていました。

私の考えは、こうです。

私は患者さんからの診療報酬で生計を営んでいます。

ですから、

暮らし向きは質素に、

仕事にはシッカリと使う処は使う。

コレが患者さんへのフィードバックだと思っています。

それに私のような自費診療は税率において

健康保険医師のような優遇処置はありませんし、

経費率もベラボウに大きいのです。

江戸時代の年貢取り立てに喘ぐ百姓のようなモンだと

日々、実感して暮らしています。

それでも私の歯への想いの大きさが、

挫けずに自分を支えているんだと思います。

私は歯科医師に成りたくて、成りたくて、

この仕事に身を置いています。

その感謝が在るから歯を喰い縛って、

トボトボと道を歩いています。

ただ工夫しながら暮らし向きをたてています。

貧相になってはいけないと。

卑しい心になってはならないと。

派手に見えるのは、

私の工夫から、

その様に見えるのでしょう。

私は自分で、

こう思っています。

私は歯の世界の千両役者で在りたいと。

私の身体の隅々から、

心根の末端まで、

やせ我慢の塊だと自覚しています。

歯の治療の理想の形が、

私の診療所であるという実践を続ける事に、

生きる意義を感じています。

活字

昨今は、昔の人と比べて活字離れが著明なのだそうです。

活字中毒の私には到底、理解出来ないのですが。

その様な私が思う処あって、

昨師走から先日まで、

活字を断ちました。

ただ活字のなかには文献や週刊誌の類いは

含まれてはおりません。

文献読みは歯科医師の仕事の内ですし、

歯科という自然科学の範疇にある文章には、

著者の【想い】とか【感性】などは

全く含まれておらず、

完全客観世界の【味気ない】文章です。

ここには【思想】なり【哲学的要素】は

皆無の世界です。

また週刊誌の文章というのは、

文章体には為していないと、

私は考えていますので、

私の中の【種分け】において活字としては

含まれてはおりません。

活字を意図して断っていた私が、

先日コンビニに立ち寄った際に、

偶然、書棚に在った【文藝春秋】を手にとり、

レジへと持ち運んだのです。

衝動的所作と言えましょう。

で、

頁を捲り、

2編の文章を一気呵成に読みました。

私の当初の意図通りに、

乾いた砂漠の砂に染み込む水のように、

私の脳髄に活字は入り込んでゆきました。

この状況を私は欲していたのです。

私が選んだのは、

【父、新田次郎と母、藤原てい】というエッセイを

数学者である藤原正彦氏が認めたモノ。

そして【オール巨人が語る漫才道】という

中村 計氏のノンフィクション記事でした。

読んでみて、

【匂い】というモノに気がついたのです。

古い日本の男という少数派の匂いです。

その事を実感する機会が在りました。

時代遅れになってはならないという

反面反省と焦りもあり、

週末に最近人気で話題と云われるテレビドラマに

テレビのチャンネルを変えたのです。

サラリーマンだかスーパーマンだか、

タイトルは、よく覚えてはおりませんが、

小泉今日子さんが出演しているというのが、

ただ救いとなって、

私を観る気持ちにさせたのです。

で、

私は血圧が上がるのを実感したのです。

何もテレビドラマにイチイチ反応しなくてもと、

笑って下さい。

でも、

アレハいけません。

日本の男を馬鹿にするな!と、

思わず怒鳴りつけたくなりました。

不快な気持ちでいた私ですが、

その後チャンネルを変えて、

役所広司さんが出演の【蜩の記】が在り、

原作は面白ろくありませんでしたが、

良い映画だと。

あぁ!コレが日本の男、日本の女と、

鞄の中の扇子を引っ張り出して、

パシン!と、

膝を叩き、

大いに満足、

大いに感心、

大いに納得したのです。

筋眼って云うんでしょうか?

そういう眼には見えない道って云うんでしょうか?

私は、その辺を大切に暮らしたいと思っています。

活字についても同じで、

読者を納得させる【書き手当て】がないから、

活字離れが進行を助成している気がします。