日別アーカイブ: 2017年5月9日

教え教えられて

私の大学病院での医局員時代の恩師である

当時準教授であった山口先生からは大変お世話になりました。

直接にどうのこうのとの手解きを受けた機会はありません。

私の机の上に読みかけの文献を通りすぎる際に

突然に手に取られ、

タイトルを眺め、

で、

ポンと机の上へと返され、

立ち去って行かれたことが在りました。

数日のあと、

深夜の医局に戻った私の机の上に、

関連する文献が置かれていたのです。

またある時は、

山口先生のお使いになった診療台の後を

片付けする歯科衛生士学校の実習生に頼んで、

先生のお使いになった器具と、

器具の消耗程度と癖を観察していたのです。

ある時から、

先生の治療のあとは、

多くのヒントの痕跡が残されるようになりました。

コックの修業は、

食べ残しの皿を舐める、

鍋にこびりついたスープを指ですくって舐める、

そうやって身体で覚えるもんだと

幼い頃から教えられていました。

ただ意地悪い輩も多いのが現実で、

鍋には直ぐに水を満たしてしまう。

皿にも直ぐに水で流す。

それでも、

その様な環境から、

職人は鍛えられるのではなく、

自分を鍛えてゆくものだと、

私は学んだのです。

ですから、

山口先生には本当に感謝していたのです。

数年前、

犬の散歩する山口先生と偶然に再会しました。

新潟市の柾谷小路です。

20年近く振りの再会でした。

三枝!お前何してる?

私は息子を新潟で鍛えようと思いまして、

明訓高校へと通わせております。

今は私も大学の仕事も終わり、

息子の夕食作りの買い物の途中で在ります!

こういう際の私らの関係は、

旧帝国海軍の如く、上司に対しては、

直立不動で両の手はズボンにピシッと、

と云う次第です。

翌年、医局の温泉旅行が在りました。

其処で、先生が言った台詞が忘れられません。

俺が本当に三枝を信用したのは、息子を明訓に入れたから。

コイツが越後贔屓と云うのは本当だ。

その時の縁で、

私と山口先生は二人で仕事をご一緒する機会が増えました。

奇想天外な私らです。

アイツら、また何かを仕出かすのでは?

保守的な人は、相当警戒していると思います。

しかし、私らにはもう欲はありません。

歯科への恩返しだと感謝の気持ちで動いています。

で、

つくづく私は山口先生に感心するのです。

学者としては私は到底、先生の及ぶ処ではありません。

しかし、

仕事においては学者の先生にも未知の世界や未経験のものも

多いのも事実です。

で、

私の脳味噌の中身を直ぐに納得する人を

嘗て私はお一人しか存じ上げません。

仕事の流れを先生にご説明します。

頭脳明晰である方ですから、

その辺りは楽です。

難しいのは、

見えない行間と、

恐らくこういう事が生じるであろうと仕掛けをして、

そこでチャンスとすると云う戦略と戦術論です。

こういう事は経験が物を言います。

恐らく先生には不明で、納得していない私の指示も多いでしょう。

しかし、先生は黙っています。

で、実直に行動なさいます。

あんまり不思議であるので、

コッチが不安になって聞いたのです。

先生は何故、黙ってるんですか?

判ってないこと、

納得していないこと多いと思うのですが?

先生の台詞は、こういうものでした。

私は三枝、お前を信用している。

段々と、お前の段取りは判ってきた。

網を張ったり、

仕掛けを仕込んだり。

本線だけで勝負するより、

バイパスで保険もかけている。

上手く進む時はソチラに専念、

何処かに遅れが出たら他の仕事を行いながら、

滞りの原因を探っている。

そうだろ?

俺はお前の今の診療を診た。

厳しい道のりであったことは、

同業であるから良く判る。

良い人たちと巡り会う幸運、

それをモノにしたお前の努力が判る。

俺にも新人時代が在った。

不条理さも経験した。

が、

経験の浅いうちは、

何事にも疑う心を捨てて、素直に観察させて貰う。

コレが上達の根本だと思う。

だから俺はお前には何も言わない。

私は本当に良い人たちに恵まれました。

先生は還暦を過ぎて居られます。

私はこのような人で居たいと思うのです。

歯科医師として、

まだまだお役にたちたいですから。

 

人と人

私の二度目の家人は14歳下の沖縄の人です。

南方系の善人と言えましょう。

好奇心旺盛な明るい質で、

直情型、

猪突猛進型の人で在ったことが

私を惹き付けたのだと思います。

私も情熱型の人間です。

しかし、

私は歯科医学と歩んで来た人間です。

また商家の生まれです。

学問にも、

人間と云う対象にも、

物事には、

表と裏が在ると云う事実を

生きる術として覚って来ました。

加えて、

人には生きて来た過去が在ります。

この過去は自分自身で背負うものであり、

他人が詮索すべきものではないと考えています。

隠し事や嘘を言うなら言わない方が良いと云う理屈が在ります。

本当でしょうか?

隠し事や嘘が不信感の諸原でしょうか?

お釈迦様も仰られています。

嘘も方便であると。

人には言いたくないこと、

触れられたくないこと、

沢山抱えて、

それでも先へと歩まねばなりません。

相手が誰で在れ、

私は丸裸にされるのを拒みます。

私は考えます。

不信感の諸原は、

強い嫉妬と、

小さな小さな勘違いの積み重ね、

そして、

矛盾を無理やりに分解分析すること。

それは生きて来た歴史の差に違いありません。

振り返って観ますと、

私の家庭運営は性急だったと思います。

池波正太郎氏の小説ではありませんが、

【人は善い事をしながら、悪い事をする】

【悪い事をしながら、善い事をする】

身を以て、

この苦い味を味わって来ました。

年端も往かぬ若い二度目の家人には、

せちがなく、早急に進む世間の事情など

いちいち説明するよりも、

舵取りは俺がする、

お前は黙って後から着いて来い!

その様な姿勢だったと自覚しています。

言い訳ではありませんが、

私が好いて一緒になった家人を

悪くする筈はありませんから。

しかし、

人には、

丁寧な説明ってものが必要だったのだなと、

今になって気づいたのです。

ただ、

複雑怪奇な私の頭の中身を

どうやって説明出来たものか。

また、

説明されても理解できるだけの人生経験と

受け止める心の準備が在ったのかは疑問ですが。

人と人との関わりとは、

誠に難しいものだと思います。

昨今の状況では驚かれるかもしれません。

時々、

私は患者さんを叱ります。

叱られた事で気分を害して、

もう診察に来れれないのなら、

それはそれで構いません。

認識して頂きたいと思います。

病気の治療は決して快適な行為ではありません。

坂の峠を乗り越えて、

初めて先が観えるのですよ。

その時々の患者さんの

自己診断と自己治療方法の決定に従えない時もあります。

私には医師としての大きな責任が在りますから。

無論、

丁寧に丁寧にご説明には尽くしますよ。

それでも、

判らない方も時には居られます。

その時は、

治療出来ませんから。

ご自身にてご判断して頂くしかありません。

家人との時間を振り返り、

説明して判ってくれたものかどうかは判りません。

ただ、

仕事ではありませんから、

私は説明していなかったことは後悔しています。

と共に、

触れて欲しくない処を、

焼き鏝で、

ジュウジュウと皮膚を突き刺される言葉を浴び、

それでも男だから、

呑み込んで糞にでも出してしまうのが、

世の習いだと。

 

えにし

高名な僧の方とお話ししながら、

ふと、

先にお亡くなりになられたピアニストの武田宏子先生と

何故か重なったのです。

武田宏子先生は激情型のお人柄。

四十九日の法要の後の宴席にて、

先生のお写真を前に、

東京音楽大学教授をお務めになられるご令嬢の真理先生、

その夫君、

私、

三人が輪を組んで、

特に夫君が、

インや!インや!あの婆さん!恐いの何のって!

ひぇ~!ってモンでしたな!

其処へゆくと三枝さん!

あんたなんかのこと誉めてましたよ!

婆さん!

いやいや、

ご生前であれば、

恐ろしくて、絶対に婆さんなどと言えません。

お写真では笑って居られる先生ですが、

アレハ絶対に聞こえていたと思います。

絶対に怒っていたでしょう。

私ら三人に笑いのネタにサレッパナシでしたもの。

が、

武田先生に【筋】が1本通っていた人であったと云うのは

言わずもがなの共通認識で、

善人であることもまた同じ。

私は先生を尊敬していました。

無論、私は音楽の方は全然判りません。

人として、

これだけ筋目正しい患者さんを診た経験はありません。

25年、

先生の受診態度は一貫していました。

医師と患者の関係を越えて、

本当に良い付き合いをさせて頂き、

人生の良い教訓とさせて頂きました。

その武田先生と、

私の前の高名な僧は、

穏やかさと云う点においては、

武田先生すみません!

天と地ほどの大きな差を感じます。

しかし、

人はある域に達したならば境地に至るって言うのでしょうか?

同じ匂いがします。

私もこの歳です。

職業坊主は星の数ほど観て来ました。

エセ占い師も同様です。

しかし、

本当に仏さまなり神さまにお仕えする人生を

積み重ねて過ごされた方々と、

芸一筋で戦い続けた人に

同じ匂いがすることに、

不思議な心持ちと安堵の気持ちを覚えたのです。

歯科と云う仕事も、

ある種の芸ごとです。

自分の未熟さとの戦いです。

想像力と手先の一致にひたすら励み、

表現力に悩んで苦しむ、

それが歯科の一面でもあります。

私は信心な質ですが、宗教家ではありません。

剣術仕合のように、

ジッと、

相手との間合いを取り、

相手を推し量る。

この嫌な私の性格が、

私の対人評価の全てです。

で、

この方は尊敬に値する生き方をされたのだなと。

そう感じたならば、

私ほど素直な人間は居ませんよ。

水が染み込むように、

私の中に、

その方の声なり考えを吸収しますから。

昨夜は多くのお話しを聞かせて下さいました。

私が家庭運営にモガイテいるのを察したからだと思います。

私の方も、どうしたら良いでしょうか?

とも、全く聞きません。

今、自分の頭の中で正しい選択だと確信していることに、

後から大きな誤りであったと云う酷な答えを知った苦い経験が、

安易に答えを出さないと云う姿勢の種となった私を、

相手の高僧はお見通しの様でしたから。

越後贔屓の私は謙信公に憧れますが、

実際の私は信玄公の考え方、動き方を

常に模範として、

落ち着き処を見出だすように努めて来ました。

人と人の関わり合いほど厄介で難しい問題はありません。

意見を求める人を誤れば、

人生を棒に振ってしまいます。

偶然からか、

神仏のお引き合わせか、

それは私には判りません。

が、

昨夜は良い縁に恵まれ、

考える人であることの意味を再認識したのです。