日別アーカイブ: 2017年7月6日

自覚

この間から懸案の種であった、

あのインプラントの患者さん。

前歯の見かけや健康を壊す原因となったインプラントに

悩み、

涙を流した、

あの患者さんです。

患者さんと話しあって、

と云うよりは、

私の主観を誘導していたというのが本当かもしれません。

諸悪の根源である【あのインプラント】を

除去することになって、

先ほどメーカーに注文を入れておいた

インプラント除去の道具が手元に届きました。

インプラントが全て悪い訳ではありません。

インプラントなんてモノはハサミと同じですから。

使い方と使い手で、

全く変わるんです。

もう患者さんに悲しい想いを味わって欲しくはありません。

骨を傷めることなく、

丁寧に、丁寧に、

手当てを尽くしたいと思います。

ただ、

この道具、高かった!

患者さんから頂く治療のご費用より高かった!

そう言えば、

昨朝、

テレビのワイドショーで、

歯科のハンドピースの使いまわしの話題が在りました。

何を今更と。

そういうテレビ画面においても、

ハンドピースは交換していても、

シリンジはそのままでしたよ。

シリンジってのは、

あの水鉄砲のような、

エアーとか水をかけるための、

唾や口に溜まった水を吸いとる細いホースの横にある

アノ道具ですよ。

歯医者さんへ行って、

治療される際に、

よーくチェックして下さいね。

言われないとしない。

その体質の強い世界ですからね。

私のような者は、

だから同業者から嫌われるのです。

時に若い歯科医師が、

知った顔で、

私の仕事に意見してくる機会があるのです。

この10年くらいは、

私は母校の演壇以外には立っていませんから、

私のことをよく知らないのでしょう。

こういう若い歯科医師は、

雑誌に載ってる歯科医師を異常に崇拝する

謂わばブランド大好きの傾向がある人です。

こういう人には、

私は黙って黙しています。

ただある時、

私が医療メーカーの顧問でありましたので、

クレームをつけてきた若い歯科医師の診療所へと、

メーカーの役員とご一緒したことが在りました。

その際、

凄まじい罵声を私たちは浴びせられました。

私の横に座る役員の方は、

怒る相手の歯科医師よりも、

うつむきながら、

私のことを、

物凄く気を遣っておられるのを感じ、

私は笑いそうになったのです。

その若い歯科医師は、

ついに私に対して、

お前呼ばわりしたのです。

診療所のドアを開けた際に、

待合室の壁に掲げた或歯科医師の講習会の受講証明を

私は見ていたのです。

突然、

私は申し上げたのです。

先生、いろいろなご事情がお在りでしょうが、

○○先生の診療所へ、ひとつお電話して下さいませんか?

で、

今、診療所に四国の三枝が来て居りますと、

仰って下さいませんか?

相手は、

????

ポカンと口を開けたまま。

で、

私はポケットから携帯電話を取りだして、

○○先生の携帯電話に電話をいれたのです。

で、

今、○○先生のお弟子さんでしょうか?

私はおじゃまさせて頂いてるんです。

先生、代わりマスねと、

若い歯科医師に携帯電話を渡したのです。

その後ですか?

土下座されての平謝りで、

大変お気の毒でした。

若い歯科医師の未経験を決して責めてはなりません。

皆が経験を重ねて一人前になるのですから。

また、

治療はとても難しいものです。

思いもよらない結果になる場合も経験します。

また、

こうなる結末を知っていても、

あえてヤる場合もあるのです。

それは、

今は、

その手当てしかない場合です。

将棋が話題になってますが、

アマチュアの将棋とプロの有段者の指し手は、

思惑が全く違うのです。

歯科医学の場合には、

国家試験に合格さえすれば、

みんな一緒ですからね。

それが一番恐いんですよ。

日本の専門医、認定医の本質も、

胸に手を当てて観れば、

歯科医師なら判る筈。

判らないヤツは本当のバカでしょうね。

長い間、

歯科医師の仕事をしていて思いますのは、

歯科って本当に面白い仕事だなって事。

学問的には深い、深い世界です。

が、

歯科医師ってのは、

自分も含めまして、

もっと、もっと、

人間的に考えませんと、

ダメになるでしょうね。

そんなこと誰も教えてくれませんから、

よくよく自分で気をつけていないとイケマセンね。

 

 

 

堪える、耐える

九州や北陸地方では、

災害が生じるほどの大雨だそうです。

避難されておられる方々は、

さぞお心細いお気持ちでお過ごしでしょうし、

被災者の方々には、

本当に心からお悔やみ申し上げます。

思いもよらず、

そういう事を、

長い人生ですから、

誰でも少なからず味わいます。

天から降って来たようなと云う表現も在りますから、

私ら人間の力の及ぶ処ではないのでしょう。

ですから太古の人たちは、

自然と神様とを重ねあわせて、

畏れ、

尊び、

感謝して、

これが信仰の基になったものと考えます。

私も平坦な人生であったのならば、

特に信心深くはならなかったと思いますもの。

ただ、

結果として、

苦労して良かったと思っています。

これからも苦労は訪れるのでしょう。

そりゃ嫌ですし、恐いですよ。

でも確実に、

不快な事や、

悲しい事、

辛い事、

腹がたつ事、

私に降りかかってくるのは当たり前です。

だって楽しい事ばかりなんてあり得ないですもの。

自分に負荷が懸かった際に、

よし、伸びるぞ!

そう自分に言い聞かせ、

じっと屈んで、

決して自分からは動かないようにと。

自分から仕掛けたら負けです。

じっと、じっと堪える。

よくよく考えますと、

私も気が長くなったものです。