日別アーカイブ: 2017年8月24日

男同士の絆

東京新橋の線路下のガード街にて、

友人と焼鳥を摘まんでいました。

周りは勤め帰りのサラリーマンだらけ。

みんな、頑張ってるんだな、日本のお父さん!

それにしても、

私なんかも含めて、

男は背負ってるんです。

背負う重さが重いから、

ヘコタレルんではありません。

女房に楽させてやりたい、

ガキたちを一人前の教育を受けさせやりたい、

それが俺の人生の仕事だと信じているから、

社会での不条理に耐えてるんです。

でも今は、

親父は家族の粗大ゴミなんだそうです。

そういう考えをお持ちでない方も居られるでしょう。

でも、

かく云う私でさえも、

あなたはいつも怒ってばかり。

あなたが居たら子供が部屋から消えるのが判らないの?

あなた居ると、私は身体がつかれるの!

他で女でも作ってくれたほうがズッとマシだわ!

あなたはどうしてトイレの蓋を閉めないの!

どうして靴を揃えて脱げないの!

家の前に立つと怖かったですよ。

テレビの優先権などありません。

冷房の温度を決める権利などもありません。

グッと我慢していました。

口では絶対に女性に叶いませんから。

私は馬鹿ですから、

家人への愛情は知り合った当時から、

それでも変わっていませんでした。

だから悩みに悩みましたね。

それでも、

いつの日からか、

私は家人にとっての敵になったのです。

自由の妨げへの原因が私だと云う理屈だったと

昭和の男である私は

仰け反るほど驚いたのです。

家人が子供たちに腹がたち

叱っている以上と云う表現が正しいでしょう。

しかし、

それも元々は私に腹がたつのが原因なんだそうな。

私ですか?

辛抱していますよ。

が、

弦も糸も張りつめ過ぎた状態で、

そこに心の準備もなくの突然に、

大きな負荷がトドメとして、

襲いかかってきたら、

いくらなんでもプツンと切れますよ。

そこからは修羅場ですよ。

ただし、

修羅場になってボロボロになるのは

男の方です。

母子連合軍の無視攻撃に長期間曝されるからです。

焼鳥屋のカウンターの横、後ろから、

男たちの心の会話が聞こえてきます。

みんな同じことで苦しんでるんだ。

かのような人になりたい!

先生の子供時代や若い頃のお話しを、

もっとドンドン聞かせて下さい!

って、よく言われるんですが。

大概が、

ヒャッヒャッと大笑いされてお仕舞い。

で、

本当に先生は変わってますねぇ!

蔑まれるのが常なのに、

おだてに弱い私は、

ついつい余計な事を暴露してしまうのです。

今は窮屈な時代です。

流石に女性関係の話題はピタッと無くなりましたが、

今の政治家などには絶対になれませんね。

過去を叩かれれば

ウジャウジャ出てくること間違い無いですから。

今は本当に、

神さま仏さまにお仕えする位に、

真面目になったと、

朝の洗顔の際の鏡に写る自分の顔を

毎日眺めては、

そう感心しています。

が、

チョッと酒が入って

ホロ酔い気分良い気分になってしまったら、

いつものように、

あ~!

俺も昔はモテてモテて、

息子なんぞは、

また始まったと一言。

これからの私は、

山本五十六元帥のように凛として!

そんな台詞も、

息子は聞き飽きたそうな。

それでも、

山本五十六元帥は私の理想の人物であることに

変わりありません。

信仰する心

家業は継がなくとも、

私は家の長男ですから、

私の朝は、

天照大御神と氏神様を奉った神棚の

お水を交換して、

かけまくもかしこき~

幼い頃から耳で覚えたお払いの祝詞で始まります。

で、

お仏壇のお花の水を交換して、

一保堂のほうじ茶と煎茶、

蝋燭に火を灯し、

香を焚いて、

きみょうむりょう~

浄土真宗のお経を唱え、

それから、

いろいろ私用に取りかかります。

診療所へ出勤してからも、

神棚は自宅と同じ。

次いで、

幼い頃から私の横で、

私の成長を見守って下さった観音さまに

これも、

お水とお酒。

で、

香を焚いて、

般若心教と、

オンアロリキャソワカの御真言をお唱えする。

これが私の日常でした。

私は神さまや仏さま、ご先祖さまの霊の存在を

信じて疑っていません。

日々を過ごせることを感謝しています。

これは本当に本心です。

悪いこともイッパイイッパイした私です。

が、

本心から信じています。

でも、

いくら信心に努めても、

心の中に封印した、

怒りと、

恨みと云う

2つの感情がどうしても取れません。

春、

縁が在ったのでしょう。

ノートルダム学園の三宅聖子シスターと知り合いました。

以前にも申し上げましたが、

私は完全に降参したのです。

一目観て、

俺にゃ敵わない!

持つ物指しが違う方だと悟ったのです。

私の心にある負の感情を

消し去ってしまいたい。

シスターに就いて行けば、

心穏やかな人になれるだろう!

それが私がカトリックへのドアを開いたキッチリです。

情熱を秘めて歯科にぶつかる姿勢は変える積もりはありません。

ついでに、

穏やかな優しい人で居たいと

常日頃から、

そう願っていたのです。

まだまだカトリックの勉強の途中です。

が、

通勤時の車中でハンドルを握りながら、

ふと、患者さんを待つ間に、

アヴェ、マリア、

恵みに満ちた方、

主はあなたと共におられます。

あなたは女のうちで祝福され、

ご胎内の御子イエスも

祝福されています。

神の母、聖マリア、

わたしたち罪びとのために、

今も、

死を迎える時も、

お祈りください、

アーメン。

1日に何度も何度も

心うちで復唱するのです。

何故って聞かれます。

もっともっと高見に行きたいですから。

人の身体を診る仕事ですから。

いつも、

患者さんと一緒に居たいですから。

私は男ですからナイチンゲールにはなれません。

が、

心はナイチンゲールになって、

患者さんと共に居たいですから。