日別アーカイブ: 2017年8月28日

子ども心

私は強度の寂しがり屋です。

それは病気かもしれません。

恐らく、

幼少期の育った環境に原因があるのだと

私個人的な勝手診断を下しています。

私の診断が正しければ、

この寂しがり屋症は生涯治らないでしょう。

小豆島に詩人であった尾崎放哉の墓が在ります。

その縁で、

生前に住んで居られた庵が残って

記念館として、

氏の詩を伝えています。

庵には、

作為的な手が加えられていますので、

私は関心が湧きません。

むしろ、

石に刻まれた詩に心打たれます。

孤独の人であった氏のような生き方を

私は絶対にできない自負が在ります。

大学生ですから、

当たり前ですのに、

息子が帰省すれば

嬉しくてなりません。

寄宿舎生活の思春期の娘が帰省すれば

嬉しくてなりません。

よくコレで、

大学生生活を送れたものだと

想い返すのです。

歳をとってきて、

子ども心に戻っているのでしょうか?

 

いつまで経っても未熟者

午前はメンテナンスの患者さんばかりでした。

ですから、

宮田君は忙しく手を動かしていました。

私の方は、

患者さんへのご挨拶と、

口腔内の検査程度で、

楽な月曜日を迎えさせて頂きました。

が、

午後は一転。

セラミッククラウンの歯型採りや、

歯の細工などで、

眼を凝らして、

手先に命を封入してと言った処です。

今日は遅くまで、

アポイントが入っています。

根管治療やセラミッククラウンのセットなどです。

今しがた、

診療所から息子が帰ったゆきました。

階段の上から、

息子の背中を見下ろし、

玄関口で振り返る息子に、

私は目頭が熱くなりました。

歳のせいでしょうか?

家で2泊の短い帰省でした。

遅くまで、

酒を飲んでいました。

息子は明るくなりました。

と、

全く他人の悪口を言わなくなりました。

誘い水をかけても、

乗ってきません。

不思議に思い、

聞いてみた親の癖して、

馬鹿な私です。

息子からは返事がありませんでした。

いくら誘いを向けても

かわされるのです。

お前はイヤな奴は居らんのか?

と、

不思議な顔で聞くマヌケな私。

息子ですか?

居るよ。

とだけ。

それで?

と、追求する私。

それだけと言う息子。

私は腹が立ちました。

で、

父ちゃん、テールランプ!

で、おしまいの息子。

私のブログは患者さんの合間で綴っています。

で、

先ほど、

根管充填が終わりました。

これから歯科技工士さんも来られて、

セラミッククラウンの色調の最終チェックです。

で、

続きですが、

子どもの教育ってどうなんでしょうかね?

皆目に判りません。

ただ、

息子に接し、

あるところ安心したのです。

それで、

私は未熟者だと痛感したのです。

 

 

息子の寝顔

息子は昨夜は殆んど眠っていません。

朝の出勤時に、

夜中に見つけたんでしょう。

小学時代のランドセルを探し出し、

コレ持って帰るわと。

夜中に目が覚めた私と

再び酒を飲んで、

3時間も眠っていないと思います。

その前の晩も、

起きていたようですから。

私を支えてくれたのは、

大いなる変わり者を貫く私の

家族でした。

が、

この人たち、

本当に私をハラハラさせてもくれましたし、

怒りの極地にまで連れてってくれたモンです。

息子が言いました。

父ちゃん、

車のテールランプみたいになるんやないで!

ホラ!

直ぐに真っ赤な茹で蛸みたいに。

瞬間湯沸し器やで!

私には申し開き出来ません。

本当ですから。

思春期の娘たちに茹で蛸!

年の差離れた家人に瞬間湯沸し器!

コレが私の本当の姿ですから。

息子のヤンチャ振りにはテポドンって処でしょうね。

私には、

まだまだしなければならない責任ってモンを、

息子の寝顔を観て、

娘たちの笑顔を思い出し、

家人のヤンチャと笑顔、そして怒りの顔を

思い出し、

あぁ、

まだまだ歳とれねぇな!

 

 

 

 

本当のこと

私が三宅シスターと会話するのを

電話越しですが、

息子が聞いていました。

で、

横から息子が口を挟むのです。

私の知識不足にハラハラしたのでしょう。

ほらシスター、あれですよ!

何て言いましたっけ?

何処其処の誰それって言われても

シスターも困りますよね。

【ベルナレッタ】

息子が横から、

紙にペンを走らせます。

私ですか?

何でコイツが知ってるん?

奇妙な想いで、

息子を見上げたのです。

ベルナレッタはシスターの名前でもあるそうな。

私は本心から思います。

誰でも良いと。

私でお役にたつのならと。

聖母マリア信条を素直に唱和できるのも、

私なりの【こだわり】の生き方を貫いた自負からです。

無論、

過ち、

間違い、

いろんな反省大いに在りの人生でした。

でも、

少年期に夢見た道の真ん中を、

それも、

舗装されてはいない道の方を

選んでしまいましたが。

道のど真ん中を歩いてきたのは事実です。

人生の選択の岐路において、

私は苦しい方を

選んできたと思います。

それが私の性分ですから。

【ベルナレッタ】のお顔と、

その人についてを知った時には

あぁ、なんと美しいことか!

実際にマリアさまとお会いになった方。

嘘!

そんな訳ないでしょ!

私には、

そういう処が全くありません。

私は素直に信じます。

だって、

本当のことは私には、

判りますもの。

男同士

院長室のソファーで、息子が眠っています。

黒い野球帽で顔を覆って、眠っています。

家人の店仕舞を知った息子は

どうやら案じたようです。

揉めたんじゃないか?と。

息子と家人の間にも

多くの難所が在りました。

が、

大きく遠回りした息子は

大人になったんでしょう。

家人と血が繋がっていない息子です。

家人をねぇちゃんと呼んでいます。

喧嘩の腹いせではないわな!

私の顔を見て

即座に息子が言った台詞です。

そりゃそうだ。

思春期の娘3人のお母さんだもんな!

で、

一人は県外で寮生活プラステニス部。

遠征や練習での足は、

ねぇちゃんの仕事になるわな!

次いで、

宮田さんも結婚したし。

そりゃそうだ!

俺の早とちりだったと。

でも、

息子には思う処在るんでしょう。

家には思春期の娘たちと家人だけですから。

男は私ただひとり。

それも明治の生まれと言われる私です。

父ちゃん、いつでも来てよ!

男同士って、

こういうモンです。

 

 

踏み絵

高校時分に読んだ

遠藤周作氏の有名な沈黙を

その時から、

時々、思い出していました。

私は氏のような真面目な生き方をしていません。

人の業の中で、

さ迷っていたようなモンです。

私が家族に誇れるものと言えば、

歯科医学の道だけは

王道を歩いてきた積もりであること。

お日様の真下を、

汗をイッパイかいて、

絶対に日陰には

逃げださなかったと、

やせ我慢です。

でも、それだけは断言できるのです。

ですから、

他のことはサッパリです。

それだけで精一杯だったからです。

こんな私ですが、

私は神さまが、

許してあげるから、

踏みなさい、

私の息子、

と仰られても、

私は踏みません。

踏めないのではなく、

踏みません。

それが私の頑固者のケジメなんです。

シスターとの会話の中で、

人生には、

踏み絵のような機会は何度も在りますものねと。

 

 

息子の踏んだブレーキ

週末から大学の夏休みを利用して

息子が帰省していました。

今夕、発つようです。

犬たちが喜び勇んでました。

馬鹿な奴だと思っています。

いつも心配ばかりかけさせられています。

が、

息子は青春坂を

ヤッと、

登り始めたようだと、

秘かに気づいたのです。

私はオッチョコチョイで勇み足の傾向があります。

息子は気づいて、

突然、

私の意思に反して、

私に大きなブレーキを踏む行為に出たのです。

父ちゃん、

苦労して、

痩せて、

歯科だけは言い訳無要で駆け走った父ちゃんやないか!

頑張ったけどダメだったと云う言葉が

一番嫌いな父ちゃんやないか!

信念の人。

頑固な人。

1度背中に背負ったら、

絶対に下ろさなかった父ちゃんや。

俺は、自分の身を以て経験して、

今、ここに居るんやで。

黙って、

俺を信じてくれたことを

俺はアホやから今頃、気づいたんや。

高校時分の息子は大いに荒れましてね。

恥ずかしながら、

何度も涙を流して、

自分を責めました。

相手は聞く耳ありませんから。

それでも、

一方通行でしかない、

メールを片道通行覚悟で、

ズッと、

発信し続けました。

嫌われているのに、

馬鹿だと思いました。

でも、

私は信じていたのです。

私が一生懸命関わった息子ですから。

中学の時には、

自宅で殴りあいになりました。

警察呼ばれるくらいの

激しい殴りあいです。

親父ですから、

一生懸命になるのは当たり前なんです。

本人の意思に任せるなどと云う

アマッちょろい理屈で、

厳しい世間を歩いてゆけるほど甘くはありません。

家族だから、

私は手で振り払われても

耐えたんです。

また、

耐えねばならなかったんです。

親父ですから。

一緒に自宅で酒を飲むなんて思いませんでした。

突然、

息子は聖書のなかの或一節を口にしたのです。

私は、その節には届いていませんし、

読んでも記憶できないと思います。

驚きました。

シスターにその話しをしたら、

ほらっ、神さまは良い方へと導いて下さるでしょう?

真夜中、

目が覚めました。

ベッド脇の椅子に息子が座っていました。

眠る私の横でズッと居たようです。

すまなかったとは言いませんが、

息子は、

私にすまなかったと、

声なき声で言っているのは

親父ですから、

十分に伝わってきます。

この数日、

身体を大事に、

身体を大事にと。

そう言いながら、

ブレーキを踏む行為に出た時に、

あぁ、私が間違えていたと思い直したのです。