日別アーカイブ: 2017年10月28日

恵まれた環境

少年時代、

偉人の伝記に夢中になりました。

で、

あぁ云う人になりたいと、

憧れたモノでした。

それが人生って速いモノですね。

もう、

人生の終盤に入った私です。

未だに未熟者で、

秘かに情けなく思っています。

歯学博士の称号を28歳で頂いた頃、

私は生涯の師となる歯科界の巨星との縁を頂きました。

東京都麻布開業の内藤正裕先生です。

が、

先生とは同門ではありません。

ですから通常であれば、

私など可愛がって頂く環境にはありませんでした。

神様、仏様のお導きだと、

心から感謝しています。

私の診療台の目の前には、

先生のお写真を額縁に入れて掲げています。

治療の要所、要所にて、

先生のお顔にチラッと視線を向けて、

先生の目を意識し、

自分を戒めるためです。

また、

何か悩みがあれば、

何か迷った際には、

必ず先生に問うのは、

今も変わりありません。

先生は73歳になられてました。

今でも精力的なのは、

これも今でも変わりありません。

私はアル面において不幸です。

何故なら、

いつまで経っても、

師に追いつけないからです。

私が進歩しても、

悔しい哉。

師は先に進んでいるのです。

これは歯科医学の分野だけではありません。

全ての局面において、

私は生涯、

師に追いつけないでしょう。

今日、

ご紹介した師の写真は、

先生の休憩室での日常風景です。

私は最近になって白衣を纏って診療するようになりました。

それは大学病院では白衣がユニフォームですから

私も着る機会が増えたからです。

以前は、

ワイシャツにネクタイ、

で、

ベストの格好で、

患者さんと向き合っていました。

思うところがあって、

最近、

白衣に変えたのです。

大学の学生諸君に、

医師たる覚悟と嗜みを

観せるためです。

また、

ホームページをご覧になってお越しになられる方は

私の診療所のスタイルをご存知ありません。

初対面で会う私がスリーピースを着て応対すると、

とても緊張されておられるのが、

伝わってきたからです。

が、

昔からの患者さんからの

私は白衣姿の評判の悪いこと!

先生は白衣が似合わない!

落ち込むんですよ。

医師が白衣が似合わないって、

妙な気分になるじゃないですか。

と云って、

堅苦しい格好だと、

初診の患者さんが緊張なさるし。

また、

手術着を普段から纏っている歯科医師を

私は、

すみません。

小バカにしています。

野暮な奴だと。

私が患者としての立場であれば、

そんなセンスの歯科医師に、

自分の大切な歯は絶対に触らせません。

手術着は、

あくまでも手術の際にだけ纏うモノです。

また、

大学病院での、

口腔外科、麻酔科の歯科医師が

身に付ける衣装です。

その違いを判らない歯科医師に、

歯科医学独特のアイデンティティーは

絶対に理解できませんから、

上品で良質な歯の手当ては無理でしょうね。

これは私の師も同じ感覚であったので、

秘かに私は自分のセンスに安堵したのです。

治療において、

物凄く工夫するモンです。

それはプロですから、

当たり前ですよね。

でも、

患者さんへの

自分の見せ方、

話し方、

他にもイッパイ思案する毎日です。

少しずつ、

診療所の設備や備品、

治療方法も、

進化させねばなりません。

そんなよもやま話しを師に語ったら、

宅急便が届きました。

 

師の診療着でした。

そこから【考えること】は、

弟子たる私の責任です。

人生において、

誰を師と選ぶか、

それが決め手になると確信しているのです。

私は幸せ者です。

 

親バカぶりを笑って下さい!

思春期に入りかかった娘への対応が判らなく、

嫌われたくないと云う想いから、

恐ろしくて、

恐ろしくて、

ヤッパリ女性は恐いモンだと、

日々、

痛感しています。

ですから、

娘の日常を聞けません。

下手なことを言えませんから。

特に寮生活ですから、

尚更のこと。

その様ななか、

突然、

学校から封書が送られて来たのです。

???

ヤンチャな息子にハラハラさせられる経験上、

娘までもか!

と、

恐る恐る、

封書を開いた心境をお察し下さい。

コピーが入っていました。

これです。

法隆寺宮大工棟梁の著作への読書感想文でした。

歯の宮大工で在りたいと云う私の夢を

育ってきた環境から、

決して人格者ではないと自認する父たる私の熱い想いだけは、

娘は気付いていたのかもしれません。

単純の塊の見本である私の財布の紐が

全開になったのは言うまでもありません。

神社仏閣の柱に使う木材には神様が宿ると、

宮大工の棟梁は確信し、

それはそれは大切に扱い、

木材の質を読み込み、

木材の声を聞いて、

神様、仏様のお住まいの修復の細工に

命をかけているのです。

私は歯には神様が宿ると、

信じています。

歯の神様は、

西洋では聖アポロニア、

本邦においては、

前方後円墳で有名な仁徳天皇の弟君、

歳ですからお許しください。

お名前が、

喉元まで出かかっているのですが、

あぁ焦れったい!

今、出て来ません。

が、

その方が歯の神様と言われています。

私らは神様が宿る大切な器官を与る仕事なのだから、

そういう想いで、

手当てなさいと、

日々、学生諸君に対して、

口酸っぱく言う煩い教官が私です。

が、

本当に、

心底から私は、

そう信じています。

ですから、

私らは日々を、

歯のために捧げなければなりません。

が、

悲しいかな。

人には限界が在ります。

見落としがないか?

診断に間違いがないか?

正しい治療が出来ているか?

正確な手当てが出来ているか?

気が休まる時はありません。

それでも、

歯が大好きだから、

患者さんの笑顔に救われるから、

手先が動くんです。

何の取り柄もない未熟者です。

それでも、

歯の仕事との縁を大切に

人生を終えたいと思うのです。

で、

お気付きでしょう?

読売新聞の記事を額縁に入れた私は、

ヤッパリ阿呆ですよね。