月別アーカイブ: 2018年4月

祈りの医療

自然科学の世界に身を置くからこそ、

人文科学をも嗜むことが肝要なんです。

カントやデカルトをも、

読んで、

それでも信仰を持つ。

その辺りは、

島国農耕民族である日本人にはない、

西洋人の奥深いメンタリティを

西洋の医師のなかに

日頃の付き合いから感じます。

歯科医師として、

誠実に、

歯と向き合ってきた自負はあります。

自分の家族にしたい治療を患者さんへ、

そんなモンは、

哲学でも、

何でもありません。

人の当たり前の道ですよ。

道徳です。

誰それだけの、

特別な崇高な精神でも

何でもありません。

こういう時の

言葉なり単語の使い方って、

教養とか、

育ちの違いから

変わるんでしょう。

科学を学べば学ぶほどに、

目には見えない偉大な力を

感じざるを得ない。

で、

それが、

禅宗でも、

ヒンズー教でも、

私の場合は、

カトリックに行きついたのですが、

日々の治療の中で、

手を動かしながら、

患者さんのために、

祈りを捧げるのです。

それが、

私がたどり着いた、

医師の心ともでも言えましょうか。

キリスト教だって!

カトリックだって!

三枝は、とうとう頭が狂ったぞ!

てな台詞も、

耳に入ります。

ただ、

それって、

同業者だけなんですよ。

不思議ですね。

私の気持ちは、

歯で本当にご苦労されている方には、

シッカリと伝わるモノなんです。

私の意地みたいなモノですからね

つい、

この間の、

3月31日の、

カトリック最大のお祭りである

復活祭の夜、

 

私は洗礼を受けました。

隣に居られる修道女は、

岡山県のノートルダム学園の校長先生である

三宅シスターです。

この日を

私はずっと待っていたように思います。

ミサの儀式の中の、

イエスキリストが、

捕らわれの身になる

前の夜に、

弟子たちを集めて、

仰せになります。

パンを取り、

これを割って食べなさい。

これは私の身体。

食事の終わりに盃を取り、

仰せになりました。

これを飲みなさい。

これは私の血の盃である。

その台詞、台詞は、

この夜は、

四国地区の司教さまが

役割を演じておられました。

私は、

この司教さまのミサは

崇高な味わいがあって、

楽しみにしています。

私は本当に果報者です。

好きな仕事に就けて、

自分のスタイルを貫いて、

今日まで、

で、

信仰も、

自分の信念に乗っ取り、

葬式の進行プログラムも、

息子と神父さんに、

こんこんと、

くどく、

お願いしているのです。

好きな讃美歌と、

聖マリアさまへの祈りの中でと。

自分の流儀を貫き通した

我が儘坊やとしての

意地みたいなモノがあるんですよ。

 

根管治療の大原則

根管治療を行うのならば、

無菌的処置は不可欠です。

その【初歩の初歩的手順】は、

ラバーダム防湿です。

ラバーダム防湿なくして、

最新鋭のニッケルチタンファイルを駆使した治療をしても、

それは元の木阿弥。

バイ菌の中での治療ですから。

一言で云えば、

無駄だと言えます。

歯冠部分の崩壊が大きく、

ラバーダムの留め金が架からないと云う

言い訳は言語道断です。

その前処置として

様々な治療を行うべきです。

手洗いしないで、

手術場に立ち、

メスを持つ外科医はいません。

同じように、

ラバーダム防湿なくして、

根管治療はあり得ないのです。

嘘だと思うなら、

根管治療で飯を食っている根管治療専門医に

聞いて下さい。

あるいは、

50年も前の根管治療の教科書の

第1項を開いて読んで下さい。

無菌的治療の大切さ。

ラバーダム防湿が当たり前の手順であること。

55歳の私も、

歯科大生時代の講義や実習では、

そう教育を受けました。

教官となった今でも、

私らは、

当時と全く変わらず、

同じように指導を徹底しています。

何故しない?

私には解りません。

ホラ!

ラバーダム防湿の留め金の架からないほど、

歯冠の崩壊した症例は、

私もしばしばです。

このような症例には、

矯正的に引っ張り出す方法もありますし、

いっぱい方法はあるんですよ。

今回は、

外科的な手当てを行いました。

角化歯肉の幅が広くない症例です。

ついでに、

その幅も増えるような手術方法を使いました。

ねっ?

歯が随分と露出したでしょう?

で、

即座に、

ラバーダム防湿にて、

根管治療。

出来ないと云うまえに、

やって下さい。

 

 

私はこのような歯科医院だけは行きたくない

ビックリ仰天!

いくらなんでも、

【お客様】はないでしょ!

患者さんを【お客様】ですと。

ご親切にも、

カードローンのシュミレーションまで、

金額と返済回数を、

ご丁寧に表で解りやすくご説明。

解りますよ。

患者さんの側も、

治療費用は聞きにくい問題ですから。

でもね、

医療ですよ。

医師の知的レベルも技術的スキルの

大きな【違い】ってのを

患者さんの側も知れないのは、

これは時代遅れですよ。

この類いの歯科医院って、

最先端の医療って台詞が大好き!

いろんな処で、

高い講習会費を支払って、

名医になれる筈はありません。

野球教室に通っても、

プロの選手になれるだけでも、

ごくごく一部。

プロの1軍でスタメンに入るなんて。

素人でも判るでしょ?

講習会の認定証や学会の所属なんて、

腕前とは全く無関係。

だいたい、

こういう歯科医院の院長って、

紳士の匂いは感じませんね。

そりゃそうだ。

患者さんを【お客様】ですから、

商人でしょう。

あきんどと、

匠は、

絶対に両立しません。

大勢の歯科医師を観てきた私です。

ありゃ、ダメだ!

弟子たちには、

あぁ成るなよと、

成りたいなら、

私から指導うける必要はないだろと、

私は医療人の精神だけは、

死んでも、

あの世に持ってゆきますよ。

科学とは反証可能なものが定義のひとつ

何でもかんでも、

科学的に証明されているからと、

最もらしく、

患者さんへ講釈される

歯科医師が時たまに、

見受けられます。

恐らく、

科学者としてのトレーニングを

若い時分に強く教育を受けておられない

不幸な方だと解ります。

科学とは、

常に反証されることで進歩する。

それを前提に理論武装するのです。

理論武装は反証され、

で、

また研究が行われ、

それでも、

また反証され。

そういうことです。

ですから、

科学者は凝り固まった頭を持ってはいません。

例えば、

顎関節症などの治療の1つとして、

ボトックス注射を咬筋などの咀嚼筋に応用する

流派が居られます。

根拠を観るに、

ナルホド!と思える処も一部ありますね。

が、

これを全面的に受けいれるのは

愚かなことです。

確かに、

稀に、

今の症状は改善されるかもしれません。

が、

ここで反証します。

咬筋の走行を考えると、

ボトックス注射によって、

顎関節円板は結果的に

前方転位するでしょうね。言わば、

顎関節症は悪化する訳です。

歯科医師で、

この理屈がピン!と来ないのは

ツラいですね。

勉強して下さい。

判らないことだらけ

今時の若い人たちは、

興味のあるモノへは、

徹底的にこだわって、

投資も惜しまないのだそうな。

例えば、

腕時計。

私でさへも躊躇するほどの超高級腕時計が人気で、

120回ものローンを組んでまで、

購入するのが普通だと。

へぇ~?

男の持ち物とは、

年齢と、

乗り越えた仕事の修羅場の数、

社会的地位などなど、

相応しながら、

変わってゆくのが普通だと思っていました。

それに、

私らのような手が商売道具の職人が、

手にチャラチャラ高級腕時計と云うのは、

どうも抵抗感が在るんです。

SEIKOが身分相応だと。

それが手職人のプライドってモンじゃあないですか?

汗臭い男の男とか、

逆に香水プンプンってのも、

いかがなモンかと。

いろんな人と出会いますが、

歯と靴への関心度の低いことに

仰け反りそうになります。

歯の仕事の関係者でさへも、

仕事の打ち合わせなんかで、

口臭で死にそうになるなんて

しょっちゅうです。

靴業界は専門外ですから、

私には関係ないですが、

歯についちゃ、

ほっとけませんね。

歯医者がキチンとしなきゃなんない!

それにしても、

ニコリとしたら、

口元からキラリ!

ご本人は、どうなんでしょう?

私の医療感

忙しい時代になりました。

資本主義の現実が、

実は、

弱肉強食の酷いモノだと気づいた時には、

既に遅しで、

日々、心の余裕もなく。

そんな時代に生きているように感じます。

テレビを観ても、

セクハラ、パワハラ、不倫だと、

本来の報道の王道から外れているモノばかり。

数字至上主義の憐れな見本だと

思わざるを得ません。

私の生きる歯科医療業界も

同じかもしれません。

元来、

医師たる者は、

技術と心を研き続けてゆく者です。

が、

基本的な手技の欠如、

基本的な診断の眼と考え方、

それと、

私らは患者さんの方にだけ注意を払うべきですが、

患者さんを無視した治療を頻繁に目にする機会が増える

今日この頃です。

昨日、

難しいインプラントの手術を執刀する際に、

患者さんの緊張がヒシヒシと伝わってきます。

事の良否は解りませんが、

カトリックのミサのライブCDを

かけながらの雰囲気にチェンジしたのです。

無論、

患者さんはクリスチャンではありません。

ミサなど経験した機会など無いでしょう。

でも、

手術が終わって、

患者さんが仰いました。

グッと落ち着きましたと。

耳から聴こえる讃美歌と、

司祭と信者たちのミサ儀式の台詞に

とてもとても安心したそうな。

執刀する私の心が

とても安定しているのも

伝わってきたそうです。

あぁ、それは良かったと返し、

ニコリと後はスタッフに任せて

手術室を後にしたのです。

医療において大切なことは沢山ありますが、

患者さんへの暖かい愛情なくして、

医療は成り立ちません。

医療と云う職業の在り方を

突き詰めた結果、

キリスト教精神にたどり着いたのです。

今日は、

保存治療中心でプログラムを組んでいます。

さて、

患者さんたちが、

健康でありますように。

心が幸せ感に満たされますように。

私の眼が、症状の仔細を診れますように。

私の手先が、微妙な動きを正確にできますように。

私の言葉、患者さんの心を癒すことができますように。

 

最近の先生って、大人しくなりましたね!ですって

今日のブログのタイトルのようなお言葉を、

しばしば耳にするようになりました。

そりゃ、私も55歳ですからね。

でも、

確かに、

そうかもしれません。

カトリック信者としての祈りが

私を変えたのかもしれません。

患者さんの手当てを始める際に、

心のなかで、

患者さんの幸せを願って、

機具を手にするようになりました。

だって、

私の大切な患者さんですもの。

それと、

日本歯科大学の教授であると云う大きな責任が、

私を大きく変えさせてくれたことに間違いありません。

職階級に相応した治療知識と治療技術を

患者さんに施すことが、

私の仕事の一つでもあります。

また、

歯科医師として紳士たれと、

自覚したのも事実です。

外観は大人しくなりましたが、

歯への情熱は、

未だに青春期のままですが。

 

本当に歯は残せるようになりました

日本歯科大学新潟病院の山口明病院長から

私に発せられた最初のお言葉は、

三枝先生の診療所で実践されておられる歯周病撲滅のノウハウを

何よりも先ずは、

この病院で教育して頂くことを最優先でお願いします。

この命題は、

私にとってはとても容易い作業だと思っています。

30年近く、

歯と戯れるように、

楽しみながら関わってきた私です。

しかも、

日本歯科大学は新潟校のキャンパス内に

附属衛生士短大を保有しています。

マンパワーとなる歯科衛生士さんたちに、

歯肉の声と表情の見方、

手当てのタイミングと

その具体的手当てを

私が包み隠す事なく見せれば良いのです。

で、

歯科衛生士と云うプロ意識を持ち、

患者さんの口腔への意識を高めて頂けるように、

そう促せば、

自然と歯科医師の側も、

歯周組織の健康を無視した修復治療など

出来なくなりますから。

大学、短大巻き込んで、

歯周病との戦い。

大きな組織ですが、

1年でシステムは新潟病院に定着しているでしょう。

歯は本当に残せるようになりました。

変化

細切れ執筆法の名人を自認する私ですが、

あまりの忙しさに、

悲鳴をあげています。

患者さんの合間合間に、

チェックすべき書類 に眼をとおしながら、

大学と医員なり他の教授との

電話会議。

生活のリズムが全く変わってしまいました。