日別アーカイブ: 2018年4月27日

私はこのような歯科医院だけは行きたくない

ビックリ仰天!

いくらなんでも、

【お客様】はないでしょ!

患者さんを【お客様】ですと。

ご親切にも、

カードローンのシュミレーションまで、

金額と返済回数を、

ご丁寧に表で解りやすくご説明。

解りますよ。

患者さんの側も、

治療費用は聞きにくい問題ですから。

でもね、

医療ですよ。

医師の知的レベルも技術的スキルの

大きな【違い】ってのを

患者さんの側も知れないのは、

これは時代遅れですよ。

この類いの歯科医院って、

最先端の医療って台詞が大好き!

いろんな処で、

高い講習会費を支払って、

名医になれる筈はありません。

野球教室に通っても、

プロの選手になれるだけでも、

ごくごく一部。

プロの1軍でスタメンに入るなんて。

素人でも判るでしょ?

講習会の認定証や学会の所属なんて、

腕前とは全く無関係。

だいたい、

こういう歯科医院の院長って、

紳士の匂いは感じませんね。

そりゃそうだ。

患者さんを【お客様】ですから、

商人でしょう。

あきんどと、

匠は、

絶対に両立しません。

大勢の歯科医師を観てきた私です。

ありゃ、ダメだ!

弟子たちには、

あぁ成るなよと、

成りたいなら、

私から指導うける必要はないだろと、

私は医療人の精神だけは、

死んでも、

あの世に持ってゆきますよ。

科学とは反証可能なものが定義のひとつ

何でもかんでも、

科学的に証明されているからと、

最もらしく、

患者さんへ講釈される

歯科医師が時たまに、

見受けられます。

恐らく、

科学者としてのトレーニングを

若い時分に強く教育を受けておられない

不幸な方だと解ります。

科学とは、

常に反証されることで進歩する。

それを前提に理論武装するのです。

理論武装は反証され、

で、

また研究が行われ、

それでも、

また反証され。

そういうことです。

ですから、

科学者は凝り固まった頭を持ってはいません。

例えば、

顎関節症などの治療の1つとして、

ボトックス注射を咬筋などの咀嚼筋に応用する

流派が居られます。

根拠を観るに、

ナルホド!と思える処も一部ありますね。

が、

これを全面的に受けいれるのは

愚かなことです。

確かに、

稀に、

今の症状は改善されるかもしれません。

が、

ここで反証します。

咬筋の走行を考えると、

ボトックス注射によって、

顎関節円板は結果的に

前方転位するでしょうね。言わば、

顎関節症は悪化する訳です。

歯科医師で、

この理屈がピン!と来ないのは

ツラいですね。

勉強して下さい。

判らないことだらけ

今時の若い人たちは、

興味のあるモノへは、

徹底的にこだわって、

投資も惜しまないのだそうな。

例えば、

腕時計。

私でさへも躊躇するほどの超高級腕時計が人気で、

120回ものローンを組んでまで、

購入するのが普通だと。

へぇ~?

男の持ち物とは、

年齢と、

乗り越えた仕事の修羅場の数、

社会的地位などなど、

相応しながら、

変わってゆくのが普通だと思っていました。

それに、

私らのような手が商売道具の職人が、

手にチャラチャラ高級腕時計と云うのは、

どうも抵抗感が在るんです。

SEIKOが身分相応だと。

それが手職人のプライドってモンじゃあないですか?

汗臭い男の男とか、

逆に香水プンプンってのも、

いかがなモンかと。

いろんな人と出会いますが、

歯と靴への関心度の低いことに

仰け反りそうになります。

歯の仕事の関係者でさへも、

仕事の打ち合わせなんかで、

口臭で死にそうになるなんて

しょっちゅうです。

靴業界は専門外ですから、

私には関係ないですが、

歯についちゃ、

ほっとけませんね。

歯医者がキチンとしなきゃなんない!

それにしても、

ニコリとしたら、

口元からキラリ!

ご本人は、どうなんでしょう?

私の医療感

忙しい時代になりました。

資本主義の現実が、

実は、

弱肉強食の酷いモノだと気づいた時には、

既に遅しで、

日々、心の余裕もなく。

そんな時代に生きているように感じます。

テレビを観ても、

セクハラ、パワハラ、不倫だと、

本来の報道の王道から外れているモノばかり。

数字至上主義の憐れな見本だと

思わざるを得ません。

私の生きる歯科医療業界も

同じかもしれません。

元来、

医師たる者は、

技術と心を研き続けてゆく者です。

が、

基本的な手技の欠如、

基本的な診断の眼と考え方、

それと、

私らは患者さんの方にだけ注意を払うべきですが、

患者さんを無視した治療を頻繁に目にする機会が増える

今日この頃です。

昨日、

難しいインプラントの手術を執刀する際に、

患者さんの緊張がヒシヒシと伝わってきます。

事の良否は解りませんが、

カトリックのミサのライブCDを

かけながらの雰囲気にチェンジしたのです。

無論、

患者さんはクリスチャンではありません。

ミサなど経験した機会など無いでしょう。

でも、

手術が終わって、

患者さんが仰いました。

グッと落ち着きましたと。

耳から聴こえる讃美歌と、

司祭と信者たちのミサ儀式の台詞に

とてもとても安心したそうな。

執刀する私の心が

とても安定しているのも

伝わってきたそうです。

あぁ、それは良かったと返し、

ニコリと後はスタッフに任せて

手術室を後にしたのです。

医療において大切なことは沢山ありますが、

患者さんへの暖かい愛情なくして、

医療は成り立ちません。

医療と云う職業の在り方を

突き詰めた結果、

キリスト教精神にたどり着いたのです。

今日は、

保存治療中心でプログラムを組んでいます。

さて、

患者さんたちが、

健康でありますように。

心が幸せ感に満たされますように。

私の眼が、症状の仔細を診れますように。

私の手先が、微妙な動きを正確にできますように。

私の言葉、患者さんの心を癒すことができますように。