日別アーカイブ: 2018年7月12日

それで良いんじゃないかと。

東京行きの上越新幹線の車窓から

片ひじついてボンヤリと、

群馬県高崎市を過ぎた頃でしょうか?

濃い茶色い土の色の光景が視界に入り、

その瞬間的に、

西日本との風土の違いを肌感覚で察知し、

常日頃、

脳裏になんとなく引っ掛かっていた

ある事に、

点灯したように気づいたのです。

私の仕事は歯科医学。

私の趣味も歯科医学。

私の夢も歯科医学。

私を支えるのも歯科医学。

そして、

私のプライドも歯科医学。

それで良いじゃないかと。

18歳の年から、

それだけで生きてきたのです。

過ごしてきたと、

生きてきたとの

違いを判って頂けない方には、

私は唯の異常人かもしれません。

言葉も文章も、

そうなんですが。

本人の意思とは真逆に受け取られる事が、

今時では普通であることに、

驚かなくなりました。

だって、本が売れない時代ですから。

 

長生きすることによって

医療技術の進歩と、

医療政策の貢献によって、

人の寿命はますます長くなるでしょう。

恐らく107歳まで、

人は生きる動物になるでしょう。

90歳を優に越える自分の姿を

イメージ出来るでしょうか?

股や膝などの関節に対する

人工関節に置き換える手術は

今では普通の行為となりました。

長い間、

身体を支えてくれる訳です。

年齢と共に、

関節疲労と磨耗が生じるのは

当たり前です。

でも、

顎関節では?

エッ!

口となると実感して頂けません。

歯科に対する認識の低さに、

淋しい気持ちになります。

歯周病治療の進歩と、

口腔の衛生管理の普及によって、

歯を失う老人は激減しています。

歯がある訳です。

それは社会貢献に繋がりますが、

噛む力を受けとめる顎関節は

どのように変化するのでしょう?

私たち歯科界の初めての経験です。

整形外科分野のように、

人工関節に置換させる手術方法へと向かうのか、

それとも、

非外科的治療方法が進歩するのか、

この分野は、

今後の歯科医師の急務となるでしょう。

歯科医師の領域は、

ますます拡大しています。

先般、

新潟県燕市にて開業の

細山裕先生のお顔を

約10年ぶりに拝見しました。

私が付属病院に復帰したことを知り、

わざわざ来院して下さったのです。

驚きました。

84才になられたとの事。

全く年齢を感じさせられません。

颯爽としたブルーのポロシャツに

白のジーンズ姿で。

懐かしい細山スマイルも健在でした。

無論、

現役でいらっしゃる。

診療スタイルも、

最先端であるのも昔の通り。

私は仰け反るほどに驚いたのです。

カリスマ歯科医師の迫力は、

衰える処か、

ますますエネルギッシュでありました。

仮に、

細山先生ほどの迫力ある84才の方が

患者さんとして、

私の診療所へお越しになられたならば、

私はどのような物指しと基準にて、

治療方法の選択をすれば良いのでしょうか?

私自身が、

医師の立場として、

患者さんの立場になって、

ジックリと考える必要に迫られた気持ちになりました。

 

顎関節症

日本歯科大学新潟には、

小出馨教授と云う、

顎関節の構造と機能の大家が居られます。

顎関節症の治療の大家でもあります。

小出教授の歯科医師である御子息を

私は可愛がっています。

父親譲りの優秀な若手歯科医師です。

将来の母校を支えて下さる大切な宝だと、

私なりに大切に関わっています。

一昨日の深夜まで、

私は小出ジュニアから、

顎関節症についてレクチャーを受けていました。

無論、

大家である小出教授からは、

前もって個人的な教授を受けて、

今度は、

御子息に私の顎関節症の治療を依頼したのです。

私は高度に進行した顎関節症の患者です。

その私を、

将来のホープが、

どのように対応するのか?

私は興味があったからです。

それと共に、

研究から得た知見を持つ専門家を

私は若手であっても、

頭を下げて、

教えを請う主義です。

小出ジュジアが緊張した趣で、

私の治療に臨む姿を

暖かい気持ちで観ていました。

深夜の0時を回って、

付属病院から出て、

ジュジアにホテルまで送って頂きました。

昨夕、

父親である小出教授が、

息子の治療を確認したかったのでしょう。

診療室へ私を誘導し、

診察台に私を座らせて、

診査した瞬間、

先生、ご苦労されて頑張って来られたのですね!

身体がボロボロ。

気力で保ってるようなモノです。

無理しないでと言っても、

先生は無理でしょ。

とにかく私と息子で診療させて頂きますから。

私の横で、

最近になって私から指導を受け始め、

私の患者にもなった歯科技工士の三上君が、

勉強のために横で、

私と小出教授のヤリトリを観て、

大きな衝撃を受けていました。

小出教授は私の顔と頭を丁寧に触診し、

口腔内を診察し、

噛み合わせを診て、

次々と、

私の症状を正確に言い当てたからです。

歯は情念を著す臓器である。

師匠である内藤正裕先生の言葉です。

噛むと云う行為は、

食べるためにだけ行うのではありません。

人が生きる過程において味わう、

喜怒哀楽と云う感情をシッカリと、

噛みしめることで、

歯は受けとめるのです。

小出教授は私の歯を観て瞬間に、

私の人生の軌跡を診たのだと思います。

それがプロの中のプロと云う者です。

私は総合診療科の臨床教授です。

患者さんの治療を

幅広い眼で、

治療するのが務めであると。

ただし、

より深い知識と経験を持つ、

奥の深い総合診療医でありたいと思います。

私のような、

重い顎関節症の患者さんの助けになりますように、

身を以て学びたいと思います。

小出教授、小出ジュジアに深く感謝の意を表して、

私の臨床と教育に活用する積もりです。

これで正常な教育ができるのでしょうか?

歯科医師過剰と云うことで、

歯科医師になっても、

将来の経済的恩恵からは

ほど遠いと云う風潮があります。

その結果、

高校の進路指導の教師は、

生徒を歯学部への進学に対して

否定的考えを持っているようです。

しかし、

ここに大きな誤りがあります。

15年先に、

歯科医師数は完全に不足するからです。

本当でしょうか?

日本歯科大学は日本で最古で最大の

歯科医師教育機関です。

歯科医師会の会員数も、

校友が圧倒的多数を占めています。

半世紀前の歯科医師数が圧倒的に不足していた時代。

日本歯科大学は国の要請により、

東京本校とは別に、

新潟にもう一つの歯学部を創設して、

その窮状を解決するために、

大きな尽力をしました。

今では歯学部は全国で29校あります。

数年前までは、

確かに歯科医師数は増え続け、

歯科医師数過剰問題が生じました。

国は歯科医師国家試験の合格率を

異常なほど手を加え、

今では歯科医師国家試験は難関な資格試験となりました。

結果、

歯学部への入学定員の減少が生じ、

追い打ちをかけるような合格率を引き下げられたことで、

15年先には、

全く歯科医師は不足します。

これは日本歯科大学独自の予測ですが、

歯科界の牽引車としての

過去からの実績から、

ほぼ間違いない事実です。

超高齢者社会に突入します。

その時こそ、

歯科医学の大きな力が必要になります。

意外でしょうが、

何処の歯学部も、

教員の数が全く不足しています。

教員の数が足りないのですから、

経験豊富な教官も絶対的に不足しています。

私は、

この歯学部の現状もそうですが、

小学校の教師の志望者の減少も

根は同じだと考えています。

それは親の質が、

昔とは激変した事です。

躾と怒ることの区別を

社会が認識し間違えてしまっているからです。

昔であれば、

間違ったことを子供がすれば、

親はビンタしていました。

しかし、

根底には大きな愛がありました。

ところが、

時たまに見かける、

無責任な親の子供への虐待を、

躾と同じに評価する空気が

社会に蔓延したのです。

現場の教師は為す術を失いました。

指導と暴力、暴言を

同じに評価されるからです。

私自身にも同じ経験があります。

思春期の娘が、

イライラしていたのでしょう。

くそババアと母親を強くなじりました。

私は娘の頬をビンタし、

なんて事を言うんだ!

と、怒鳴りつけました。

で、

その後の経緯ですよ。

娘は大いに発狂し、

夜に家出をしたのです。

9時を待って、

警察に娘を捜すお願いをしたのです。

その後、

私は妻と警察から、

犯罪者の扱いを受けたのです。

子供を怒鳴るのは暴力。

ビンタたは許されない犯罪行為なんだと。

はぁ~?

でしたよ。

私は妻をくそババアと言った娘に躾をする立場です。

しかし、

妻は私を批判しました。

警察は私を異常人の扱いをしました。

その1週間前に、

妻と娘が大喧嘩をしました。

妻は夜にも関わらず、

娘を家から追い出しました。

怒る妻ほど恐ろしい存在はありません。

が、

私は妻に言いました。

いくらなんでも、

夜に思春期の娘に出てゆけとは言い過ぎだと。

私は妻に探しにゆくように言いました。

また、

出てゆけ!と怒ると、

次は自分から家出をするぞ。

そういう台詞は言うなと

妻に注意しました。

夜、

不眠症の私は睡眠薬を服用します。

この時は、

家庭の雰囲気の悪さに嫌気がさして、

酒を飲みました。

交通事故を起こす可能性がありましたし、

飲酒運転と薬を飲んでの運転こそ

致命的な犯罪行為です。

私は歯科医師免許を持つ身です。

特に、

その辺りには、

神経質な立場です。

ですから、

私は家で待っていました。

この2回の騒動にて、

父たる私が娘を探しに行かないのは

親失格であると、

妻、警察から、

強く非難されたのです。

私は時代の変化?

と割り切る気持ちになれません。

このような考え方で育てられた子供は、

私はロクな大人にならないと思います。

教育の現場も、

正に同じ状況に置かれています。

私のその後ですか?

家中から総スカンの態度で、

扱われています。