月別アーカイブ: 2018年10月

私と神さまとの契約

部分入れ歯の歯型採りから、

インプラント埋入手術まで、

朝から夕刻まで、

今日も忙しくなりそうです。

今年は、

生活のリズムが一変しました。

カトリック教徒として祈りを捧げることを覚え、

母校の臨床教授としての重い立場を思い知らされ、

新しく産まれ代わった積もりで、

日々を過ごすようになりました。

洗礼の祝福として内藤正裕師匠から頂いた

ぶ厚い聖書は、

いつも通勤時の鞄の中に。

歯科医学に生きる。

これが私と神さまの間に交わらせた契約です。

治療を通して、

本当に歯で困った患者さんのために。

治療を通して、

母校で歯科医学を学ぶ学徒のために。

その基となるのが、

私の診療所、

三枝デンタルオフィスです。

患者さんそれぞれのお役にたてますように。

治療の勘所

外観からは、

ヘタクソなクラウン治療ですが、

クラウンがセメントで固定されているので、

まぁ、外れはしない。

ただ、

モノがよく詰まる。

クラウンの境目が臭い。

何故か疲れた際に歯茎が腫れる。

で、

次第に、

クラウンがガツツキ出して、

なんだかグラグラし始めた。

そんな状況が、

ドンドン悪化して、

ホームページで、

手頃か、

あるいは、

自画自賛の名医の診療所へと。

で、

なんだか怪しいと、

賢明にも気づいた方が、

私の診療所へお越しになられる。

これが、

大概のパターンです。

通り抜けてこられた歯科医院については、

地区によって、

だいたい3パターン程度。

これも興味深いのです。

クラウンを外して、

歯周外科手術を行い、

右の根だけの歯のほうが、

その右隣の歯より悪くお感じになられるかもしれません。

でもね、

外科手術の後の写真は、

私が丁寧に炎症を取り、

骨の整形と歯肉の整形を行なった直後だからです。

歯肉を剥離した直後は、

上の写真のような状況だったのです。

根だけの歯の右隣、

歯根が黒ずみ、

根を覆う骨が裂けて溶けて、

黒ずんだ歯根が見えていますね。

治療のある過程までは、

この黒ずんだ歯は利用します。

仮歯の支えとしてです。

この歯にとっての、

最後のご奉公でしょうか。

他の歯は着々と治療は進みます。

抜く予定の歯であっても、

仮歯は削った境目は、

キチンと適合させねばなりません。

プラークの巣になるからです。

で、

2回目の仮歯を装着する時、

この歯の役目は十分に果たしてくれましたので、

抜歯します。

根が真っ黒でしょ?

何でか判りますか?

根管治療のさいに、

チョコッと治療しては、

何回も何回も、

通わせる歯科医院。

その通う度に、

根管の中に、

薬を封印するんですが、

それが、

ドンドンと、

歯の表面に染みこんでゆき、

歯の表面に至り、

歯根の表面を被う大切なセメント質を

このように殺してしまうんですよ。

それに気がつかないで、

セラミック・クラウンなど入れても、

後から、

酷い目に遭うでしょう。

予知できない歯の抜歯も、

将来を見越せば、

良心的な治療でもあるのです。

低侵襲の抜歯のあと、

2回目の仮歯は、

予めブリッジの設計ですから、

逆に、

見映えは、

断然に良くなりましたし、

良く噛める!

根管治療を行うに際して、

1. ラバーダム防湿を絶対に行うこと

2. 治療時間は少々長くても辛抱して下さい。

3.治療回数は1回から2回。

最低でも3回で終了。

4.できればマイクロスコープを使う治療であること。

ただし、

マイクロスコープは医院に置いてあることと、

実際に使って治療して貰うことは違いますからね!

 

労働の意味合い

青春期を新潟県で過ごしたからでしょう。

その時代は、

ロッキード事件によって刑事被告人の立場に在りながら、

故郷新潟県人の強い支持によって、

圧倒的な選挙の強さを誇る

故田中角栄元首相の熱い演説に触れ、

また、

講演会の有力者によって

元首相の掌の温もりに感激したものでした。

時偶に、

書棚から。

年がら年中、

働いている私の原点は、

戦後まもなく貧しかった日本が、

豊かさに憧れ、

国中が労働に汗を流す時代に

幼少期を育ち、

故郷から遠く離れた雪国にて、

歯科医学の初頭教育から博士号を授与されるまでの

人間形成期を、

労働と、

学問、

手に技術を身につけること、

それのみであったことと関係していると思います。

人生を楽しむための収入を得るための労働、

仕事に生き甲斐を見出して、

その結果として対価を得ること、

同じ働くことでも、

全く意味合いは変わります。

歯科医学においても、

全く同じだと。

 

 

発信の場は

私の基本的な考え方についてお話しします。

日本歯科大学から臨床教授の辞令を頂きました以上、

私の診療所での仕事以外は、

母校の教官、医員、臨床研修医、学生たちに対してのみ、

フォーカスを集中させること。

日本歯科大学の臨床と教育の向上のために

私のエネルギーを使うことが、

私の立場であると考えています。

日本歯科大学はわが国で最古で最大の

歯科教育機関です。

日本歯科医師会、

日本歯科医学会、

日本歯科医師政治連盟、

日本インプラント学会、

などの主要機関の会長職は、

全て日本歯科大学の卒業生が、

その重責を担っています。

私自身の治療行為、発言、所作など、

歯科医学の王道を歩む担保された根拠が必要です。

最近のトレンド!

そのような軽い話題提供は

慎むべき立場であると考えています。

私の考え方の発信の場は、

私の診療所、

日本歯科大学の教壇と診療室、

そして、

このブログだけに限定させて頂いています。

 

修復治療成功の秘訣・噛み合わせ調整の微調整

昨日の2回目の仮歯の治療。

私らは、

このような仮歯を、

プロビジョナル・レストレーションと

呼んでいます。

仮歯と言えども、

最終修復物の製作に則り、

製作過程を踏みます。

違うのは、

材質のみです。

柔らかい素材を使うことで、

修復物の傷み具合や、

起こりうるトラブルを

早々に予知できるのです。

私の治療に、

プロビジョナル・レストレーションは欠かせません。

このような精密仕事は、

歯科技工士の知識、技量も

大きく製作物に影響します。

良く出来たプロビジョナル・レストレーションを

活かすも、

殺すのも、

私ら歯科医師次第です。

噛み合わせ調整には、

原理・原則があります。

そのルールに則り、

微調整する訳です。

噛み合わせ調整って、

高い?

低い?

患者さんに聞くモンじゃありません。

疲れたぜ!で、チョッと癒し

先の仮歯の装着。

ついでに、

1本、

マイクロスコープで、

根管治療。

午前10時スタートで、

今は午後の3時半。

少しばかり休憩をはさんで、

今から、

噛み合わせ調整。

疲れたぜ!

帰宅は、

運転をマリリンにお願いしましょうか。

 

三枝メソッド

今年の2月に、

初診でお越しになられた、

あの女性患者さん。

初対面の際に、、

彼女の頬を流れた涙を忘れません。

修復治療された歯、

根管治療を受けた歯は、

全てボロボロでした。

実際に私が、

この悲惨なる治療モドキの口腔に戦いを挑む

作戦を決めたのは、

7月です。

そこから一気呵成に、

でも、

各治療手順を厳守し、

粛々と、

治療を進めてきました。

情熱のブラッシングが奏功し、

ヘタクソな、

削った境目に隙間のある、

クラウン擬きの境目が、

見えてきています。

当初は、

この部分にプラークが蓄積して、

歯茎が腫れて、

見えなかったのです。

患者さんが一生懸命に

私のアドレス通りに、

情熱のブラッシングしたんですよ。

で、

一気呵成に、

歯周病の原因である、

破壊者の入れたクラウンを外します。

で、

予め計算し作戦に則り製作した仮歯を入れます。

修復物の形を計算して製作すれば、

その瞬間から

歯茎は、

私に耳を傾けてくれるようになります。

少しばかりは腫れが消えていますね。

そこで、

一気に歯周外科手術です。

歯肉が治癒する間に、

根管治療のやり直し。

これも大変な作業でした。

ただし、

歯周外科手術のおかげで、

全ての歯は、

ラバーダム防湿下で、

無菌的治療が完結出来ました。

また、

元来、

右側下顎の歯を抜かれた処には、

インプラント治療を並行して進めてきました。

歯槽骨が痩せて、

頬の粘膜が歯槽に近接しています。

このような状況では、

インプラント周囲の歯肉は安定しません。

で、

こういう状況には、

歯肉を移植し、

インプラント周囲に強い歯肉環境を整備します。

あと、

残念なことに、

右側上顎小臼歯は救えませんでした。

土台が脆すぎたのです。

原因は、

根管治療とファイバーポストなどの土台作りの際に

歯根内部を削り過ぎて、

根がペラペラになるほど、

薄くなっていました。

私にすれば珍しく、

抜歯即時埋入インプラントを行いました。

白く見えるツブツブは、

骨補填材です。

そんなこんなで、

3ヶ月間、

歯肉の手術後の熟成を待って、

2回目の仮歯を造るための歯型を採りました。

写真は、

その前準備です。

仮歯と言えども、

形、

機能、

噛み合わせ、

徹底的に計算しています。

綺麗でしょ?

で、

仮歯装着前の歯の状態です。

歯茎は健康そのものですね!

右側の2番は抜歯します。

で、

2回目の仮歯を装着しました。

やっと、

一段落ですね。

患者さんも、

もう自分の歯は大丈夫!

長持ちするぞ!

この時期になれば、

シッカリと自覚されるのです。

これが三枝デンタルオフィスの治療です。

単細胞

診療所の前の通りの並びに、

コンビニエンスストアが在るんですが、

大学生のアルバイトなんでしょうね。

可愛いらしげなお嬢さんが、

朝早くに、

一生懸命、

働いておられます。

清々しいなと、

温かい眼差しで、

エールを送り、

頑張れよと、

声をかけるのも、

私の日課です。

私は実は甘党なんです。

で、

先ほど、

合間にどら焼きを買い求めに行った際のこと。

あら、先生、おはようございます。

先生ってダンディですよね!

自分でも表情が緩み、

鼻の下がリビングルームのように

拡がるのを自覚。

どら焼きを急いで、

シュークリームに交換。

駆け走り、

診療所へと舞い戻り、

スタッフと、

患者さんに、

実はコレコレ云々。

あぁ!

今日は気持ち良く診療出来そうです。

32年の付き合いの重さから

温暖な瀬戸内に暮らす人々には、

実感が湧かないかもしれません。

越後新潟の冬は、

日本海から吹き付ける台風なみの強風と、

視界を遮るほどの雪、雪、雪。

雪で覆われた大地に、

脚をシッカリと踏みしめて、

顔全体を凍らすような吹き付ける風、風、風。

頸をすくめて、

頭を下げて、

前へ、前へと、

春の訪れるまで、

辛抱することが新潟県人の日常となのです。

そろそろ冬支度。

普段、新潟での脚に使っている車を入れ替える必要性から、

高松市までの片道860キロの距離が

今の私には、

大変なストレスとなりました。

3年前までは、

診療を終えてから、

深夜の北陸道をひたすら駆け走り、

日本海からの日の出を仰ぎ見ながらの

徹夜の移動を

年に20回以上のピストン移動を

7年ほどは続けてが、

私の日常生活の1部だったのですが。

歳をとったんですね。

また、

患者さんからも言われるんです。

先生、危ないから止めてくださいと。

しぶしぶ、

飛行機と新幹線を乗り継ぐことにしたのですが。

新潟は地平線があるほどに広大な大地です。

田中角栄元首相のお膝元。

完璧なほどに整った道路事情は、

他地域の方は、

仰け反るでしょう。

車社会の見本が新潟県かもしれません。

そんな中、

日本歯科大学付属病院の技工士長の関口君が

声をかけてくれました。

彼は私より少しばかり年少。

私が歯科医師1年生のペイペイ時代の頃からの

長い付き合いです。

スマートな青年であった彼も、

シッカリと貫禄のある技工士のトップとなりました。

私の診療を、

あうんの呼吸で、

今でも安定して補佐して下さり、

技工士全員の教育の司に成長した姿を

微笑ましく、

また、

頼もしく、

眺めています。

日本歯科大学付属病院の技工物が質的な安定があるのは、

日頃の彼の努力の賜物と言って良いでしょう。

患者さんのための病院ですから。

そんな彼の口癖も、

私は信頼の根拠となっています。

彼はナンでも、

有給休暇を取ったことがないとのこと。

先生、今回は有給休暇を取って、

私が運転して、

先生を高松市までお連れ致します。

私は彼のご厚意に甘えました。

で、

土曜日、日曜日の2日間、

白衣を持ち込んで、

私の診療をズッと横で見学されました。

同業者からは、

優雅な歯科医師に見える私なんだそうです。

そんな私に彼はしみじみ言われたのです。

患者さんが、

先生の診療所へ遠くからでも

お越しになられる理由。

私はシッカリと判りました。

大学での部下の教育に大いに参考にします。

私たちは日本歯科大学の教官です。

母校への愛校精神に二心はありません。

留守を守る彼の部下は、

2日間は、

さぞかし大変だったでしょう。

しかし、

彼は何かしらを掴んで、

職場へ向かうに違いありません。

診療の後、

先生、実は歯が痛いんです。

診療台に横たわらせ、

ジッと診察し、

で、

2本の歯を、

チョコチョコと、

噛み合わせ調整。

相手は、

日本歯科大学の技工士長ですから。

私も楽しめました。

 

私は歯科保存学出身の総合診療科の臨床教授です。

職責にかけての真剣勝負でしたね。

歯の声は、

私の耳は、

正確に受け取ったようです。