日別アーカイブ: 2020年3月13日

思い出・というよりは・傷

チョッと、

一息ついて・院長室に戻って、

壁掛けの時計・の時刻を見ると、

午後の4時前です。

そういえば、

9年前、

剥き出しになり、

割れ、

反り返った道路のアスファルトを、

走り、

ジャンプし、

脇を・這うようにし、

東北大学付属病院の中央入口を目指して・いました。

自動車は、

途中で、道路脇に・乗り捨てました。

土地勘のない地域。

グーグルマップなんて、

当時は・今日ほど進化していません。

ぶら下がり・落ちかけの標識を頼りに、

凍てつく大気の中を・探し回って・いました。

午後の4時キッカリに、

人混みに混じって、

愚息の姿を・見つけました。

宮城県へ行く折りに下げ渡した、

私のお気に入りであったダンヒルの革ジャン姿の

愚息を・見つけたのです。

会話する間もなく、

置いた自動車まで・ひたすら走り、

さぁ・新潟へ・帰ろうと、

ハンドルをターンさせたのです。

暗くなった峠で、

通行止めに・遭遇しては、

道を変え、

で、また・通行止め、

道を変えて・また通行止め、

の・繰り返し。

真夜中に・やっと山形市へと・たどり着いたのです。

宿をお願いして、

ベッドに座り込みました。

記憶では・風呂は沸かせなったと思います。

冷え切った身体でしたが、

愚息は・外で2夜を・過ごしたようでした。

何人かの人と・肩を寄せ合って、

暖をとっての・夜を・過ごしたようでした。

私のメールは・届いたのです。

周囲の大人たちは、

四国のお父さんが・来られる筈がないと・

口々に言い聞かせ、

ジッと・するようにと。

普段から、

頑固で、

言い出したら・聞かない父親を、

彼は・誰よりも・知っています。

父ちゃんは飛行機事故に遭っても、

瓦礫から出てきそうやな・

ソレが・愚息の父親に対する・見方ナンです。

壊れた街を、

彼も、

約束の場所を・目指したそうな。

山形市の宿では、

自動販売機のアーモンドが1袋のみ。

空腹では・ありましたが、

やっと・私は眠ることが・できました。

翌朝、

ドトールコーヒーが、

炊き出しを・していました。

ジャムを薄く塗ったトーストと、

薄いホット・コーヒーしか・ありませんが・という、

店の主人に、

何度も・何度も・手を握り、

御礼を繰り返す私たち。

凄まじい・雪一色。

転がるように、

新潟との県境まで・たどり着いた時には、

とっくに日は暮れていました。

車の中の愚息は、

終始・無言です。

私も、

要らぬ事は・言いませんし・聞きません。

真っ暗な中、

新潟市のシンボルである萬代橋が視界に入った時の

嬉しさ、

ホッとした・安堵感は忘れません。

 

言葉

昔、

歌謡曲で、

学生街の喫茶店・って唄がありました。

ご多分に漏れず、

私の・行きつけの店も・ありました。

フルールという名の・喫茶店です。

当時の私立歯科大学の学生はお洒落でした。

高級外車とブランド品ってノが・当たり前だった、

懐かしい時代です。

大学の近くに在るにも・関わらず、

この店に・お洒落な歯科大生が来ることは・ありませんでした。

お洒落さ・からは、ほど遠い空気が、

店の前からも・漂っていたからでしょう。

暇なマスターは、

カウンターで、

漫画本を眺めては・大笑い。

カウンター脇から

ゴキブリの子どもが・すーと、

走り去るのも・日常茶飯事。

イタリアン・ピラフ

メキシカン・ピラフ

ナンとか・ピラフ

メニューには・ソレなりの品々が・あるんですが、

出てくるモノは、

全部・同じピラフ。

笑っちゃいました。

ランチの食材は・全て業務用の揚げ物。

仕事に対しては、

全く・やる気ない方でした。

そんな店でしたが、

来る人は・来るんです。

リピーターばかり。

何故だろう?

調査の積もりで・通い出して、

結局、

私もリピーターに・なりました。

自宅に居る・安堵感とでも・言いましょうか。

そういう空気が、

このマスターには・ありました。

時代は移り、

学生街の喫茶店の・ほとんどが、

姿を消しました。

数年前、

トンカツ屋の前に・路駐し、

串カツ定食を堪能していると、

店の引き戸が・ガラリと開き、

懐かしい笑顔が、

あ~っ・ヤッパリ・三枝じゃあねぇか!

香川ナンバーが・在るっけさぁ。

もしや・してぃ・と・思ってさ。

フルールのマスターだったのです。

昨日、

何年かぶりに、

電話をいただきました。

69歳に・なられたとのこと。

さぁ・え~・ぐぅ・さぁ~・

なんて、

未だに呼んでくれる人が・少なくなりました。

私にとっては、

気を遣わないですむ・貴重な人材です。

今度さぁ・泊まりにくっべぇ。

酒でも・飲んでよぉ。

ありがたい一言でした。

未だに・消えない記憶

どうした・モノでしょうか?

昨日は、秋田で。

今日の未明には、能登沖で、

地震が在った・そうな。

ただでさへ・眼には見えない恐怖に包まれる昨今。

これに加えて、

大地が揺れ、

海が襲ってくれば、

いくらなんでも・平静な心は、

到底・保つことは・できません。

9年前の・今、

早朝の5時に新潟市を出立しましたので、

日本海の荒海が国道を・洗わんばかりの村上市あたりまで、

たどり着いた頃だったと・記憶しています。

大海を背に、

眼前にそびえる・雪白い山脈を仰ぎ見、

これを越えるのか・と。

呆然と・なりました。

信仰のやま・月山を目指して、

アクセルを踏み込んだのです。

車載テレビからは、

AC日本広告機構の音楽が・繰り返し・繰り返し。

当時、

この音楽に・腹が立ちました。

何度も・何度も・シツコイと。

心が・荒れていたンですね。

ただ、

時たまに、

このコマーシャル音楽が・テレビから流れてき、

耳に致しますと、

瞬間に・当時に返り、

身体が・硬直します。

それほどまでに、

波瀾万丈の人生であった私の・経験を、

吹っ飛ばすほどの・最大級のトラウマを

受けたンだと・思います。

雪の山道。

路面は雪。

右も左も・高い雪の壁。

せり立っていました。

カーブする山の道を進むも、

眼前は、

何時まで経っても、

雪の壁・続き。

不安で・堪りませんでした。

前へ・進んで・何処に行くのか?

大丈夫なのか?

といって、

バックするだけの・車道幅は・ないのですから、

ただ・ただ・進むしか・ありません。

正午前に、

盆地である山形市まで・進みました。

もう・ひと山・越えねば、

太平洋側の仙台市へは・行けません。

車に、

思わず、

頑張ってくれと、

声をかけた・モノでした。

午前0時を基準に、

2時間間隔で、

10分間だけ、

東北大学付属病院の正面玄関で待て・父は行く。

ソレだけを・メールに託して・いました。

被災時の家族との・待ち合わせ場所。

これは・正確さが・重要です。

ピンポイントで。

時刻も、

熱さ・寒さで、

身体が・壊れるかも・しれません。

ピンポイントで、

繰り返し・繰り返しのチャンスを。

そうでないと、

すれ違いが・起こります。

この辺りの正確さを・求めるのは、

間違いなく、

私が歯医者だからこそ・だと思います。

太平洋側の・地面も・海も・川も、

私を壊して・しまいました。

生き方の模範を、

東郷平八郎元帥や山本五十六元帥とする私ですが、

決して軍国主義者では・ありません。

加藤友三郎大将の提唱する・不戦艦隊、

抑止力としての軍備に・賛同し、

決して軍が・動く事のない政治をと、

常々・願って・おりましたから、

自衛隊の海外への派遣については、

断固反対の意見で・います。

そんな私が・立つ大地は、

戦場の痕に包まれて・いたのです。

言葉で・お伝えすることは、

差し控えたいと・思います。

あの時から、

私は・世情や世論を、

行動の判断基準に・しなく・なりました。

自分の眼と・耳と・肌感覚から来る

自分自身の・勘・を1番に信用するように・なりました。

ソレと、

勤勉さと、

常日頃の備え・です。

人が変わったと・言われる時が・あります。

当たり前ですよ。

多くの御霊が・犠牲になった時代に、

其処に居たのですから。