日別アーカイブ: 2020年10月31日

最初の・家人との間に・設けた・初めての娘が、

31年も前の・今日、

この世に・生を受けました。

澄み渡った・夜空に・満天の星輝く夜でした。

私は娘に、

私が百合の花が・何よりも・好きであったことと、

真っ直ぐな・道を歩く人生をと、

そのような想いで、

名前をつけました。

娘に対しては・真っ直ぐな・人生を望みながら、

父たる私は、

さまざまる道を・彷徨いあるく、

これもある意味・そのような道を・選んだのです。

後悔・反省ないなどと云う人を、

私は・信用しません。

ただ、

後悔・反省を・糧に、

前へと・進むのが・生きる意味だと・考えます。

今日の・今、

娘は・何を考え、何を思っているのでしょう。

娘の脳裏に・父の存在など・不要です。

が、

父は、

毎日・毎日を、

娘の面影を・思い浮かべ、

祈りを・捧げるモノであることを、

長い年月から・体験しています。

親でも、

母親と・父親とでは、

全く・異質の・生き物である事も・学びました。

父とは、

哀しいモノを・背負っているのですね。

娘の人生に・幸多き事を、

心から・いつも・祈ってますよ。

 

チャレンジ精神

大学3年の・夏休みの終わり。

自動車で帰省した私が・大学に戻る際に、

祖父を同乗した・短い旅を・思い出しました。

お仏壇に・お饅頭と、

一保堂の焙じ茶と・玄米茶を・お供えした瞬間、

そんな・たわいもない・記憶が蘇ったのです。

私の実家は・食品関係の商家を営んでおりました。

全国の百貨店に・売り場を設けておりましたので、

わりと・大きな御店であったと・思います。

百貨店から・半ば強制的?な・協力という形で、

さまざまな・商品を購入する機会が在るのが、

普通だった・今では・変な商習慣が・ありました。

高級時計であったり、

宝石、

絵画、

旅行から自動車まで、

正に・百貨店という名前・通りに、

いろんな商品が・当たり前のように、

勧められ、

そんな時だけ、

社長・社長と・愛想振りまくサラリーマンを、

私は・冷ややか視線で、

端から・眺めていた少年期でした。

大学生になると、

私も・少しは・成長したのか?

調子良く・なったのか?

自分の実家の店舗の在る百貨店に行っては、

ツケで、

好き勝手・買い物するという【要領】を・身につけました。

そのような・事情で、

当時の愛車は、

赤いアルファロメオのベローチェ・スパイダーで、

オープンで乗り回していた姿は、

阿呆・丸出し・だったと・思います。

その助手席に乗って、

お前について・新潟まで行くで!

帰路のガソリン代と高速道路代、

序でに、

なにか・タカってやろうって・処でしょうか?

おじいさん、

シッカリ・つかまってて・下さいよ!

てな・具合で、

ベローチェ・スパイダーに祖父を・乗せて、

アクセスを・べた踏みで、

帰路についたのです。

祖父は・いたく・感動していましたね。

北陸地方の・情緒に触れて、

世知辛い・商人人生に・想う処が・あったのだと・思います。

アルファロメオ・良い車でした。

ある時、

今回・こんな処の・会員になったんじゃ!

祖父が・嬉しそうに、

輝く・カードを・見せるンです。

ソレが・六本木か・何処か・忘れたしまいましたが、

PLAYBOYクラブだったので・驚いた!

で、

一緒に、

バニーちゃんに・お酌をと、

喜び勇んで・出かけて・行ったンです。

青春期の私は・ちっとも・面白くなかったですね。

刺激不足だった・からでしょう。

じいさん・の方は、

嬉しそうに・してました。

日本中が・バブリーで・良い時代だったンですね。

お仏壇の・位牌を眺めながら、

いろんな・思い出が。

人の人生って・儚いモノですね。

さ~て・私の人生の後半戦。

やはり、

誰かに・導かれるのでは・なく、

自分の力の限り、

チャレンジ・したい・ですね。