月別アーカイブ: 2022年1月

またかいな・勝負処

人生の・踏ん張りどころ・っていうんですか?

なぜでしょう?

よそ様の・何倍も・直面しましたね。

ですから、

知恵も・着きます。

コッチは・悪くもないのに、

コッチから・頭を下げて、

丸く・納めるってことも、

大人の知恵って・いうんでしょうか?

何度も・ありました。

また、

自分自身が、

やっぱり、

もがかないと・ならない時。

手抜きや、

逃げちゃ・イケマセンね。

出口は・皆目・判らない。

それでも、

ひとりで、

歯を食いしばって、

日々・1日を・やり抜くんです。

そんな毎日を・重ねて・惨めな・自分と戦うんです。

経験的に、

光が・見える時が・きます。

もうすぐ59際に・なります。

またまた・大きな上り坂。

踏ん張り・ますか!

あっ・ちっ・ち・

昔の、

郷ひろみ・さんの・唄のセリフ・じゃ・ありませんが、

新しい・患者さんの・レントゲン写真を診る・度に、

下手くそ・根管治療の所見に、

あっちっち。

どうしても・理解できないん・です。

これで・大丈夫・だと、

本当に、

これらの処置を行なった担当医。

思って・るんでしょうか?

私の若い時分。

未熟さに・もがき・苦しみ、

それが、

自己修練の・エネルギーになって・たんです。

そのレベルにまで、

遥かに、

至って・いない。

そんな・所見が・多すぎるんです。

診てる・こっちは、

どの・あたりで、

バカしたのか、

手にとるように・読み取れるんです。

だから、

してる・ご本人は、

普通、

ヤバい!って、

判る・筈なんですが。

諦めるん・でしょうか?

でも、

やっぱり、

判って・ないんでしょう。

不味い食堂に、

運悪く・入ってしまって、

一口・口にして、

思わず、

店の調理師の顔を観て、

どんな・舌してんだ?

そんな機会・ありませんか?

今、

根管治療だけでなく、

白い歯・修復って・云うんですか?

そういう治療痕跡・観て、

どういう訳で、

歯科医師免許を採ってから、

どんな卒後研修・受けたら、

こんな眼が・養成されるんだか?

頭を・抱えて・しまうんです。

歯科だけじゃ・ないと・思いますよ。

医科も・恐らく・そうでしょう。

だって、

技術者の世界に・生きる人。

みんな・同じこと・言ってますもん。

日本が豊かに・なり過ぎて、

過保護に・なった・結果じゃ・ないでしょうか?

ものづくり・日本。

恐らく、

過去の話に・なるんじゃ・ないですか?

 

 

歯科医になって・数年・経過した頃、

親友の母堂で、

近代日本における・根管治療の母とも言える

根管治療の大家であった・浅見保子先生が、

どれ・どれ?

指の腹を・見せてごらん!

で、

私の親指と・人差し指の腹・を

ご自身の・指で・触って、

は〜ん?

まだまだ・だねぇ!

半人前だよ!

私の指に・触れてごらん!

で、

恐る恐る、

同じように・触れてみて、

凍りついた・ことを、

時々・思い出すのです。

岩のような・指の腹でした。

硬い!

でも、

ただ硬いのでは・なく、

微妙に・柔らかい・妙な・感触。

これが・大家の指でした。

私は・この親友の母堂を・常日頃から・羨望の眼差しで・観てました。

腹の座った・ちっちゃな・かわいい・おばちゃん。

ニコニコ笑顔。

でも、

歯の話題になると、

瞬時に・真剣顔。

これが・昔の本当の歯医者の姿だったと・思います。

歯科大生の頃から、

可愛がって・頂いて、

歯学に向き合う・心の準備が・自然と身についたのは、

浅見保子先生の・お陰です。

こういう時代の・母性というのは、

教育上、

有効なんです。

昨年の秋、

日本歯科大学・新潟の歯科補綴学第1講座の教授に就任された

40半ばの・水橋史先生。

日本歯科大学新潟校出身の初の・女性教授です。

いつも、

ニコニコ笑顔。

でも、

どっしり・されて。

学生にとっては、

頼もしくも・温もり・感じる、

精神安定剤に・なってくれるでしょう。

良い・人事だと。

話し・を戻して、

歯医者の・指。

私の・指。

あぁ・年月の経過を・感じます。

今の私の・指を、

天に召された・浅見保子先生に・触れていただいたら、

どんな・言葉をいただくでしょう?

弟子たちとの・会話の中で、

ほら、

俺の指を・触ってごらん!

なっ。

 

 

無菌的・歯科治療

外傷や・腫瘍・以外での

歯科治療の原因の大半は、

う蝕・歯周病・などと・云った

細菌からの・感染症です。

また、

口腔内は・唾液で湿潤していますから、

唾液の中の・細菌が沢山いる環境下での・医療行為を

実践しなければ・なりません。

そのために、

歯科医学は・先人たちが・知恵を搾り、工夫を凝らし、

様々な・手当ての方法を・創造してきたのです。

教育の現場でも、

無菌的歯科治療の徹底については、

既に・半世紀以上も前から、

教育を行なってきたのです。

しかしながら・現実的には、

どうも・これが・上手く機能して・いないようです。

初診の患者さんの・口腔内を初めて・拝見した際に、

無菌的歯科治療が・行なっていなかった痕跡に・触れるからです。

無菌的歯科治療の実践。

これを・普遍的な手当と認識してくれるようにと、

若い世代の・歯科医師たちに対して、

啓蒙活動を・継続してゆくつもりです。

随分と・多くの歯が・助かる筈・ですから。

 

薄っぺらい・思考

中学3年の・娘との会話で・驚いたのです。

ビートルズ・を知らないのです。

もちろん、

ジョン・レノンも、

ポール・マッカートニーも、

イエスタディも。

で、

YouTubeにて、

イエスタディを・聴かせてみたら、

こんなの・聞いたことな〜い!

時代を・つくづく・思い知ったのです。

音楽にしても、

時代的背景があり、

時代の変化に合わせて・変化してゆく訳ですが、

どんなジャンルの音楽が・好みなのかは・別として、

クラッシックの洗礼を受けて、

政治・経済・宗教・を含めた歴史背景を・重ねつつ、

今も・音楽の・成り立ちを・学んで欲しいと・思うんですが。

そういえば、

歯科医学に関しても・全く・若い世代は、

同じ状況であるのが、

よ〜く解りました。

最近の・歯科治療

この数年、

新患の患者さんの・口腔に施された・治療痕跡を通して、

歯科医師の・技量と・治療立案能力の・低下の著しさに、

唖然と・しています。

また、

インターネットや・ホームページの・ご丁寧なる・ごたく。

歯科医学が・科学であることを、

忘れたのでしょうか?

低次元・過ぎて、

歯科治療の・方法論について、

このブログを通じて・云々するのが、

面倒に・なりました。

申し訳ないんですが、

学問的基盤が・違いすぎると。

今、

自動車が・売れないのだ・そうな。

そりゃ・そうだ。

いつ、

電気自動車に・代わって・しまうだろう。

具体的な・時期が・納得できない。

ハイブリッド、

プラグインハイブリッド、

完全電池化、

色々・あり過ぎて、

よく・判らない。

で、

機械・という・よりも、

家電製品みたい。

液晶パネルが、ハンドルの向こう側と・横に・張り付いた

走る・箱もの家電。

自動車好きは、

まず・敬遠するでしょう。

売れない・売れないと・ぼやいていても、

フェラーリ、

マセラティ、

アストン・マーティン、

ベントレー、

昔ながらの・マシーンメーカーは

過去最高水準の・販売台数を・叩き出しています。

自動車とは・どうあるべきか。

おんなじ・ように、

歯科治療は・どうすべきか!

私は・そう考えています。

だから、

本当に困った時の・歯科医院なんです。

 

 

 

 

孝行・息子

母を・東北から・連れ戻して、

もうすぐ・1年になります。

老いる・行程に・実際に触れて、

生きる意味を・真剣に考える・キッカケにも・なりました。

87歳の母。

毎朝、

私の・肖像写真を、

柏手・叩いて・拝まして・います。

今日、

3回目の・ワクチン接種です。

病院に・連れ出すのも・大変な作業に・なりました。

車椅子での・移動。

街・創り。

もっと・考えて・欲しいですね。

自動車を止めて、

母を降ろして・病院の入り口まで・連れてゆき、

暖かいところで・待たせて、

再び、

自動車を・駐車場に移動させねば・なりません。

歩道も・傾いていますから、

車椅子も・傾くんです。

介護する方も・体力勝負に・なるんですよ。

で、

ワクチン接種が・終わった瞬間、

母は・既に・ワクチンのことなど・記憶にありません。

三越に・ゆく積もりで、

よそ行きの・服・来てますから。

息子の私には、

判るんでしょうね。

三越に・連れて行け・って、

駄々・こねますから。

ありがたいことに、

こういう際の・弟子ですね。

代わって・連れて行ってくれる・ことに・なっています。

皆さんの・おかげで、

過ごせています。

未完成の旅

新型コロナウィルスが・世界中を包み込んでから、

緊急性を要する患者さん・以外の、

メンテナンス期の患者さん・全てを

待機して・頂いて・います。

そんな2年を・迎へ、

巷の・油断の気配を・感じつつ、

私は、

ますます・感染防止対策に・知恵を搾る・日々を送っています。

お越しになる・患者さんは、

どこに?

感染防止への・工夫が?

お気づきに・ならないかと・思います。

それが、

1流店の・見せどころ・だと、

自負・しています。

昨年の・11月。

急用があり・上京。

で、

辛抱・仕切れなくて、

銀座へと。

天ぷら・近藤・へ。

やはり、

知恵を・感じたのです。

自分の店へ・わざわざ・足を運んでくださる・お客さん。

味は・もちろん。

絶対的安心感の中で、

技を・堪能して・いただくのが・プロ。

そう・感じさせないでも、

網を・張り巡らせて。

そんな・場を・堪能したのです。

あぁ・私も・正しかったのだと。

パフォーマンスに・辟易して・世間とは、

一線を・画して・きました。

歯科治療も・パフォーマンスでは・ありません。

私・個人・の・一生の作品なんです。

歯科を通じて・どのように・生きるのか。

だから、

考える・歯科治療の旅は、

まだまだ・未完成なのです。

 

3回目の・ワクチン接種

昨日、

新型コロナウィルスの・3回目のワクチン接種を・受けました。

今日は、

朝から・怠くて、

起き上がって・いません。

左腕は・あまり・痛くありません・でした。

とにかく、

静かに・休んでいます。

明日から、

再び・戦いの日々が・待っていますから。

オーラル・リハビリテーション

無計画な・歯科治療によって、

悲しい・状況に至った・患者さんが、

自然と、

あちこち・から集まって・お越しになられます。

歯科治療とは・とても難しいモノです。

歯科は・総合的見地での・診断・治療計画・作製・能力を必要とし、

加えて、

ひとつ・ひとつ・の治療手順の水準を高く・精密に・という

技能的な能力も・体得しないと、

オーケストラのような・秩序ある・咀嚼器官を人工的に

獲得できないのです。

1950年代から、

アメリカン・ナソロジー学派が、

咬合という・大きなテーマに挑んでゆきました。

1980年台の・半ば・くらいまで・続きます。

この歴史的経緯を・学ぶことは、

歯科医師として・とても重要です。

物事を視る視点は・ひとつでは・いけないのです。

解剖学的見地・生理学的見地・に加えて、

歯科には・歯科技工という・特殊な作業が・あります。

ものづくり・の過程を・熟知した・設計士と・同じかも・しれません。

最近、

総合歯科という・単語を・しばしば目にします。

が、

総合歯科と・一般歯科は・意味合いが・違います。

一般歯科には・専門性が・ありません。

とにかく・幅広く・一応・歯科治療に対応できる・という意味合い。

総合歯科とは、包括的歯科治療が・できること。

しかし、

その言葉の・意味合いを・理解できていない歯科医師が・多いのでしょう。

先日、

ちょっとだけ、

口腔内を・のぞきこんだ際に、

粘膜に・口腔癌の初期所見が・目に飛び込んで・きたのです。

即座に・デジタルカメラにて・撮影し、

メールにて、

母校の口腔病理学講座の岡田教授へと・送信。

同日には、

所見へのコメントと、

病理検査の手順が・返ってきていました。

既に、

来週早々に・病理検査のための・アポイントメントが・入っています。

検査のための組織片は、

口腔組織に熟知したる・歯科大学の病理学講座で

診断が・正確に・下される訳です。

手術は、

病理診断名によって、

全国の病院の中から、

私が選択し、

患者さんと・ご相談し、

依頼することに・なります。

口腔には、

さまざまな・全身的な変化の・兆しが、

なぜか?

初期に・現れるのです。

これを・見逃さないのも、

歯科医師の・使命です。

なにも、

美容師のような・見かけばかりをトレンドとしている・歯科昨今。

総合歯科を・名乗るのは、

まだまだ・早い・という重いが・本音ですね。