子ども・として


今日は・父の・月命日です。

香の煙を・見つめながら、

親不孝であったと・改めて自覚していました。

お仏壇の・お花やお供え物を・選ぶ際に、

爽やかな色彩を心がけ、

何が・食べたいノだろう?

と、

私なりに・工夫するのが普通になったのは、

せめてもの・後ろめたさから・のモノだと・思います。

父の御位牌を・見つめながら、

近況も解らぬ・母は・穏やかに、

過ごせているだろうか?

などと・案じています。

私は・歯の職人を・生涯の仕事として・選びました。

修業の身ですから、

仕事のゴールは・生涯・ありません。

ただただ・単純に見える所作を、

毎日・毎日・繰り返し・継続し、

仕事の中から・考え、

自分を・仕事の方へ・合わせて・きました。

私には・何の才能も・ありません。

ですから、

自分を・仕事に・合わせる努力くらいは・と、

気づいた時から、

そう・して生きてきました。

将棋の藤井八段・スケートの羽生結弦選手。

若くして・花開く人を・才能アル人と・云うのだと・思います。

私のような・無才の者の・せめてもの・落とし所・とでも、

申しましょうか。

このような性格の私ですから、

親孝行など・考えも・しなかった・のです。

人それぞれの・幸福感と云うモノは・違います。

今の私には・そのような命題について・考える余裕は・ありません。

ただ・がむしゃらに・芸に没頭すること。

私の母は・幸せに・過ごせているのでしょうか。

窓からの・陽射しが、

少しばかり・優しくなった季節の・変わり目を・感じます。

穏やかで・良い1日を・皆さんが・お過ごしになりますように。