男の・仕事というモノ


こんな・時代ですのに、

街の・郊外のメインストリートには、

雨後の筍・のように、

次々と、

歯科医院の建築現場を・見かけます。

広い駐車場と、

建物を囲む・大きな囲いを・横目に、

大丈夫?

なんだろうか?

と、

他人事・商売敵・にも・かかわらず、

こちら・の方が、

案じて・しまうのです。

人生に・チャレンジ精神は・必要であり、

チャレンジ精神が・人を大きく・育てます。

ですが。

古来、

日本の男は、

戦いの・中に・身を置いて・いました。

狩り・の時代は・獣と戦い、

戦国の世にあっては・刀を手にし、

明治から昭和の初期にかけては・銃にて、

列強の大国と・民族の存亡をかけた戦いに、

戦場へと・出向いたのです。

負けは・すなわち・死を意味します。

ですから、

戦うに際し、

さまざまなる・準備にも、

戦い・以上の・知恵を搾って・いたのです。

いつからか・判りませんが、

日本の男は、

死と・背中合わせの・戦いを・忘れたようです。

私の仕事でも、刀も銃も・使いません。

が、

さまざまな・道具を手に・します。

だからこそ、

私は、

死に物狂いで・治療に・勤しむのです。

そんな4半世紀・でした。

各地から、

いろいろな・難しい症例の・患者さんが・お越しに・なられます。

現状、

地域密着型の・街の歯医者さん・では・ありません。

若い歯科医師の方々には・信じてもらえない・でしょうが、

毎日・毎日が、

工夫を加える・知恵を絞り出すための・情報収集と、

自在なる・動きを可能に・するための・自己修練、

自分自身が・道具ですから、

自己向上に繋がるモノならば、

選ばず、

考えず、

何でも・取り入れ、

試し、

継続し続け、

我慢比べ・でしょうね。

いつの日・からかは、

戦う・相手が、

自分自身に・なって・しまいました。

そのような経緯から・でしょう。

他の・歯科医師の存在に・全く関心が・なくなりました。

そんな・他人事の・歯科医院の建築ラッシュ。

建物の概要が、

囲いが取れて・現れたのを・視界に、

安堵・するのです。

脅かされる・ことは・ない・と。

戦い続ける者は、

独特の・臆病さを・持つ・のです。

決して・負けは・許されませんから。

仕事は・死ぬほど・辛いもの。

死に物狂いで・働け。

この国には・昔・そのような・表現が・ありました。

私は・そういう時代に・育ちましたので、

何ら・違和感を・感じません。

私は・生涯を・戦いに・明け暮れるでしょう。