私の母校


7年前に私は母校に復職しました。

私が大学を去るに際しての事情?を知っている方などは

なんでアイツが!とお感じになって居られるのを認識しています。

日本歯科大学は明治40年に中原市五郎先生が私財を投じて設立した我が国で最初の歯科医学校です。

富国強兵の明治の時代に、国は医師の養成に力を注いでいました。

中原市五郎先生は、その様な時代背景のなか歯科医の養成を強く感じて、

国に歯科医の養成機関の設立を強く求める運動を行いました。

が、国は歯科医は医師に非ずと協力してくれません。

そこで先生が自ら設立したのが日本歯科大学です。

建学の精神は、その様な理由から【自主独立】であり、

独特の教育方法で歯科医を輩出してきました。

現在に於いては、東京と新潟に2つの歯学部と大学院、短大、附属病院を併せ持つ

我が国で最初で最大の歯科教育機関です。

従って、我が国の歯科医における最大の派閥を誇っています。

私は当時の上司と衝突してというよりは、結果的には衝突しましたが、

今は亡きレイモンド.キム先生の治療に魅せられて大学を飛び出しました。

大学院にて博士号を取得した者は、ある期間は大学でのお礼奉公をという暗黙のルールを

初めて破ったのが、かくいう私です。

ですから母校の後ろ楯を一切失う破目となりました。

そう言う意味で私は、ある意味有名人?だったと思います。

振り返り観れば、そのくらい歯に夢中で、当時の上司には申し訳ありませんが、

やはりレイモンド.キム先生の治療が凄かったのです。

そこからは速かったです!時間が経つのが。

無我夢中でした、歯の魅力にとりつかれて!

で、何処かでの私の講演をお聞きになられていた現在、全身管理科の教授をお務めになっている

藤井先生から、三枝さん、戻ってお出でよ!とのお言葉で復職することになった訳です。

専門過程の学生さんと大学院生の保存学と、教養過程の1年生のプロフェッションという授業を受け持っています。

私は新潟校に愛着があります。

伝統の上に新進気鋭の工夫を教職員一同が一丸になっている事と、

やはり雪国文化と気候が好きなんです。

上杉謙信公に山本五十六元帥、田中角榮元首相、坂口安吾に良寛様を輩出した訳が判ります。

今は、好きな診療に携わって、それを大学で確認作業が出来つつ、若い人たちとの関わりあいが持てて幸せですね。

兎に角、私の仕事にはテッペンがありませんから。

少しでも上手になりたいですね。

で、自分の経験を後輩達にフィードバックして、歯科界を通じて世のお役にたって貰いたいですね。