私の子育て


私の子供の時分は、日本がまさに高度成長の時代で、

商家であったために、従業員も家族も一同で朝から夜遅くまで働きずめであったように思います。

自宅の風呂は未だに薪を焚いて沸かすものでした。

小学生の3年生頃には、顔を墨だらけになって工夫しながら風呂を沸かしていたのを覚えています。

夕食も、働いている家族のために卵焼きを焼いたり、

自分も少しは皆の役にたたねば!と理解していたように思います。

商家でしたから、繁盛しないと食べてはゆけない、繁盛すると忙しい、忙しい時には皆で協力といったことを

教えられた機会はありませんが、身に染み込んでいたように思います。

商いが苦境にたった時も肌で感じていましたね。

小ささ家に引っ越して、生活規模がグンと縮小し、銭湯帰りに時たま、クリームパンを買って貰った時には

世の中にこんなに美味しいモノがあるのかと!でも、贅沢なんじゃないか?なんて云った想いがしたのを

小学校へ上がる前ぐらいでしたけど、商人の倅って、そういうもんだと思います。

滅多に帰宅しない父親から、テレビを観ていた時に

ー 馬鹿野郎!勉強せんかい! ー

と、いきなり殴られたり、それこそちゃぶ台ひっくり返しなんぞも何度も経験したものです。

不条理の見本が身近にあった訳で、理屈にあわなくても、悪気がなくても

雷が堕ちるということを子供の時分から経験しました。

これは、社会に出てから大いに役にたちました。

特に医局という処は、典型的な縦の社会です。

徒弟制度の見本のような処でしたから、

よく叱られたもんです。

但し、素直に受け入れていましたね。

私は、今は教えて貰う側だと云う認識を持っていましたから。

医術に間違いがあってはなりません。

当然、お手本があって、それから逸脱すると、当たり前ですが、雷が堕ちる訳です。

直して、直してという姿勢を叩き込まれたように思います。

こういう私ですから、今流の教育方法や教育論には違和感があります。

子供の意思の尊重だとか、子供が萎縮しない教育ってのも判りますが、

やはり親なり社会が、子供が独りだち出来るまでの助走期間は、

時には厳しく躾ないと駄目だと思っています。

娘たちは、パパのことが恐いと思っていますよ。

これ以上オイタをしたら叱られるという線は、キチンと認識していると判ります。

でも、パパは自分達には甘い!ということも判っているようです。

何かをせがむ時は、私にすりよって来ますから。

娘たちと一緒にくっついて寝ていますし、何時でも一緒に居ますから。

甘えん坊のひっつき虫と、娘たちからしょっちゅう言われています。

パパのことが好きだけど、怒らせたりしたらメチャクチャ恐い!でも困った時は絶対に助けてくれる!

父親って、それでいいんじゃないですか?

私は昔気質の、歯のこと以外は判らん馬鹿ですけど、

それでいいんだと思っています。

他人から、どうのこうの言われたくないというのが本音で、

身体を張って、子供たちを世間にご迷惑かけないように社会へと送り出そうと、

私は私なりに工夫しています。

そんなもんですよ。

昨日は生憎の天候でしたが、前夜から娘たちと約束をしていました。

みんなでお弁当を作って、外へと出掛けようと。

夜から台所の流しに3人の娘たちと並んで、弁当の下ごしらえです。

末の娘なんかは、背が届きませんから、それこそ椅子の上にのっかって、

一人前に手伝ってくれてます。

で、全ての指図はキチンと上の娘です。

色とりどりのかわいいいお弁当なんかじゃなく、

それこそ大工の弁当みたいでしたけど、

半咲きの雨に濡れた桜を車の中から眺めながらのお弁当は美味しかったですよ。

傘をさしてお墓の掃除やお線香、お供えを、それこそ分担でして帰りました。

私は男ですから、所詮は所詮で母親の母性本能はありません。

但し、最近の若いお母さんたちや、お祖父ちゃんお祖母ちゃん方をみてて、

なんか違うって感じています。

今の子は、これから大変な時代を日本を背負っていっていくわけです。

試練なり辛抱、踏ん張り力は勿論のこと、感性も特に伸ばしてやらんとと思いませんか?

そんなこんな考えながら、私は診療の前準備を、

娘たちは、絵本の図鑑に釘ずけになっています。