幼少期の記憶


今では当たり前のエアコンのお陰で、一年中を快適な環境で過ごすことが普通となりました。

私が幼い頃に、当時では珍しかったクーラーが事務所に届いた時の事を鮮明に覚えています。

電気屋さんが数人で設置作業をしている横で、今か!今か!と首を長くして作業を除き混み、

試運転の最初のスイッチを入れた瞬間に、吹き出し口に括り付けられた細いテープが、

冷たい風に煽られてそよいでいたのに、誇らしい心持ちとなったことまで覚えています。

自宅などにはクーラーなどは、ある筈もありません。

夏は、当たり前のように暑いモノ。

恐らくは、小学校にあがる前の事だったと思います。

団扇で扇いで貰いながらの嫌々の昼寝。

暑い筈であるのに、寝冷えを心配されて、お腹の部分にだけ器用に掛けられたタオルケットの重さ。

うたた寝の最中に、遠くから聴こえてくるワラビ餅売りの鈴の音に、ガバッと起き出して、

お小遣いを手に、サンダルを引っ掛けて鈴の音の方へと一目散に駆け出したこと。

このような話をしてみても、幼い娘たちには判っては貰えません。

パパは一体いつの人?と、云われるのが関の山です。

娘たちにとっての私は、休みの度に父が楽しみにして観ている池波正太郎アワーに登場する昔の人と変わらないようです。

私は、幼少期の記憶がとてもとても大切だと思っています。

その時に感じた感触なり判断なりが、身体の刷り込まれていくんだと思っています。

そのような積み重なりが、その人を創っていくんだと思っています。

ですから、娘たちには当然のことながら、

年は既に青年であっても歯科を学ぶ学生さんは、歯科医学に関しては幼子と同じですから、

私が学生さんと接するに際しては、理屈や理論ではなくて、直感を育てる仕掛けをと工夫しています。

また、私の診療所へと治療に通われるようななった比較的新しい患者さんに対しても、

三枝流の治療をお受けになられるといった意味では、やはり幼いお子さまと同じですから、

共に健康になる手当てについての気づきに、気づいて頂けるように四苦八苦しています。