早朝、
ノートルダム清心学園の校長先生でいらっしゃった
渡辺和子先生の動画を見つけ、
くぎ付けになって、
見いっていたのです。
1日を丁寧に生きると云う内容でした。
あと何十年も生きると思っている人の1日の重さと、
余命を告知されホスピスで過ごす人の1日の重さは違う
と云う例えから、
聖書の中の物語へと続く、
講話の流れの上手さは、
語り上手と云う技術的問題ではなく、
ご自身の実体験に裏打ちされた根拠の大きさに依る処が大きいと。
先生の著作なり、講話に触れますと、
自然と、
心が穏やかになります。
心の汚泥に、
それこそ清水が注ぎ始めて、
知らぬうちに、
清心なる境地になるのです。
不思議でなりません。
どのような力が働いて、
このようなお考え方に至ったのだろうと。
で、
私の1日を振り返ってみたのです。
なんともったいない使い方をしているのかと
反省せざるを得ないのです。
先生の仰られる通りです。
いずれ私の寿命は終わる時が来るのですから、
命とは自分の使える時間だと云う考えを再認識して、
丁寧に過ごす事を思い出したのです。