大いに思うこと


先ほど診察を終えた患者さんは

私より5つほど年長の女性です。

大がかりなインプラント治療をし終えて、

初めてのメンテナンスにてお越しになられていたのです。

前回お会いしたのが2月ですから、

チョッとお久しぶりと云った感じでの再会でした。

朗らかな品の良い方です。

今は年老いた父上の日常のお世話に追われていらっしゃるのですが、

なんせ私らと同じ所謂バブル世代の方です。

で、

当時のお勤め先が東京の電通でと云う事で、

若い時分に遊び呆けていた私とは、

チョッと感覚の一致を感じて、

昔の話しに花が咲くのです。

で、

この方は

私からすれば凄い能力をお持ちなのです。

占い八卦の方がプロ並みにお詳しく、

信じたくないけど、

恐いから信じたい、

そんな感じで、

色んな占いのお話しを、

治療しているのか、

話しをしているのか判らない、

いつもそんな感じです。

ですから、

アポイント帳に、

この方の名前を見つけたら、

秘かに楽しみにしています。

バカバカしい話しですが、

占い八卦など信用しない方を

私は羨ましいと思うのです。

私は朝刊の占いコーナーに日々、

目を通して一喜一憂する質です。

思えば、

歯科医師と云う一生の仕事を選んだキッカケも、

高校時分に、

何故か、

足しげく通っていた

小さな庵の女性のお坊さんと親しくなり、

一緒に盤若心経を唱えたあとで、

不意に振り向いたこの御坊が、

ボク!歯医者になりなさい!

と、

ポロリと口にした台詞が

その後に妙に心に引っ掛かり、

で、

遂に、

私は文学部志望であった今までから

無謀なる反転ターンの暴挙へと出て、

今に到っているのです。

神さま、仏さま、

それが仏教でも、

ユダヤ教でも、

イスラム教でも、

キリスト教でも、

私には、

全ての神さま、仏さまの区別なく、

あぁ!ありがたい!

と、

合掌してしまうのです。

知的人から、

鼻で笑われようとも、

目には見えないけれども、

大きな力と云う存在を

ひたすら信じて、

合掌して何が悪いんじゃ!

と、開き直っているのです。

そもそも、

ありがたいと云う感謝の気持ちが、

そもそもは大切なのだと。

日本人のなかのDNAには、

自然界に対する感謝と畏れの感覚が、

刷り込まれていると思うのです。

母方の祖母が、

吹き出してしまうほどに、

そういう質でしたから、

私も自然と、

このような性格になったのでしょう。

科学の進歩を知れば知るほど、

知識の無さを思い知る毎日ですから、

やはり目に見えないけれども、

大きな力を実感するのです。

笑っちゃいますよ。

息子から、

父ちゃんは真面目過ぎると、

言われるような変貌を遂げたのは、

やはり、

天はジッとお見通し!

そんな境地に達したと共に、

反省多い日々を実感しているからでしょう。

【命とは自分の使える時間】

この言葉との出会いは、

私の胸をグサッと刺すほどの衝撃を受けました。

大切に使わせて貰おうと、

丁寧に綴る毎日をと大いに、大いに、思うのです。