明治の人


今日は大きな手術が在ります。

少し早めに仕事を終えて、

上京することになりました。

帰りは朝一番の羽田発つのフライトです。

コレで診療に十分間に合います。

東京は近い処となりました。

昨日の、

夫婦紛争の最中にあった関東に住む友人からのヘルプにて、

やむなく重い腰を上げたのです。

奥方が携帯電話に意外や

出で下さったのです。

どうかね?三枝!

友人の求めですもの。

嫌でも行かねばならないでしょ。

人は互いに支え合うものです。

片方に、

その気がなければ

相互に倒れてしまう。

相互と云うことを

互いが自覚しなければなりません。

また互いが同じことをしても意味がありません。

役割分担と云うものが在ることも。

コレは私自身も、

十分と考え、

今の考えに至りました。

ただ、

こうでなければならないと云う処、

チョッとスローでニュートラルな処、

この使い方が大事なのだなと、

恥ずかしながら、

息子を観て、

この数日に気づいたのです。

息子曰く、

父ちゃんは明治の人、

爆笑されていますから。