良い歯科医師とは


当初は岡山県笠岡市の教会へと

通っていたのですが、

昨年の10月頃から、

高松市の桜町カトリック教会へと

通うことにしました。

自宅から診療所への通勤路の途中に在る教会です。

日曜日、

高松市に居る時には、

朝のミサに参加し、

毎週水曜日の夜、

司祭さまのご厚意にて、

聖書の勉強を個人指導して頂いています。

宗教にかぶれた?

宗教に頼る人間は弱い人!

そのように思われるならば、

私は一向に構いません。

信仰は、

幼い頃から、

先祖の霊を尊び、

先祖の霊に感謝し、

神社、仏閣を訪れては、

心が温まり、

ありがたいと、

掌を合わせてきた私です。

55年も生きてきましたから、

私の中には、

天を信じると云う確固たる信頼感が在ります。

私のカトリック改宗には、

多くの理由が在ります。

これも【縁】だと思っています。

歯科医師になりたくて、

なりたくて、

私は歯科医師になりました。

ですから、

良い歯科医師になりたいと切望したのは

当然のことです。

ただ、

この【良い】歯科医師とは、

どういうモノが【良い】歯科医師などでしょうか?

私の生き、過ごした、

その年代、年代によって、

【良い】の定義は変わっていったように思います。

テレビ番組の【ドクターX】のような、

神の手を持つ名医も【良い】歯科医師です。

また、

スピード感ある治療を求める患者さんでは、

速い治療を進める歯科医師が【良い歯科医師】でしょう。

とにかく費用の安い治療を求める患者さんにとっては、

安い治療費での施術を行う歯科医師が、

【良い歯科医師の模範】ではなかろうか?

患者さんのリクエスト通りに

治療を進める歯科医師も、

ある面においては【良い】歯科医師に違いありません。

私の中で、

大きな変化が起こったのだと思います。

【良い】歯科医師の像が、

やっと、

おぼろ気ながら見えてきたようです。

患者さんに寄り添って、

患者さんの歯を守ること、

ろくに噛めていない苦しむ患者さんへの治療は、

長期間に渡り、

患者さんにも辛抱して頂かねばなりません。

その辛どい治療過程を過ぎねば、

難症例は治りません。

私らの治療は、

ヘアスタイルを変える仕事ではありませんので。

患者さんが苦しいとき、

私は常に寄り添いたいと思います。

そして、

すこしでも、

速く難所、関所を越えられるように、

私は毎日の修練と勉強は怠りません。

人が想像するよりも、

遥かに、

辛どい仕事です。

医師で在り続けることは、

医師になるよりも、

ずっと難しいことを

日々、実感しています。

私の歯科医学。

そろそろ、

次の段階を迎えたようです。

常に進歩し続けたいと思います。