祈りの理由


昨夜は、

カトリック桜町教会の松浦司祭さまからの、

定例の個人教授を受けていました。

人は必ず生涯を閉じる定めにあります。

その時まで、

私は進歩し続けていたいのです。

別段、

裕福長者になりたい訳ではありません。

私のような、

自由診療医師は、

世間の方が想像するほどお金持ちではありません。

だって、

歯にお金をかける人って、

誰が考えても少数派でしょう?

歯の治療を受診する際には、

誰だって安い方が良いでしょう?

ですから、

ハナからそう云う方は、

私の診療所などにはお越しになりません。

イメージだけで、

セレブ御用達歯医者とか、

ぼったくり歯医者って、

私は縁も所縁もない方から、

誹謗中傷を受けてきましたもの。

私が頻繁に口にする、

健康保険診療は国の宝という台詞を

もう皆さんは重く受けとめる時が来ています。

国の財源には限りがありますから。

幼い命、

若い方々が、

これからの国を支えてくれるのです。

その若い方々のために、

貴重な財源を残してあげることを

先人は重く考える時が来ています。

健康保険医は誠実な健康保険診療に従事すべきです。

ソレは立派な社会貢献です。

口が裂けても健康保険医は、

健康保険の診療を批判し、

患者さんを不慣れな自費治療に誘導すべきではありません。

そんな考えの私が、

自由診療の医師の道を選んだ理由ですか?

ソレは私が縛りを極端に嫌がる自由人だからです。

私の診療に関し、

私の自己裁量権を発揮するためです。

また、

歯は私の命です。

歯の治療なんかと云う、

そのような価値観の方には、

私はナンの役にもたちません。

所謂、

小さな親切、大きなお世話って事でしょうか?

この世の中には、

歯で本当にお困りの方が大勢におられます。

歯を大切に考えて下さる方も大勢におられます。

私の限られた時間は、

そのような方々のために消費したいと思うのです。

進歩する過程において、

その方向も、

その行き先も、

当の本人である私には、

全く見えないのです。

正直、

不安で心配でなりません。

ただ、

足を停めたら終わりだと云う事だけは、

動物の本能的な勘でしょうか?

判っているのです。

私の全知全能のすべてをかけて、

患者さんの診療に臨みます。

そこに、

眼には見えないのだけれども、

ソレを人は強運と云うのでしょうか?

そのような力が私の中に宿り、

手当てを丁寧に綴ることが出来ますように、

祈りを捧げるのです。