32年の付き合いの重さから


温暖な瀬戸内に暮らす人々には、

実感が湧かないかもしれません。

越後新潟の冬は、

日本海から吹き付ける台風なみの強風と、

視界を遮るほどの雪、雪、雪。

雪で覆われた大地に、

脚をシッカリと踏みしめて、

顔全体を凍らすような吹き付ける風、風、風。

頸をすくめて、

頭を下げて、

前へ、前へと、

春の訪れるまで、

辛抱することが新潟県人の日常となのです。

そろそろ冬支度。

普段、新潟での脚に使っている車を入れ替える必要性から、

高松市までの片道860キロの距離が

今の私には、

大変なストレスとなりました。

3年前までは、

診療を終えてから、

深夜の北陸道をひたすら駆け走り、

日本海からの日の出を仰ぎ見ながらの

徹夜の移動を

年に20回以上のピストン移動を

7年ほどは続けてが、

私の日常生活の1部だったのですが。

歳をとったんですね。

また、

患者さんからも言われるんです。

先生、危ないから止めてくださいと。

しぶしぶ、

飛行機と新幹線を乗り継ぐことにしたのですが。

新潟は地平線があるほどに広大な大地です。

田中角栄元首相のお膝元。

完璧なほどに整った道路事情は、

他地域の方は、

仰け反るでしょう。

車社会の見本が新潟県かもしれません。

そんな中、

日本歯科大学付属病院の技工士長の関口君が

声をかけてくれました。

彼は私より少しばかり年少。

私が歯科医師1年生のペイペイ時代の頃からの

長い付き合いです。

スマートな青年であった彼も、

シッカリと貫禄のある技工士のトップとなりました。

私の診療を、

あうんの呼吸で、

今でも安定して補佐して下さり、

技工士全員の教育の司に成長した姿を

微笑ましく、

また、

頼もしく、

眺めています。

日本歯科大学付属病院の技工物が質的な安定があるのは、

日頃の彼の努力の賜物と言って良いでしょう。

患者さんのための病院ですから。

そんな彼の口癖も、

私は信頼の根拠となっています。

彼はナンでも、

有給休暇を取ったことがないとのこと。

先生、今回は有給休暇を取って、

私が運転して、

先生を高松市までお連れ致します。

私は彼のご厚意に甘えました。

で、

土曜日、日曜日の2日間、

白衣を持ち込んで、

私の診療をズッと横で見学されました。

同業者からは、

優雅な歯科医師に見える私なんだそうです。

そんな私に彼はしみじみ言われたのです。

患者さんが、

先生の診療所へ遠くからでも

お越しになられる理由。

私はシッカリと判りました。

大学での部下の教育に大いに参考にします。

私たちは日本歯科大学の教官です。

母校への愛校精神に二心はありません。

留守を守る彼の部下は、

2日間は、

さぞかし大変だったでしょう。

しかし、

彼は何かしらを掴んで、

職場へ向かうに違いありません。

診療の後、

先生、実は歯が痛いんです。

診療台に横たわらせ、

ジッと診察し、

で、

2本の歯を、

チョコチョコと、

噛み合わせ調整。

相手は、

日本歯科大学の技工士長ですから。

私も楽しめました。

 

私は歯科保存学出身の総合診療科の臨床教授です。

職責にかけての真剣勝負でしたね。

歯の声は、

私の耳は、

正確に受け取ったようです。